ホリー

心の世界に興味があります。幼少期の母親との関係で作り上げた思い込みを、書くことで少しず…

ホリー

心の世界に興味があります。幼少期の母親との関係で作り上げた思い込みを、書くことで少しずつ外せてきている気がします。言葉に出せないことも、書くと心が整理されるように思えます。

最近の記事

自我

私はことのほか自我が強い。これまでしてきた事を振り返ると、よく分かる。 負けるのが嫌いだし、人の事は気になり欲張りだし、認めて欲しい気持ちは強い。思いやって譲る事もあまりないし、できるだけ損をしないように考える。 でもそうすればするほど得は遠のき、かえって自分が傷ついてきたように思う。 そして自我は何もできない、と聞いた時にやっぱりな、と思った。私が何かをしようと強く思うと、必ず失敗したからだ。 弓をやっていた時、段を取ろうと頑張ると下手になったなと先生にがっかりされ

    • 愛される

      母に愛されない自分はダメと思い、愛される妹に嫉妬したのは、「愛されることがいいことだ」という思いがあったからだった。 でも本当に、愛されるのはよくて、愛されないのは駄目なのだろうかと考えると、それは良い悪いの問題ではなく、 愛することも、愛を表現するのも素晴らしいけれど、愛することも、愛されないということも、ただそのことがあるだけなのだと思った。 だから、「愛されるのが良い」という思いを手放してしまえば済むことなのだ。 嫉妬の気持ちは、欲だ。 「歌が上手いことが良い

      • 問題解決

        妊娠中、お腹が張って苦しくて歩くのがやっとだった時、何でもない横断歩道を信号が青のうちに渡れきれず、本当に苦労した経験がある。まさか、あんな簡単なことができないなんて、とショックだったけれど、できないものは出来ないのだ。 だから、信号待ちでお年寄りが横断歩道を一生懸命渡ろうとしていると、頑張れ、もう少しだから、と応援したくなる。 動かそうとしても足が出ない情けなさも、信号待ちで待たせてはいけないという焦りの気持ちも、手に取るようにわかるようになれたのは、あの時の体験があっ

        • 意識のゆくえ

          集中力には自信があった。 試験前日の夜中の12時から、主要科目以外の美術などは、一気に何十ページもあるノートを、数時間で丸暗記できたし、期限までにやらねばならないことも、諦めずにやり通した。 あのころの集中力は我ながら凄かったと思う。 しかし最近は、価値観を手放すため、湧いてくる感情をじっと見つめようとしても、いつの間にかまるで違う事を考えていて、結局浄化できないままに終わることが多い。 読んだ本のことを考えていたり、きのう会った人の言葉を思い出したりと、消し去りたい

          小さい頃、母に妹のようにべたべた可愛がられなかった私は、愛されないと思い込んで、自分を否定してきた。 このままの私では駄目、といつも成長しようと頑張ってきたのに、心は満たされず、妹に嫉妬したり、そんな自分を責めたりしてきた。 意識は常に、もらえない私にあったけれど、「私はこのままでいい」と言い続けていたら、ふと、私の存在も、傷ついた母にとっては愛だったのではないか、と思った。 自分の方からでなく、母の目線から眺められるようになったのだ。 母にとって初めての体験である、

          コート

          おしゃれだった母のお気に入りのコート。 こんみりした、焦げ茶色のバックスキンは本物で、首にファーがついている。 品の良いすらっとした、オーソドックスな形のロングコートは、いかにも秋の色だ。同じバックスキンのベルトもたっぷりとして、豊かな気持ちになる。 ずいぶん昔に、母が私にくれたそのコートは、私には大げさ過ぎて似合わないのではないかと、あまり日の目を見ない。 一度、おしゃれな友人の所に来ていったら、それは大切にした方が良いわよ、と褒められたのに。 私には、こんなに素

          口が重い

          私はあまり話さないタイプだ。 自分を出さないできたこともあって、話下手が劣等感でもある。気持ちを上手く言葉にできず、歯がゆい思いばかりするので、いっそのこと何も話さないでいる方が、気楽でいい。 でも、そんな自分を好きでないし、言いたいことは溜まる一方だから、口下手は損で悪い事、というイメージしかなかった。それは直すべき欠点と受け止めてきた。 口下手も無口も、決して悪いことではない、と頭でわかっても、どうしてもそれを認められなかったのは、私の中に、昔の体験で出来た心の傷が

          口が重い

          完全

          もともと完全だった神はある時、自分とは何かを実感したいと思った。いつも愛に満ち溢れていると、それが当たり前になり、わからなくなってきたのだ。 そのための最良の方法は、いったん愛を無くすことだと思いつくと、一つであった自分を様々な角度から眺められるように、いくつにも分けた。 そして、それぞれに欠点を授け、不完全にすることで、様々な葛藤を体験して結果的に、愛の素晴らしさ、完全であることの喜びを味わえるようにした。 愛に飢えて初めて愛の素晴らしさを感じることができ、貧乏を経験

