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おとんとわたしとハッセルブラッド

ある日、実家に帰ったら、おもむろにおとんがジュラルミンケースを持ってきた。
「これ明日売るんだ。見る?」
ケースの中には、カメラマン時代のおとんの相棒 ハッセルブラッドというカメラが入っていた。

激戦をともに超えてきたであろうハッセルブラッド一式。

おとんは、大した値段じゃもう売れないよねと言いながら、懐かしそうに見せてくれた。塗装も剥げてないし、銀色の部分はピカピカだった。
「終活だよ、お母さんに荷物減らしなさいっていわれちゃったよ」
おとんは苦笑しながら頭をかいた。

そして私はその夜、ついもやもやしてtwitterで呟いた。

私を育てたハッセルブラッド

カメラをよく知る人ならご存じだけれど、ハッセルブラッドはスウェーデン製の高額なカメラだ。中判カメラの雄ともいえるハッセルブラッドは、その写りの良さや堅牢な作りから、フィルムカメラマンの羨望の的といえる。(ちなみに、おとんの持っているモデルは公式サイトにも歴史を感じさせる記事がある)
フィルムカメラが全盛期の当時、おとんもお金をためてやっと購入したという。プロなので、いくつかのレンズはもちろん、カメラはスペアも必要だっただろうから相当お金をためたと思う。
おとんは、このハッセルブラッドを使って、さまざまな商用写真を第一線で撮り、私の学費を稼いでくれた。

それホントに売っていいの?そう思って呟いた

そんなわけだから、それホントに売っていいの?と思って誰かに言いたくて呟いたわけなんだけど、どっから湧き出たんだと思うほどプロアマ問わずカメラ持ち人たちが一斉に反応してくれた。(本当に、いつもどこにいるの?)

手元にあるのがうらやましい!
親子三代でも使えるぐらい丈夫だよ!売らないで!
カメラやるなら使って!わからないなら教えるよ!

売ってほしいっていう方もいたけれども、その人ですら、まずは自分で使ったほうがいいと言っていた。正直、こんなに反応してもらえると思っていなかった。それぐらい、このカメラは貴重だと知った。

なんていうか、啓示みたいなものだと思った

実は、私はカメラのことはよく知らない。ミラーレス一眼カメラを本格的に使うようになってから1年もたってない。写真を撮り始めた理由はいくつかあるけれども、その一つはおとんが病気になったことだ。

約1年前のある日、おとんは家の階段で、2階から転げ落ちた。
脳卒中だった。
命に別状はなかったけれど、高次機能障害で、短期記憶に少しだけ障害が出るようになった。

初めて、おとんを失うような気がした。
私は、おとんが写真家としてある程度大成していたことも、苦労していた時期があったこともそれなりに知っていたけれど、でもそれなりにしか知らなかった。黒澤明監督の映画のスチルを撮ったことも、MOMAに写真が永久保存されていることも、個展をいくつか開いていたこともしっていたけれど、でもその程度だった。私は、おとんの輝かしい業績の裏にある苦労や、それをどうやって乗り越えていったのか、辛くとも何に突き動かされてこれまで生きてきたのか、知りたくなった。いや、知っておかなければ必ず後悔する、そう思った。

そこで、私が写真を撮るようになれば、もっと今よりもおとんと一緒に話ができるんじゃないだろうかと思った。安易だけど。

そして、1年もたたないうちにチャンスがあって、本格的なミラーレス一眼カメラで写真を撮るようになった。スタジオで猫を撮った。人を撮った。キャンプに行って夜景を撮り、フォトウォークに行って風景を撮った。

だけど、まだまだだった。
カメラを買うときにもおとんに相談したけれど、まだおとんの軌跡を追う話はできてない。もっとおとんの軌跡を知りたい。

そこにおとんが使っていたハッセルブラッドが出てきた。
みんなが売るなと言っている。
啓示だと思った。

そのフィルムバックに装填する日

私はみんなの売るなの声に後押しされて、おとんのハッセルブラッドを使わせてもらうことに決めた。おとんはまだ売る気でいるようだけれども、好きなだけ使わせてもらえそうだ。

さっそくフィルムも買ってきて、おとんに装填の仕方を教えてもらった。おとんは忘れているなぁと言っていたけど、昔とった杵柄というのか、シャッターを押してフィルムを巻き上げる姿はプロだった。
「昔はアシスタントがフィルムの装填を競ったものだよ」
そう言いながら教えてくれた。恥ずかしそうだった。

カメラという絆

後日、中判カメラのフォトウォークがあると友人が教えてくれたので、参加した。そこには多くのハッセルブラッドユーザーが集まっていて、おとんのハッセルブラッドのtweetを見た、と言ってくれる人もいた。
ありがとう。皆さんの後押しのおかげで、私はもっとおとんと話すことができそうです。

私がハッセルブラッドを使いたいといってからしばらくして、おとんはポートフォリオのように、これまでの作品をまとめて私に見せられるように用意しておいてくれた。私も写真を撮りに行った後は、おとんに見せるために実家によるようになった。

おとんがライフワークとして撮ってきた写真集や、商業写真の数々、幸運なことに写真はたくさん残っている。まだ知らないことだらけだけれど、これから時間が許す限り、おとんと話をしていきたい。

ところで、私がおとんの写真を素晴らしいと思うようになったのは、私が中学の頃に、ちょっとしたことが起きたからだ。パリコレで写真を撮ってたからとかそういうことではなくて、もっと本質的なところで素晴らしいと思ったことがあるから……なんだけど、それはまた次の機会に伝えたいと思う。

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