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【試訳】マルコス・ユザルによる黒沢清『ダゲレオタイプの女』評(Marcos Uzal、仏『リベラシオン』誌)

「黒沢清の感光写真ネガ(=クリシェ)」

 黒沢清は観光地でもなく現代のパリでもなくただの道を撮る。冒頭の列車の到着、銀板写真、パリ植物園。つまり黒沢にとってのフランスは今もリュミエール兄弟とダゲールそしてフランジュの国なのだ。『顔のない眼』の様な大きな家で父の実験に付き合う娘がE・スコブに似ているのは偶然でない。
 本作の物語は『顔のない眼』とポーの『楕円形の肖像』を合せた様な感じだ。命を吸取り愛妻を生き返らせる為の手段は手術と絵から銀板写真に換えられてはいるが。そして映画も静と動の緊張関係を映すことを写真的姿勢/映画的身振り、植物/人間、生者/幽霊、逃走/無感動間の緊張を以て示す。
 女優の眼球の震えに我々はそれら緊張が集約されるのを見る。思弁的だった映画は、後半になると別次元の複雑な社会推理ものの相貌を帯びる。それもまた実にフランス的だ。停滞する物語?ひどいTVドラマの様な脚本? いや真に本作を理解するには単純だが美しい最後の場面を待たねばならない。
 従って、部分的に失敗してもいるこの不安定な映画は、おかしな夢のように我々につきまとう。欠点においてまで極めてフランス的なこの映画の夢は、日本的な奇妙さを手懐ける者の精神のなかに花開く。

Les clichés photo sensibles de Kiyoshi Kurosawa http://next.liberation.fr/cinema/2017/03/07/les-cliches-photo-sensibles-de-kiyoshi-kurosawa_1554020… @libe

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