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読書感想『スター』で手軽に答えにたどりつける時代について考えた話

「でも、答えって答えとして差し出されても意味ないんだよね。私は答えより問いが欲しい。シロでもクロでもなくて、グレーを描けるのがフィクションじゃん。だけどあんたも天堂奈緒も、なんか、答えを持ってる人間に思われようとしてる気がする。それって逆に、こっちからすると何かが足りないって感じがする」

朝井リョウ『スター』朝日新聞出版,2020年,195頁


大人になってしみじみと思うことなのけれど、答えのない問いについて考える時間って本当に少ない。というかほぼない。


たとえば恋愛。

自分がどういう人となら一緒にいれるか、パートナーとどのように向き合っていけばいいか。そもそも愛するとはどういうことなのか。
人によって違う考え方、選択があるこの問いにおそらく決まりきった答えはない。

たとえば人生。
あわせて生きることと死ぬこと。

自分がどのように生きていきたいのか。何を目指しているのか。幸せとはなんなのか。多分に漏れず、この答えも人によって違う。

そういった人によって違うからこその問いの答えを模索する時間って社会人になるとほとんどない。

日々の通勤や仕事に加え、食事にまつわる買い物や調理、睡眠。生活にもろもろ費やしてしまえば、残った時間はほぼない。あったとしても、考える体力が残っていないという人が大半だろう。

そう思うと、学生の頃に本や映画やアニメなんかを見て、テーマについて深掘りしたり、登場人物の気持ちについてよく考えてみたりできた時間はとても貴重だったなあなんて思う。

考えたところで必ずしも答えが出たわけではないけど、同じジャンルや原作者の作品を鑑賞することにひたすら時間をかけていた最高に怠惰で有意義な時間だった。

それはまるで自分が柄になったジグゾーパズルをあれでもない、これでもないと端から順に埋めていく作業に近い。

前置きが長くなったけれど、そんな事を考えたのは文庫化された朝井リョウさんの『スター』を読んだからなのである。

新人の登竜門と呼ばれる映画祭でグランプリを獲得した大学生の尚吾と紘。
二人は卒業後、尚吾は憧れていた監督に弟子入りし、紘はYouTubeでの発信を自らの舞台として選択する。

「どっちが先に有名監督になるか勝負だな」

受賞歴、再生回数、完成度、全く違う評価軸。
それぞれ別の道に進んだ彼らが、お互いを意識しながらプロとアマチュアの線引がない時代で、自らの指標を模索していく…というのがだいたいのあらすじ。

時間をかけて作られる映画と、早さと量で作られるYou Tubeの動画。

尚吾は時間はかかるが質の高い映画とYou Tubeの動画を比較し、「なぜ質の低い映像が評価されるのか」と悩む。

対して紘は、映像作成の経験を活かし、You Tubeで頭角を表していくが、次第に質よりも再生回数や世間の反応で評価されるYou Tubeの動画を「すぐに忘れてさられてしまうものを作って意味はあるのか」と葛藤する。

「価値」と「質」それぞれの指標にに、読者はどちらの気持ちも分かるような気がして、心に灰色の気持ちが浮かぶ。

その中で現代を切り取るような一つの意見として、二人の後輩である泉の語った持論が印象的だった。

「だから、本気に作品とかってちょっと重いんですよね。意識をぐっと集中させる二時間三時間っていうより、日常生活の中にある隙間時間、家事している間とか電車乗ってる間とかそういうちょっとした時間を何かに注ぎたいんですよ。尚吾さんはとにかくクオリティを気にしてましたけど、そういうときってそもそも受け手がクオリティとかあんまり気にしてなかったりするんですよね。どうでもいい時間を潰すのに丁度いいものが欲されてるっていうか」

朝井リョウ『スター』朝日新聞出版,2020年,113頁

多くの作品が溢れ、より手軽に触れることのできるようになった今、質よりも量が求められることはいささか仕方がないように思える。

それこそ家事をしている間に見れるような、軽い作品。クオリティより手軽に情報を得れるようなもの。味わうより、空いた時間を埋め合わせるもの。

そういうものの方が、忙しさがつきまとう現代人にとっては都合がいい。加えて、最近は話題についていくためにネタバレや要約を先に知ってから作品を見るなんてことも当たり前になっているようだ。

ただ、映像や文章の作品を好きな僕からすると、ちょっとなあ、と思ってしまう。

答えを先に求めること。それは決して悪いことではないとは思う。

僕もたとえば新入社員の頃なんかは間違えて社内社外に迷惑をかけることも無いし、時間を効率的に使えるし、などとむしろ先に答えを教えてくれればいいのになあ思ったこともある。

それはまるでジグソーパズルでいえば中心を先に埋めてしまって、何の絵柄なのか把握するような。

ただそのパズルは何が書かれているかはっきりわかるけど、端がない。それは瞬時に崩れ、長く飾ることもままならない。


そんなことを考えていたら『青い鳥』のお話を思い出した。

幸せの青い鳥を探しにチルチルとミチルの兄妹いろいろなところを冒険する。しかしどこにいっても結局見つからず、最後に家の中に青い鳥がいることに気づく。

幸せは追い求めるのではなく、身近にあると気づくこと、という一種の教訓を教えるようなお話だ。

しかし思うのは、この追い求める時間があったからこそ、兄妹は家の中に幸せを見つけることが出来たのではないか、ということなのだ。

多様性が跋扈している時代だからこそ、共通の言語を見つけるのではなく、自分の中の大切なものを見つけてほしいと思う。

たくさんのもの、たくさんの考えが溢れている。そのどれもが答えであり、答えではない。
その中からゆっくりと時間をかければ、選ぶべきもの捨てるべきものが見つかるのではないかと思う。

質より量、それに伴い一瞬のバズが迷惑行為にすらなってしまう現代。
常に忙しさを抱えている現代人こそ、今一度、本作で「質」と「価値」について考えてみてほしい。


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