見出し画像

歌舞伎狂言「三人吉三廓初買」河竹黙阿弥 レビュー ー流転する宝剣と循環する貨幣ー 5話

  ここまで本作品を動かしている「義理」、「人情」、「因果」の3つの属性について説明してきたが、最後にこれらの属性を使用して、どのように歌舞狂言というドラマを作るか、その創作術について話を進めたい。

 今日書かれている小説でも当たり前のことであるが、実際に起きた事件や史実をもとにしてフィクションが書かれることが珍しくはない。なぜ事件や史実が採用されるかと言えば、「作家がゼロから想像力を働かせて創作をするのは難しいから」と簡単に説明することはできる。
 
 それはその通りではあるが、それは事件や史実に限らず、作者本人が生まれてから生きて考えてきたことの経験だって、小説の中に埋め込まれているのではないかと反論できる。世の中でおきた特異な事件だけを「インスピレーションの材料になるからだ」、と説明して終わりにすることはできない。

 視点を変えて、経験主義者がありのままの観察から事実を発見して随筆を書くあるいは生態学の論文を書こうとしたときに、ただ散漫に目の前にあることをぼっーと見ただけで何かを発見するわけではない。サイエンスであれば、実験という「特殊」な環境と条件を設定すること(観測行為)で、ようやく目の前に見えなかった法則が見えてくるのである。

 つまりは事実から「真実と思われる情報」を見出すには、事実で作られたこの世の中の「外延となる境界線」を発見することが重要なのだと指摘できる。新聞報道も事実を報道するが、人間社会で至るところに観察されるものを全て報道するのではない。これまでなかった新しいこと、珍しいことを報道するのである。「ある事件」とはこの世の中とそうでない世界との境に建てられた境界標なのである。そこから先は「荒唐無稽」、「怪力乱神を語らず」である。この事件毎の境界標をつなぐとこの世の中と外との境界線が現出する。

 サイエンスと新聞報道でのこのような指摘を、「まったくの私見として」小説創作論に適用するとすれば、ドラマが全くの荒唐無稽な駄作にならず、この世の中で起きるかもしれないというリアリティを持たせるために、作家は世の中で起きた特殊な事件を作品に採用するのである。

 次に指摘できるのは、江戸時代においては先に生み出された作品(中国の説話を含む)を部分的に利用、書き換えて新たな創作が行われていたという事実である。すでに古典文学の研究者たちの解明により「三人吉三廓初買」には「燈籠菊桐」その他の「お七」もののバリエーションにあって、そこに文理の恋話として「傾城買二筋道」に依拠したストーリーを加えたことが指摘されている。これは「三人吉三廓初買」に限ったことではなく、江戸時代までの戯作に共通することであった(今日の著作権法のような著者の権利もなかった)。これは現在の言葉でいえば、出所を明示することを条件に自由な利用を認めたオープンソースとしての物語群のライブラリーと言えるであろうか。

 こうして、「三人吉三廓初買」は八百屋「お七」の奇怪な放火事件/恋愛譚をそのドラマの外延とし、また江戸時代に様々な作家に書かれて積み重ねられてきたドラマに基づく集大成の作品であるということができる。

 坪内逍遥は、黙阿弥がこのような複雑な「因果話」を構想した理由として、当時の大飢饉、大地震のような天災から大塩平八郎の乱、安政の大獄などの社会の動乱まで秩序の亀裂に深く潜む超越的な力の存在に心を強く動かされたのだと説明する。至極わかりやすい説明ではあるが、今日の評論の知見からみると、いささか凡庸な批評にもみえる。確かに伝吉が安森家から「庚申丸」を盗み出す際に犬を斬り殺した。その後、伝吉をお坊吉三が斬り殺すのだが、刀の血は犬を斬ったのだと言い訳をする。それは因果な話ではある。つまりは、自分ではコントロールすることのできない宿命があって、原因と結果の関係が説明されている以上これを否定する余地はないようにはみえる。

 もっとも因果話といえば、浄瑠璃とは双子関係にあって伝えられてきた説経節こそが因果話である。因果が引き起こす救いのない話が延々と繰り広がられている。その源流ともいうべき中世の説話の数々にも仏教の思想に彩られた因果なエピソードが満ち溢れている。今日であっても何か説明できないことについて、何かサイエンスでは説明できないような原因からの結果であると「因果」で物事を説明することは可能であるし、そのようなロジックで小説を書くことが可能かもしれないが、要はそのような因果・ロジックを小説の構造/オチとすることに読者が納得するかどうかにつきよう。

