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Kiyo to Kiyo クエスト 第5話 素直になる

この物語をここまで書いてきて、ようやく氣づき始めたことがある。
自分の思うこと、素直に感じてきたことを一度は書きながらも、何度も読み返しながら修正を繰り返していた。
 そこには、『どうしたら伝わるか』、『よく見せたい、見られたい』、『幼稚な文章ではなく、スマートな文章にしたい』とか・・・
 肝心な僕自身の思いや感情が消えていたことにも氣がついていなかった。
 
同じようなことが小学校六年生だった時にもあった。
 それは弁論大会の原稿を書いてくるようにと宿題を言われた時だった。僕は水俣病を題材にした『苦海浄土』を読んだ時のことが浮かんで、水俣病をテーマにして原稿を書いた。その時の僕は、誰かに見てもらうことなんか考えずに、ただ夢中であふれる感情を原稿用紙にぶつけた。
  会社の利益のためなら、川を汚しても良いのか?
  地元住民の生活や命は、どうなっても良いのか?
  なんでも金か?
  裁判って何なんだ!
  政府って何なんだ!
  それでも人間か!?
  彼らには人の心がないのか!?
 
ただただあふれる思いを書きなぐった。その原稿を提出した後、予期しなかったことが起こった。クラスの代表候補になって、みんなの前で発表することになった。その時の僕は『こんな文章で? 何で?』って思って、みんなの前で発表するのが恥ずかしくなり、すごく緊張したのを覚えている。その時、隣の席の子が満面の笑顔で僕の背中を叩いてくれた。僕に勇気をくれた。おかげで、僕は自分の原稿を読み上げることができたが、不思議と読み上げながら、書いていた時にあふれ出てきた感情が蘇ってくる感じがした。自分が書いた文字がまるで生きているかのように、不思議な力を感じた。
 席に戻ると、背中を押してくれたその子は、にこにこしながら、「よかったよ。氣持ちが伝わったよ」って言ってくれた。
 
後日、担任が僕の原稿に修正したものを渡された。「クラス代表としてふさわしい原稿にしたから、学年発表会はこれを使うように。」というようなことを言われた。書いてある内容は僕が最初に書いた原稿と変わらないが、表現が“かっこよく”というか、国語の模範的な文章になっていた。でも、その時の僕は「これが求められる文章力なのかな?」と思った一方で、「これは僕じゃない! 僕の表現じゃない!」っていう思いとがぶつかっていた。
 結局、発表会当日は担任の修正が加わった原稿を読んだ。今で言うとAIみたいな感じで、それを読んでる僕も力がはいらなかった。綺麗な文章っていうと、聞こえはいいかもしれないけど、説得力はなくなるような氣がした。その当時、そのことを感じていたのに、今もまだ自分の素直な思いや氣持ちをないがしろにしている。
 
そして、隣の子もちゃんとそのことを、はっきりと僕に言ってくれていたのに・・・「元の原稿の方がよかった。ちゃんと思いが伝わっていた。それなのになんで直しちゃったの?」って。
 
僕も同じことを感じていた。でも自分の想いよりも担任の評価を選択していたんだと思う。
 僕にまっすぐに思いを伝えてくれた隣の席の子は、その後しばらくして亡くなった。葬儀の時、僕は茫然と遺影を眺めながら立ちつくしていたことを思い出した。自分で封印していた過去を、この物語を書いている今、ようやく思い出した。
 
喜代と喜代の守護さんがこの物語を書くことを勧めてくれたことの意味がようやく、わかってきたような氣がする。
 まだ、『よく見せたい。思われたい。』という思いがあって、『僕が思っていること、感じてること、伝えたいこと』がぼやけてしまっていたことに、やっと氣づくことができた。
 
これからは、僕の思いや感じてることを飾ることなく、素直に表現していきます!

         ~ つづく ~

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