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大阪とバブルと住専と容積オーバー

おはようございます!
妻が美容院に行っているので、日曜日ですが、
ソロ子守りの最中ブログを書いている、
関西で子育てと大家業に奮闘中の佐山 潤(さやま じゅん)です。
こうしている間にも次男がうんちをしてしまい、
おしめ替えに追われながら執筆中。

前回

の続きなのですが、
売却は無事に終わりましたが、
私はかねてから大阪の物件の順法性のなさが不思議でした。
これが電車で30分行っただけの兵庫、京都、奈良、和歌山
にはほとんどない。(0ではありませんが)

これは大家さん業界でも全国的に有名な話で、
私が大家さんになりたい!
と思って受けた東京のセミナーでも、講師の方が
「大阪は金融機関が融資に積極的なのですが、
建ぺい・容積オーバーの物件が多くて、
地元の人が地元の金融機関で融資を受けて、
で、また地元の人に売られていく、という大阪マーケットがあって、
他府県の人には手が出しにくい」

ということを言っていました。確かに。
この大阪マーケットに目を付けた一部の、
特に兵庫、京都の金融機関が大阪の容積オーバー物件に
対し、融資を積極的に行い始めていますが、
例えばメガバンクが容積オーバー、ましてや建ぺいオーバー物件に
融資をすることはこれからもないでしょう笑

でもなんでこんなに容積オーバーだらけなのか?
疑問に思っていると、意外な所からその謎が解けました。
私は読書が好きで、特にテーマも決めず、
帯とか評判とか、好きな人が勧めてる、とかを基準に本を選ぶ、
という雑多な読書をするのですが、

トッカイ

という本を読んだときにたまたまその謎が明かされていました。
帯に記載があった、
住専問題の不良債権回収が未だに行われている、
という話で、その一事だけでなんか鳥肌が立って買った気がします。

会社で20代の同僚に「住専って知ってる?」
と聞くと「なんすかそれ?」と返ってきたので一応ざっと説明すると、
住専とは「住宅専門金融会社」のことで、
不動産購入資金の融資を行う会社で、多くが銀行の子会社でした。
それが70年代から80年代の土地ブームに多くのお金を貸し、
「土地はもって転売すれば必ず利益が出る」
という神話の下、融資規模が膨れ上がり、
その後バブルの崩壊とともに、大量の不良債権(回収不能の貸した金)
が出てしまいましたとさ。という問題です。

ちなみに「住宅専門金融会社」といういかにも家を買う人向けの会社
っぽい名前なのに、個人の住宅購入だけでなく、
不動産業者の土地買い占めに迄手を出したのは、金利の問題です。
住専は銀行の子会社ですが、金利が親元の銀行より高い。
一度住専から借りても返済実績がある程度つくと、
金利の安い銀行へ借り換え、つまり親会社が子会社の仕事を奪う。
そうして住専はマーケットを失った結果、
本来の個人の住宅購入向け融資、という範疇を超えて行ったことにあります。


書いててふと思ったんですが、この経緯、
行き場を探していたお金が、クレジットスコアの低い人向け住宅購入資金
の提供に向かい、大いにそれを組み込んだ金融商品が大いに売れて
バブルとなったが、その後破綻、大破綻。大量の不良債権が発生。。。
というリーマンショックの発生経緯とめちゃ似てますね。
歴史はあちこちで繰り返す、ということでしょうか。



さておき、じゃあその借りた人たちは軒並み破産したり、貧乏になったのか?
(、、、私の父はなりました。笑)

いえいえ、そんなわけもなく。

お金が返せなくなった、となると土地や預金などを差し押さえしますが、
土地は差し押さえてもバブル崩壊の憂き目に遭って不十分。
預金も押さえれない。

なぜ押さえれないか?
それは借金した人が儲けた金、現金化したお金等などを
海を渡らせてタックスヘイブンに隠されている。
とんでもない話ですね。

で、この中でも、本の中で「借金王」と形容されている、
末野興産の社長、末野謙一氏はピーク時になんと
一兆円!
もの金を借ります。そして今も7600億円の返済を求められている。
とんでもないですね。借りれるなら借りてみたい気もしますが。笑

さておき、この末野氏がやったのが
「建物を大きく作る」
という事でした。
元々大阪には「建て得」と言って、容積率を多少オーバーしても、
順法内としてしまう文化があったようなのですが、
それを堂々とオーバーさせ、一人でも多くの賃借人を収容できるようにした。
という所にあるみたいです。
当時末野興産の力は絶大で、建築確認も通ってしまった。。。
のかどうかわかりませんが、とにかく建ててしまった。
その建てたものが運用されてしまった。
そしてそういう物件をさらに増やしていってしまった。。。
そして例ができてしまうと、他の業者も真似をしだす。

こうして雨後の竹の子のように大阪には容積オーバーの物件が
氾濫していきます。
事態を重く見た自治体が建築確認をしっかりやるようになったのが、
ようやくの1991年。

確かに売り物件情報をよく不動産屋さんからもらいますが、
容積オーバーの物件の多くが、
昭和の終わりから平成3年(1991年)くらいまでにやたらと多い。

また、この
「一人でも多くの賃借人をいれるため」
という所にもう一つの謎が解けます。

それは

「大阪の築古物件はなぜ3点ユニットが多いのか」


以前もこの話を少し触れましたが(↓コチラもよろしければご参照を)

この問題は「部屋を狭く作って、戸数を増やす」為、だったのかと思い当たりました。
そうして家賃を少しでも稼ぐ。
確かにそういう物件を持った大家としては儲けさせてはもらいましたが。笑

住専問題はかつて日本中を沸かせた社会問題で、
そして実は今もその回収の戦いが続いているという、
もはや歴史のある話ですが、
同時に大阪の大家さんにとっても銀行と関わる上で問題となる、
根深い話、とも言えます。

というわけで今回はなんか大家業そのものや、子育て奮闘!
みたいな話では全然なくなってしまったのですが、
書いてるとなんか謎解きしたみたいな気分ですっきりしました。笑

本日もお読み頂き、ありがとうございます!


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