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私の運動の歴史

はっきり言って、私は「運動オンチ」です❗️
小学生の間は、喘息持ちで、運動すると、すぐ
“ゼーゼー”と息切れしてしまって、運動どころではありませんでした。
しかし、昭和の時代、学校の先生も厳しく、持久走(昔はマラソンと言っていたけど)など、途中でやめる事もできませんでした。
毎年、一番最後をゆっくり一人きりで走っていました。
当時、教科書に載っていた「カルナナンダ」選手の事を尊敬していて、(東京オリンピックの時、セイロン代表の1万Mの選手で、3周遅れでも最後まで走った事で、有名になった人です)最後でも、棄権しない事が大切だと思って走っていました。

カルナナンダ選手

市のグランドを借りてのマラソン大会、次のレースができなくて学校側も嫌だったはずでした。

そんな私ですが、「剣道」を初めて中学から、少しずつスポーツができるようになりました。
中学の持久走も少しずつ順位が上がっていました。
学年の中程迄順位が上がっていきました。

高校になると、「球技大会」というのがありました。
一週間程、授業もなく「球技大会」のみです。
クラス対抗で、選手でない人も点呼があるので、学校へは登校して、終わる時間にも点呼があるので、居なければならず、クラスの応援をするようになっていました。
と言っても、点呼の間は、自由で、学校から出て行く人もいました。
私は真面目に、競技に参加していました。
補欠でも構わないと思っていたのですが、何故か、1年から3年まで、選手として出ていました。

一年生、卓球。
友達と市民体育館に行って、卓球の練習をしていたら、上から下までガッチリ、ウェアに身をまとったおじさんが、
「そんな持ち方だとダメだよ」と、ダメ出しされて、3時間に及ぶレッスンを受けました。
すると、卓球のスタメンに❗️
三位になりました。

卓球


二年生、ソフトボール。
女の子って、キャッチャーでしゃがむのが嫌な人が多いんです。で、剣道してるからとキャッチャーになり、スタメンに❗️
この時は、2回戦で敗退。

ソフトボール


三年生、テニス。
ペアを組んだ友達が上手くて、私は前衛。
剣道の面打ちをしていたらスタメンに❗️
準優勝しました。

テニス

人によっては3年間全然競技に出ない人もいる中、全学年出場してしまいました💦

大学にはバレーボール大会なるものがあり、各学科対抗になっています。
9人制バレーボールで、もちろん私もレギュラーです。(この頃になると、レギュラー当たり前な気分になっていた)
何故か、私たちの学年は「ピアノ科」が強く、(普通、ピアノをする人は突き指をしたくないのでスポーツには力入ってないはずですが、、、)
決勝で戦う事になりました。
実は私、サーブが得意だったんです。
サーブで、12点稼いで腕が痛くなって交代しましたが、見事「デザイン科」の優勝を果たしました。

バレーボール

その後大学の体育の授業では『優』をもらうまでになりました。
いつの間にか、スポーツができる人になっていました❗️
「運動オンチ」だとまだ、思っているのですが、、、

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