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人の幸せを祈ること

先日の土曜日「円空仏」を彫りに行ってきた。大切な友人にそういえば引越し祝い送ってないな、と思い立ち、彫らなければという衝動に駆られたからだ。

先生は林雄一さん。"あらゆるものを彫刻に"をモットーに、円空仏の創作を続けていらっしゃる方。その仏の数は果てしない。聞けば海外にも足を伸ばし、まだ見ぬ仏を探している。

わたしは仏様を自分の手で創作するということが、生まれて初めてであった。まず手にお香の粉を少しふりかけ、それを手のひらでこすり香りを嗅ぐ。そうすることで鼻から体隅々を一度清めるのである。

まずは檜を縦に割るところから。割った檜を鼻に運ぶとなんだか落ち着く香り。私たちが、嗅いで落ち着く匂いは、太古の昔よりDNAに刻み込まれているのだろう。その脈々とした血を受け継いでいくこと、それが生物の使命なのだとも思う。

木が割れないように、慎重に彫り進める。けれど割れてしまうこともある。昔の彫刻家「運慶」は一刀彫りで気に食わないと片っ端から自分の作品を破壊したと言う。それだけ心を込め力を込め、出来上がった逸品が現代に残っている。

彫り進めると、だんだんわたしの仏様が顔を出してくる。こんにちは、はじめまして、という気持ちになりとても嬉しい。穏やかなその優しみ溢れる顔を、わたしが作ったのだと思うと不思議な感じだった。

出来上がった円空仏。色とオイルを塗り、最後に砥粉をかけ、さらには後ろに願い事を書いて終了。

制作時間5時間。集中して作ったものだからお腹ぺこぺこである。そして以上に喉が渇いた。人というのはこういうものなんだろうな。また自分への発見、おもしろい。

最後にわたしはこの仏様を、相手に贈るのだが、一度わたしの元にあったこの仏を、誰かの幸せを祈りながらその誰かにお渡しする。そういうことでわたしの元には居なくなった。

所有していなくても、心の中にその仏が在るのを感じている。夢にも現れ、その仏様は観音扉の入れ物に入っていた。観音扉はわたしの心かもしれない。とても不思議だ。

相手の幸せを祈るほどに、わたしも幸せになっていく。そういう循環も感じながら、またしあわせな1日を過ごす。

心より感謝。

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