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子育てと体験〜やってみないとわからない〜



子育ては日々、自問自答で答えのない、解決策が全くわからない問題の方が多かったな。と思う。問題に向き合っている時はとにかくもう必死で、答えがあると信じて疑わなかったし、どうして?と考えても考えてもどこにも辿り着かない。それでも何か正解があると疑わなかった。

一人息子が大きくなって、子育て、というフェーズが終了しつつある今
自分の子育てを振り返ったとき これでよかったかどうかはまだわからない。
いつか良かったと思うのかもしれないし、いつまでも息子は我が子であることには変わりないので、まだまだ道なかばでよかったのかどうかわかないな
と思ったまま母としての役割が徐々に減っていっていくようにも思う。
結局、答えなんてないし正解とか不正解とかそういう世界観ではないところにあるのが私の感じた子育ての世界だったような気がする。
私は私しかいないし、息子もたった一人の人で、マニュアルなんて通用しない。

息子が小さかった頃、体験学習が大切だと意識したことはなかったのに
最近は、体験学習が大切、という言葉をよく聞くし、目につくなと思う。

体験活動、という言葉を使うと何かをわざわざしなくてはいけないようで
難しいことのように感じるけれど『やってみた』という体験が何かその後の人生で役に立つよ、というようなことなのだろう。
実際やってみる、という活動は簡単そうだけれど親としては
何を?どうやってやってみるのか?
そいういうことを考える時間が必要になる。

子育てもそれと同じで、これがあってるかはわからない。
正解なの?と聞かれてもわからない。ただやってみて、違うな。と思えば
その都度、軌道修正して、またやってみる。これの繰り返し。

『お母さん』という役割も体験活動のようなもので色々体験してやってみて
それでその先に何か感じることがあって、いつか振り返った時
ああよかったと思ったり、もっとこうすればよかった、と思ったり
そうやって当たり前の毎日を繰り返しているうちに自然に体験を重ねて
そのうち上手く情報処理できるようになったり、泣いたり笑ったりしたことも含めいい思い出になったり。

『どんなことでもやってみないとどうなるのかなんてわからない』
これだけを子育てのモットーにして今日まで育ててきたけれど
蕎麦打ち体験、とか自然体験、みたいに楽しいことばかりではなく
苦行の日々体験もしつつ、今日もお母さんとしてお母さん業に勤め
道半ば…正解のないお母さん活動。
やってみないとどうなるのかなんてわからない。
今日もひとまず、体験活動に勤しもうと思う。



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