見出し画像

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このブログは、
「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
ジャーニランという200~500kmを走るというクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

未来はそもそも「わからないこと」
わからないから不安になる。
だから不安になるのは当然。

わかっていれば、どうってことない。
わかれば、備えもできれば、覚悟もできる。

プロレスや柔道で投げられることがわかっていれば、
受身をするし、次の瞬間に痛みが来ることを受け止める覚悟ができる。

今できることは、、、、


■ 今日から新しいことが始まります。
自分の中ではチャレンジでもあり、
「これも走るため」と位置付けています。

目標のための行動なので正当化していますが、
気持ちの面では不安にもなります。

不安の正体を捉えようとしてみましたが、
一番は「わからないから」というのがありそうです。


■ 今回、やろうとしていることのために、
何回も練習やシミュレーションをしてきました。
他の方から技術的なOKが出て、所定の手続きも全て終えました。
「あとはやるだけ」の局面に至っています。

ほんと、あとはやるだけなのですが、
何回も練習やシミュレーションをしてきたにもかかわらず、
不安は尽きません。

動作のシミュレーションをすれば、多少落ち着きますが、
"普段と違う環境下で行わないといけない"のが、不安にさせます。


これまで練習してきたこととの相違点を考えると、
「普段と違う環境下で行うこと」ただそれだけですが、
これにどのように対処すれば良いのか、解を見出せていません。

「やるしかない」というのが、もう解なのかもしれません。


結局のところ、その環境に慣れるしかないのかもしれません。
慣れてくるであろう1ヶ月後には、この不安もどこかに飛んでいっているかもしれません。そうあることを願います。

■ 10年近く走ってきたマラソンも同じで、
どんなに走ることに慣れても、スタート前は不安になります。

「最後まで走り切れるだろうか、、、」
「途中で転ばないか、、、」
「動くのか、俺の体は、、、」

スタート前はいつもこのような不安に襲われます。
(さすがに場数をこなした今、
「夜も眠れないほどの不安」ということはありませんが笑)
それでも、多少の不安は感じます。

そんなとき、
いつも目を閉じて、胸に手を当ててゆっくりとひと息を吐きます。
「大丈夫、やる。やれる!いつも通り、いつもの走りをするだけ!」
と自分に言い聞かせます。


どんなに足掻こうが、いつも以上の力は発揮できません。
いつものように走るしかありません。

目標とする完走やタイムで走るために、
これまでだって色々とやってきたのです。
それを思い返し、「よし!やれる!」と目を開いて、
スタートの号砲を待ちます。

不安が完全に消えるわけではありませんが、
自分で自分の体を信じ、スタートラインに立ち、
スタートの号砲がなれば「あとはもう走るだけ」です。


今回の僕の新しいことも、マラソンと同じように取り組みたいですが、
そうもいかないかもしれません。

やってみないとわからないのが未来。
やればどうってことないかもしれません。

自分を信じ、スタートの号砲を、今はただ待ちます、、、


まとめ

  • わからないと不安になる。
    が、元々未来はわからなくて当然。
    なので、不安になることは自然なこと。

  • シミュレーションをすれば多少不安は和らぐが、不安は完全に拭えない。

  • ひと呼吸して、これまでのことを振り返り
    「いつものようにいつも通りすること」を心に決め、
    自分を信じて、あとはやるだけ。


■ ジャーニーランの応援ページはこちら↓

https://journeyrun.base.shop/

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?