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#5「いつも」を感じとれる身体

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これまでに僕自身もいろんな怪我を経験してきました。
バスケットで靭帯損傷や骨折、陸上競技で腱の炎症や肉離れなどです。どの痛みもそうでしたが、怪我をした瞬間というのは本人が一番よくわかります。「いつも」の動きや感覚と異なるからです。

人の身体の感覚というのは不思議なもので、全てがかなり精密に連携し合って動いています。バスケットでジャンプシュートを打つ際には、この位置にドリブルでボールをついて、この位置に右足をつくとこの位置で左足がつきやすくなり、ボールを自分の身体の中心で支えることができて、ジャンプの力がうまく下半身に伝わりやすくなり、その力が上半身へ連動する。その結果、バスケットボールを安定して保持できるので、ジャンプのあとにボールにうまく回転をかけることができて良いシュートに繋がる。
最初のうちは考えながら行い、途中から無意識に感覚で掴んでいきます。陸上競技でのランニング動作やデスクワークでの姿勢、楽器操作での音を出しやすいタイミングなども同じかもしれません。

二元論を唱えたデカルトは「身体を機械のような物質的な存在とみなし、心はそれとは別の非物質的な存在」と考えていました。

私たちがさまざまな動作を行えるようになるには、最初は考えながら自分の感覚を研ぎ澄ましていきます。それを徐々に無意識で機械のような動きができるようになるように鍛錬を続けます。慣れてきた動きはむしろ意識することのほうが難しく、普段は考えようとしないと感じることができない動きになっていきます。そのように考えると、最初は自分の心で考えながら動きを作っていき、最終的には心でそれほど考えずとも機械のように身体が勝手に動いていく。というのが理想的なようにも感じます。これはデカルトの二元論の思想に近いのかもしれません。

しかし、怪我で痛みを生じたり、不調が出てくるとまた心と身体がぐっと近づきます。なぜこの動きをすると痛いんだ?とか。なぜこうすると痛くないのにこうすると痛いんだ?とか。改めて自分の身体を認識しやすくなります。また一から自分の感覚と身体の実際の動きを重ね合わせながら、徐々に心と身体が分離できるところまでもっていく作業を繰り返します。

私たちは、その時々の心身の不調などで心と身体を近づけたり遠ざけたりしてバランスをとりながら競技や仕事を続けていきます。そう考えると不調になることも全て悪いことではないのではないかと思います。「いつも」と違うことに気づける自分の感覚があることは素晴らしいことで、より良い自分になるきっかけになるかもしれません。

大切なことはその痛みや不調を慢性化させないこと。慢性化すると、痛み以外の他の感覚(触れる感覚、筋肉を使うさせる感覚など)が低下してしまうので、このような「いつも」に気付きにくくなります。

慢性化してしまったら、心と身体を一度重ね合わせて、一つ一つその絡まった過程を丁寧に解きほぐしていく必要があるかもしれません。

今週も良い1週間になりますように。

藤井隆太


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