ずっと 心の耳で ベートーヴェン

20歳代中頃から30歳代中頃まで、クラシック音楽専門店にベートーヴェンの曲を聴くために何度も足を運んだことがありました。そうした中で「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品 61」に出会い、この曲を繰り返し繰り返し何度も聴いたことを覚えています。
この作品 61 に強く惹かれた理由を、その頃は言葉で説明することは出来ませんでしたが、長い期間、聴き続ける中で、漸く少しずつ言葉で説明出来るようになったように思います。
「叙情的で気品があり、その上、深い精神性を感じることです。そして気迫があり強さがあります。また流れるような美しさもあります。」、これだと思います。

この作品61を、オーケストラ、指揮者、ヴァイオリニストを変えて聴いたことも何度かありました。 
その中で、Or:ベルリンフィル、Co:ブルー丿・ワルター、Vn:ヨーゼフ・シゲティによる演奏の「バイロイト版」が特に気に入り、以後、この曲はこの演奏者によるものを繰り返し聴くようになりました。一方でまた、Vn:ヘンリク・シェリングの演奏も好きでしたので時々聴いてもいました。

そんなこともあってか、店の経営者ご夫妻とのご縁も頂き、長い期間とても親しくクラシック音楽についてたくさんのことを教えて頂きました。
この時の貴重な体験は、私にとって無形の財産となっています。

以後、ベートーヴェン、ブラームス、ドボルザーク、メンデルスゾーン等、様々な作曲家の曲を、ヴァイオリンの曲に限らず様々な曲を聴くようになりました。最近ではロッシーニも聴くようになりました。そうした今でも立ち返るところは、ベートーヴェンのシンフォニーであったり、ビアノソナタであったり、ピアノコンチェルトであったり、ヴァイオリンコンチェルトです。
ベートーヴェンの曲を通して、感じ、思い、考える中で、前に進んで行くための何かを探し求めながら今日まで来たように思います。
 
そしてまた曲を聴くだけではなく、作曲家のこと、指揮者(朝比奈隆さん、カラヤンさん、小澤征爾さん、佐渡裕さん等)のことを通して、表現することを生業とする方々の人柄、姿勢、生き方からも多くのことを学ばせて頂いています。これもクラシック音楽との出会いがあり、そういう環境に身を置くことが出来たからこそと、とても感謝しています。

それ以降、様々な作曲家の素晴らしい曲をたくさん聴かせて頂いているそうした状況の中で、先日、久しぶりに懐かしいなぁ!、と思いつつ視聴した「作品 61」は何かとても新鮮な感じがしました。
今回の演奏は、Or:デトロイト  シンフォニー、Co:レオナルド・スラットキン、Vn:ヒラリー・ハーンによるものでした。指揮者の名前もヴァイオリニストの名前も初めて知った方々でした。

ヴァイオリンのネックを左手に持ち、ステージに登場して来た女性ヴァイオリニスト。それを迎える指揮者や楽団員の雰囲気は、既にリハーサルが終わって、このヴァイオリニストの演奏は知っているはずなのに、この女性ヴァイオリニスト、どんな演奏をするんだろう?、といった、少し斜め上から見ているような、そんな感じを受けました。

演奏が始まって第1楽章までは、そんな感じでしたが、第2楽章、第3楽章へと演奏が進むと、ヴァイオリニストの凄くて素晴らしい演奏、才能を認めたからでしょうか? 指揮者の表情、オーケストラの演奏者たちの表情が大きく変り、ヴァイオリニストであるヒラリーさんの演奏を後押しするかのような、そんな演奏に変わっていったのを感じました。
国の境を越えて、才能が厳しく評価される音楽の世界を垣間見たようなそんな感じがしました。

私が今まで聴いて来た、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 Op.61の演奏とヒラリーさんの演奏するベートーヴェンVC、Op.61は少し違っていました。「繊細さの上に透明感のある力強さ」をヒラリーさんの演奏から感じました。ヒラリーさんしか出来ない演奏だから。これがあるから世界の舞台に挑んでいけるんですね。素晴らしいと思いました。

ベートーヴェンVC、Op.61をそのように演奏されるヴァイオリニストのヒラリーさん。
ヴァイオリン一つ持って、自らの才能を信じ、独りで、世界の著名なオーケストラ、世界の著名な指揮者、そして厳しい耳をもった聴衆が待ち構える音楽の大きな舞台に挑んでいくその姿勢、そして演奏するその一曲に全てを賭けていく、その姿にエネルギーを感じると共に、大切な多くのことを学ばせて頂いたように思います。
とても感謝です。

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