          私は

          私はステンドグラス。 はるか昔にこの大きな教会ができてからずっと、薄暗いこの場所に唯一、明るい光を入れるのが役割のひとつでもある。 活気ある外の世界を感じることも、静粛な教会を眺めることも好きだ。そうやって私は明るさと暗さの両方を見る。 ミサのたび、席に座ったり、跪いて祈る人が、一度は私を仰ぎ見るときの顔を、いつも美しいと思う。 ここには、本当に様々な、たくさんの人がやってきた。 結婚式を挙げる夫婦も、お別れをいう家族も、洗礼式の親子も。 1人で静かに祈る人も、ミ

          こころ

          嫌なことが起きると、マイナスの感情が湧く。それが昇華できないままエネルギーブロックとして残ると、ものごとをありのままに見られなくなる。 その傷は人それぞれで、生まれる前の経験でできた傷と同じものを持った親を選んで、人は生まれるという。 同じ問題を持つ親を通して、自分の問題と向き合うように仕組まれていたのだ。 私の場合は、満たされない親の愛を通して、本当の愛を知ることが課題だった。 幼い頃実母を失った母は、継母の虐めでずっと苦しんできたが、本当は愛されたかった、認めてほ

          褒められたい

          認められたいと誰もが思う。 人を思いやることが苦手な私は、本当はとても人の評価が気になる。人はどうでもいい、というほどに、自分のことしか考えられない自己中なのだろう。 「なぜ自分は認められたいのだろう」と考えていたら、それは、「褒められたい」のだ、と気がついた。 そう、私は母に褒められたかったのだ。 愛されようと一生懸命にいい子になって、逆らわないように頑張ったあの頃は、なかなか母の思い通りにはいかず、黙って叱られながらも私は、本当は褒められたかったのだなと、初めて気

          褒められたい

          同じ

          ジャガイモをたくさん入れ物に入れて、ごろごろかき回すと、お互いが揉まれて皮が剝けてくる。 私達も同じように、人との係わりの中で成長していく。被害者になったり、加害者でいることもある。 魂を磨きたいから、良い人ばかりでいたいというのは不公平で、時には嫌な役も引き受けねばならない。 でも被害者も加害者も、天からみれば平等なのだ。魂を磨くには、どちらがいい悪いはない。加害者が一方的に悪くもない。 大体、被害者がいなければ、加害者は存在できないのだから。 そして、人を傷つけ

          おしゃれ

          おしゃれ、と聞くと母を思い出す。 若い頃、好きで美術館に通いつめ、世界中の有名な画家の絵をいっぱい見て色を覚えた、とよく言っていた。 もともと、美的感覚も優れていて、身に着けるもの以外にも、食器やクルマまで、ハイセンスなものを選んだ。 あまり見たことない、ちょっと目を惹く、いかにもいいなぁと思う、綺麗な色と柄の生地を買っては、私達のワンピースやブラウスを作ってくれた。 それを着ていると、必ず、いいね、と褒められたから、幼いながら誇らしかった。 母は若い頃、会社に来て

          おしゃれ

          パン

          子供の頃からパンが大好きでずっと食べ続けてきたけれど、このところやめている。 専門店の飛び切り美味しい本格的なパンはもちろん、スーパーにある手ごろなものまで、私は何でも食べる。パン生地が好きなのだ。 でも、気づいたら食事もおやつも毎日パン、という具合で、さすがによくないと気づき、我慢することにした。 パンは、ご飯に比べて、胃に軽い感じがするので、つい手が出てしまう。ハードな味わいのものも、フワフワのお菓子のようなパンも、どれも美味しそうに思える。 たまごサンドや、クロ

          足の指は、いつも忘れがちだ。 靴下や靴に凝っても、足の指にはあまり注目しない。お風呂で体は入念に洗うのに、つま先や、足裏まで同じようには洗わない気がする。 でも、足指がなければ歩けないのはもちろん、自分の足で歩かなくなると、足の爪が指に巻き付き曲がって、爪が切り辛くなるのを、母を見て知った。 それ程足指は大切なのに、なぜそこまで気が回らないのだろう。 ぺティキュアをして、足を綺麗にみせることを、私はあまり好きではなかった。爪の為には、何も塗らないで、自然にしておく方が

          エチュード

          ショパンのエチュードを本当に久しぶりに弾いてみた。 練習曲なので、いわゆる指慣らしだけれど、さすがショパンだけあって、それぞれの曲が、美しくドラマチックだと思った。 昔、練習していた時は、テクニックばかりに目がいき、指使いなど面倒だなという気持ちが強く、しかも、ショパンのエチュードは、有名過ぎて面白くなかった。 でも、一度ピアノから離れてみると、今まで分からなかったことが見えてくるものだ。 ただの練習のために弾く、あの短い曲にそれぞれの世界を作り上げたショパン。 あ

          エチュード