 ここでは因果論ではなくて、江戸という近世(つまりは現代の直前)を対象にした表象文化論に依拠して説明を進めたい。英文学者の高山宏氏はフランスの哲学者フーコーが「物と言葉」で定義するエピスメータを敷衍し、17世紀の欧州(日本では江戸時代)に爆発的に発生してきた物や情報に呼応して、常に変化していく現象を不変なる「言葉」で命名するようになったことを指摘する。つまりは現象そのものではなく表層の「言葉」で世界を理解するようになったとその変化を理解することができよう(高山宏、近代文化史入門)。

 さて、17世紀には日本でも英国でも万物を説明した百科事典が登場する。都市には出自の不明な得体の知れない多様な人間が闊歩しているが、彼らの外形からどのような人間かを識別する観相学が生まれる。それぞれ千差万別な個性をもった人間のはずであるが、それを大括りの類型(ステレオタイプ)というコードを定義して、都市の風俗と人間模様を体系化して描写したのがバルザックの人間喜劇シリーズである。その小説の多くの主人公は田舎から都市パリにやってきた野心溢れる若者である。その人物イラストレーションはガヴァルニ、ドーミエ、グランヴィル等が技を競った画集「フランス人の自画像」にその一例を見ることができる。黙阿弥の膨大な作品が日本のバルザックに例えられるのも故あることである。橋本治が指摘するように、黙阿弥の作品が(その前の鶴屋南北などと比較して)読みやすいが少し退屈なのは登場人物の行動が画一的であり、行動に駆り立てる心の内面が説明されていないからであろう。例えば人情や義理の背景が薄い場面での窃盗行為などは2行足らずの描写であるが盗もうとしている動機を理解することが難しい。刑法に照らして量刑する為の情報もほぼ欠落している。

 黙阿弥の作品にもどれば、江戸の末期の黙阿弥の時代には、歌舞伎の台本が観客の好みにあわせてその様式(創作方法)とストーリーと登場人物と彼らの行動原理(人情・義理)が類型化され完成されていたのだ。逆に言えば、お客の好むエピソード(作品素とでもいえようか)を組み合わせていく手法もほぼ出尽くしてしまったのだ。そのような時代背景のもとで、黙阿弥がときに凡庸になりがちな類型的人物と手持ちのモチーフを駆使して、殺人・強盗から近親相姦・疑似心中までをそろえ極めて複雑なドラマを完成させたことは一つの時代の終着点を示している。実際、新潮社の日本古典集成はこの「三人吉三廓初買」が最後の巻となっていることも象徴的である。これから先は現代なのである。

 狭い人間関係の社会の中で、お金と義理と人情がねじれた回転をなしている。本来は外に向けて開いているべき江戸の都市・社会が、狭い人間関係で閉じており、閉塞してしまっている。広く流通して取引に利用されるべきお金は、狭い人の間で盗難や譲渡で利用されるだけで本来の機能を発揮していない。江戸の街は異人が沢山いて目に見えない因果で表とは別の「裏の人間関係」が生まれる。江戸という世界が完成して、人間関係(人情・義理)も経済も行き詰ってしまったのである。その閉じた世界の中での思想や言動はもはや自家撞着であり、その混沌が様式として美しく見えるところがこの作品の抜きん出た力量と限界なのであろう。

 確かに、主人公三人の熱い言動が「空元気」にみえるのも、類型としてパターン化してしまった人物設定の底の薄さが露呈しているからであろう。彼らのそれぞれの人物設定と出自からは作品にあるような行動は不可欠だったのかもしれない。ところが、その行動が私たちには少し理解から遠いのは彼らには道理はあっても「心理」はないからである。なぜ「心理」がないかと言えば、江戸時代にはそのような概念はないし、個々の人格を持った者がその個々の心理(あるいは深層心理)に基づいて考えて行動していくという理論は江戸時代には存在しない。

 それではドラマを作るのに心理を導入すればよいのではないか。果たして「三人吉三廓初買」初演の前の年に生まれた坪内逍遥はその26年後の1885年に小説神髄で日本でのこれからの小説を書き方の理論を提唱する。二葉亭四迷はその理論を実践して小説を書く。心理の時代はここから始まる。

(参考文献)
河竹黙阿弥 三人吉三廓初買
橋本治 江戸にフランス革命を
橋本治 浄瑠璃を読もう
橋本治 大江戸歌舞伎はこんなもの
小林恭二 悪への招待状
鹿島茂 渋沢栄一
種村季弘 器具としての肉体(「影法師の誘惑」)
高山宏 近代文化史入門

この記事が参加している募集

読書感想文

古典がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?