野球界の育成は「強者の指導」である。

長くいろんなチームや指導者の理論に触れてきて感じていることがあります。

それは日本の野球指導において、小学であれ、中学であれ、高校であれ、大学であれ、プロであれ、運動センスの高い選手を基準に育成が行われてきたという事実です。

今の時代の指導が変わってきつつあるということはあるのですが、それについては後述させていただくのでまず横に置いてもらって、練習量とか試合数とか、野球界にとって外せない要素であったと思うのですが、それ自体が運動センスがある選手しか伸びない仕組みだということです。(僕は「強者の指導」と呼んでいます)

基本、どのカテゴリーも育成なんて、存在していません。全て、運動センスが高いから、選手が伸びているだけ、と言い切っていいと思います。具体的にいうと、練習時間が長かったり、振り込み、投げ込みとかが多いということが頻繁に起こるのは、それは、運動センスのあるやつは、練習量を多くさせた上で、試合にのぞみ、実践力を鍛えれば、高いレベルのプレーを見せるからです。

小学、中学、高校、プロのどこをみても同じ傾向ですが、とにかく実践で戦えるための技量を中心に鍛えます。試合で結果が出る出ないというものを提示した上で、無為無策に練習量を多くする。

たくさんバットを振り、たくさんボールを投げる。たくさんのノックを受ける。
そもそも、運動能力が高いので、繰り返していくうち、野球レベルが高まっていく。つまり、試合で結果を残すほどの技量を得ていくのです。

どこどこのボーイズにいい選手がいる!
と聞きつけた選手を勧誘して、高校の厳しい練習に当てはめていく。そこに馴染んでいくと、その運動センスなりの選手に育っていくのです。そしてこれは、どのカテゴリーにも存在します。

どこどこの小学生にすごい選手がいる。
その選手は中学のチームに入り、同じように中学生レベルなりの厳しい練習にはめていくことで、甲子園に行くような高校のお目にかなうような選手になっていく。高校生なら、大学やプロで。

そして、プロも、練習量を多くして、センスのある奴はどんどん磨かれていくという順を追っているわけです。

もちろん、運動センスのある子でも伸びないケースもあります。
それはそれらの選手にとって、オーバートレーニング、オーバーティーチングを行った場合です。「消えた天才」はそうやっていなくなっている。

なので、日本にいるスター選手たちは、基本、運動センスが高くて、練習量に当てはめられて順調に伸びていっただけのことなのです。壊れさえしなければ、運動センスのある子は残っていくのです。これって育成って言いますかね。

その厳しい練習の中身は変わっています。全国制覇の高校がやっているという厳しいメニューは、毎年、優勝校が変わるたびに、変わっていきます。花咲徳栄は全国制覇をしたときに、タイヤを叩くと言えば、全国の高校野球部グラウンドにタイヤが増えたように感じました。優勝校が日大三なら、日大三に倣う。

 練習メニューが変化しているように見えるけど、それは枝葉の話で、方法論が変わっただけで中身が変化したわけではないのです。

 ただただ、選手の身体を鍛え上げるだけの理にかなっていないものなのです。でも、選手の能力が高いから一定のレベルまでいくのです。

いわば、運動センスの高い選手から順番にスター選手になっていて、それ以下の選手たちは、必死についていく。その中でスターの仲間入りをする選手も一定数はいるけど、圧倒的に切り捨てられていく選手の方が多いっていうわけです。「消えた天才」とともに。

しかし、ここへきて問題が生じ始めました。

この日本的育成は、競技人口によって支えられてきました。人数が多いから下が切り捨てられても、ある一定のレベルは保たれた。。

ところが、サッカーに始まり、バスケットボール、卓球、バドミントン、フィギアスケートなどなど、現代っ子が嗜むスポーツが多様化してくると、以前のような競技人口が保たれなくなってきました。

そうなるとどうなるか、分かりますよね。
スーパーな選手はどの時代にも、どの競技にもぽっと出てくるものです。しかし、可能性は秘めているけど、もともと運動能力が高いわけではない選手たちの層そのものが低下していくと、同じようにはいかないわけです。

それを競技人口減少といって、野球界は大騒ぎして、対策は練っているんですけど、それが元に戻ったところで、指導の問題は解決されないわけです。同じことが繰り返されるだけなんで。

「うじ、最近、ヤバイぞ、このレベルで決勝にくるんかってチームやぞ」。

 長く野球界の育成について、教えてくださってきた指導者からはこんな声をよく聞きます。

 しかし、明治維新に立ち上がった若者が多くいたように「日本の育成はこのままではあかんぞ」といって立ち上がる人たちがちらほらと出てきました。

 それが誰であるかは取り上げませんが、彼らが役割として大きな貢献を果たしたのは、いわゆる、切り捨てられた選手たちを甦らせたということになります。

 元メジャーのスカウトに始まって、元マイナーリーガーであったり、甲子園に数回でて「だめだこりゃ」って思った元高校野球監督であったり、JICAの職員さんであったり、あるいは、先進的な理論をするトレーナー、バイオメカニクスの研究者、スポーツ医学者、データアナリストなどなど。

つまり、競技人口が減って、全体のレベルは下がったけど、そのオタスケマンが出てきたというわけです。

 とはいえ、高校野球の指導に携わっている人間の中で、現代の野球界の指導が運動センスの高い選手用に設定された「強者の指導」であることに気づかないうちは、簡単には変わっていかないと僕は断言しておきます。

勉強をされている若い指導者はたくさんいると思います。
ただ、手法を手に入れただけでは何も変わらないでしょう。
野球界の空気が「強者の指導」であるという根本を理解しないといけない、というのが今日の話でした。

 最後になりましたが、私、氏原は、野球指導者のためのオンラインサロンを運営しています。「甲子園が続いていくために我々は何をすべきか〜サスティナブルな育成〜」というのを真剣に考えています。

野球界の指導・育成の風土を変えていかないと変わりません。それをみんなでできればなと思います。


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