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「業務上過失致死傷罪」から「危険運転致傷罪」へ

一般道で、車を自慢したいばかりに150km/hで爆走し、果てに大事故。同乗者へ取り返しのつかない重症を負わせながら「無罪」を主張・・・。

ご一読頂きたい。「危険運転致死傷罪」判決の難しさと被害者の苦悩を。そして私たちが教訓として学び、回避し、防止すべき加害者の愚かさを。


《記事の中から一部を引用》
被害者側の代理人として本件にかかわった名古屋の高森裕司弁護士は、今回の判決確定についてこうコメントしました。
「交通事故の大半を業務上過失致死傷罪としていた時代からみれば、被害者の方々の声の積み重ねで、ようやくここまできたという感じでしょうか。本件も、被害者側から検察官に意見し、被害者の声を法廷で明らかにしなければ、おそらく執行猶予だったと思います。しかし、まだまだ、これでいいというのではなく、特に危険運転が認定された場合の量刑については、これからも声を上げ続けないといけないと思います」


自身で「地獄」を見なければ分からない世界なのでしょうか? いいえそんな事はないと思います。

やはり、車は「走る凶器」としての認識を深めるべきでしょう。趣味やレジャーで車や運転そのものを楽しんでいる方や、仕事として毎日のように交通事情と交通社会に向き合っていらっしゃる方にとっては、「走る凶器」とは耐えがたく耳障りな言葉となることだと残念に思います。
私自身も「嫌悪」でしかありません。悲惨な交通事故を防ぐには、何処まで追求し言及する必要があるのでしょうか?遡り辿れば「交通社会」に溶け込むための「社会参加準備」、「人格形成」、「学び方、姿勢」、「教育機会」に欠落する部分があったと表現する他にありません。
一律一概に当てはめて事故原因や加害者を表現することは難しいですが、事故当時の車両や地理条件、環境に問題があるのではなく、その「ドライバー」そのものに、「人」として重大な「欠落」があったと言わざるを得ないでしょう。

このことは、人のほんの僅かな気持ち次第で交通事故を防げることを示していると云えるでしょう。人次第なのです。ドライバー次第なのです。

これを教訓とするならば、快適で素敵な空間を提供してくれる車を敢えて「走る凶器」と表現し、「悲惨な出来事」を「地獄」と捉えて、これらを恐れることで、自分自身を制御、自制する心を養うことがとても重要な課題となるのだと思います。しかし、人各々の価値観や程度の問題もありますので、なかなか難しい課題です。

言えることは、「我慢」や「泣き寝入り」することなく、被害者は「声」に出し、「言葉」しなくてはならないということです。

加害者にあっては、「浅はか」・・・。この一言に尽きそうです。



「学び」を深めたい。

「気付き」を得、「知識」を蓄え、「意識」を高めて、正しい「行動」に繋げたい。


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