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俳家の酒 其の二「世捨酒」

 酒造の神とされるオオヤマツミの娘に、絶世の美女コノハナサクヤビメと、醜女イワナガヒメがいる。コノハナサクヤビメが皇孫ニニギから求婚された時、オオヤマツミは、コノハナサクヤビメとともにイワナガヒメをも差し出した。
 しかし、ニニギはイワナガヒメを父神のもとへと送り返す。このことに立腹したオオヤマツミが、
「皇孫の命は、木の花のようなものとなるだろう」
と呪いをかけた。この件は、皇孫に不死が与えられなかった理由を説く。

 イワナガヒメには、「石のように堅く動かぬ命」が約束されていた。その、オオヤマツミの誓(うけい)の部分を指し示しながら男は、
「つまり、堅石は長寿の象徴だよ」
と言った。
「堅石が逃げ去るということは、酔っ払いの命は短いということだ。」
 それを知りながらも飲まずにいられぬひとの性。神性を垣間見たいとの衝動に耐え切れず重ねる杯は、人間性を崩壊させる。そして翌朝、頭痛の中に目覚めるのだ。

 酒は、人には過ぎる。酒の「サ」は、沙庭(さにわ)や早乙女(さおとめ)の「サ」に等しく、神に関与するものに使われた。本来、「清けし」の意があったという。また「ケ」は、食物を表す古語である。つまり「サケ」とは、清浄な神の食物のことである。それを人が飲むということは、
「罰当たり」
と男が笑う。
 しかし、罪を重ねていくことが人の常。神国を模したる現世(うつしよ)に生きるということは、おそれ多くも神の仕業を、無知なる人間が盗み取ろうとすること。その行為を仏陀は「苦しみ」と言った。
 この苦しみの現世にあっては、声高に語る理想さえも、有限の時空の中に消え去るものだ。神意など、永久に汲み取れぬものと悟るべし。人には只、迷いの中を徘徊することのみが許される。

 江戸の俳諧師芭蕉は、

 くわのみや花なき蝶の世捨酒

と詠んだ。少し節をつけて口遊んだ男は、
「花なき世界にも酒はある」
と言って、また一杯の酒を飲む。そうして苦しみは、喜怒哀楽に変わるという・・・

(画像は浅草六区通り|第2回 俳句のさかな了 其の三「餘波」へと続く)


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