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あこがれの「おばちゃん」。


幼馴染のお母さんが好きだった。
「おばちゃん」と呼んでいた。


保育士をしていて、やんわりとウェーブした髪を結び、キツネみたいに細い目はいつもニッコリ弧を描いていた。
小さなかわいい口で「◯◯ちゃん」とわたしを呼んでくれた。

「おばちゃん」は、わたしの憧れの母親像だ。
子どもの頃から好きだったが、親になった今はもっと素敵に感じる。
おばちゃんみたいな、お母さんになりたい。
わたしの目指す母親像は、まちがいなくこの「おばちゃん」だった。

うちの母にはなりたくない、というのではない。
うちの母親は、声がデカくて、眼力が強く、踊って歌うパワフルおばちゃんだ。
憧れのおばちゃんとは真逆タイプである。

しかし母は母で、尊敬できるところがたくさんある。
自分が母親になって、ようやく母の気持ちを想像したり、理解を示したりすることができるようになったので。
母の魅力はまたべつの記事にで語るとしよう。

今回は「おばちゃん」のターンである。

おばちゃんのすてきなところは、「子どもを尊重してくれるところ」だ。
尊重されてきた子どものひとりだったわたしが思うのだから、間違いない。

印象に残っているエピソードがある。
紅茶」の話だ。


当時、家が近かったわたしと幼馴染は、夕暮れのご飯時まで、長々とお互いの家に居座ることが多かった。

迎えにきた母も、そのまま夕飯の支度を忘れて、その場でおばちゃんと話し込む、なんてこともよくあった。
その日もうちの母は、幼馴染の家の椅子に座り込み、テーブルのお菓子をつまみながら、おばちゃんとのおしゃべりに花を咲かせ始めた。

帰らへんのかな。
遊び終えたわたしが、母の隣に腰かけると、テーブルにはお菓子と並んで、大人用のティーセットが出してあった。

金色の華奢な持ち手に、薄いピンクの花をあしらった美しいカップ。
受け皿にきちんとのせられ、金のスプーンが添えられている。
そばには、角砂糖の入ったかわいい小瓶が置いてあった。
どれも我が家にはない物だ、とおもった。

おばちゃんは、ちょっぴり乙女でアンティークなアイテムを好む傾向があった。
幼馴染の家には、ちょこちょこその片鱗が見えるアイテムが置いてあった。
洋風のドール、さびれた額縁の絵、フリフリしたレースカーテン、小花模様の家具。
まあそのほとんどが、暴れん坊の幼馴染によってクタクタのボロボロにされていたが。

そんなシルバニアファミリーみたいな家のティーカップは、幼いわたしにはたいへん可愛らしく、すてきなものに見えた。

これかわいいねぇ、とそわそわする。
いいなあ、うらやましいなあ。
赤く光る紅茶に、角砂糖をぽとんと入れて、あの金のスプーンでまぜて、飲んでみたいなあ。

そんなことをボソボソとつぶやく。
母が気づいて、ひと口分けてくれないかしら。
そう願いつつ、母をチラリと見上げたものの、母はそういう繊細な乙女心にまったくもって鈍感なので、わたしの声は無視された。
がっかり。でもまあ、仕方ない。
わたしはまだ、子どもなのだから。

あきらめて立ちあがろうとしたとき、思いもよらぬことが起きた。
「おばちゃん」である。


「◯◯ちゃんも飲む?」

おばちゃんは当たり前のようにそう言って、わたしのためにもうひとつ、ティーカップを用意してくれた。
そして、そこにふっくらしたポットの赤い紅茶を静々と注いでくれた。
きちんと受け皿に乗せ、金のスプーンを添えて、「はいどうぞ」とわたしの前に置いてくれた。
おとなの、お客様にやるみたいに。


それがもう、嬉しくて嬉しくて。

おとなと対等に扱ってもらえたことに、わたしの顔はぼうっと熱くなった。
そして、まるでどこかの貴婦人のような気持ちで、目の前のカップの華奢な持ち手を、そっと持ち上げ、口に近づけた。

おっと、角砂糖を入れるんだったわ。
わたしはふたたびカップを置き、角砂糖の小瓶をあけてもらった。
この辺で母が、図々しいぞ、という一声をかけてきたような覚えがあるが、もはやわたしには届いていなかった。

おばちゃんは、角砂糖をひとつとってくれた。
わたしはそれをぽちゃんとカップに落としてみる。
薄く赤い紅茶の中で、四角い角砂糖がじょわじょわと溶けていった。
おもしろい。
わたしは、もうひとつ角砂糖をもらって、またカップに落とし、溶けるのをじーっと見つめ続けた。
おばちゃんは、そんなわたしをにこにこ眺め、何もなかったかのようにうちの母と話を続けた。

これで、大人の女性の一員だ。
そんなことを考えながら、わたしは優雅に紅茶を飲んだ。
子どもながらに、早く大人の女性になりたいという思いがあった。
でも、どうしたらそうなれるのかも分からず。

でも、おばちゃんはそれを叶えてくれた。
大人とおなじ、紅茶を淹れて。

「子どもはジュース飲んで、あっち行ってなさい」
そうやって、アンパンマンのカップにストローを差して、しっしっと追い払われていたら、こんな気持ちにはならなかっただろう。


おばちゃんは、わたしを「ひとりの存在」として認めてくれた。
その場にいたい、同じことをしたいという気持ちを尊重してくれた。
それが、とっても嬉しかったのだ。

そんな「おばちゃん」が好きだった。



「大人として扱われたい」というのとは真逆の話になるが。
おばちゃんは、「子どもの世界観を尊重する」のもうまかった。


当時、わたしと幼馴染は2LDKのアパートに住んでいた。
どの家庭も同じつくりなので、お互いの家は勝手知ったるの状態。
だからわたしたちは、互いの家のどこもかしこも遊び場にしていた。
台所でも、寝室でも、押入れの中も。

わたしは特に、幼馴染の家の寝室が好きだった。
二段ベットがあって、押入れに布団がぎっしり詰まっている。
そこに潜り込んだり、布団を出してジャンプしたり、やりたい放題。

その押入れで、「ゲゲゲの鬼太郎」ごっこをよくしていた。

なんで鬼太郎だったんだろ。
そんなに好きだったわけでもない。
セーラームーンごっことか、他にも色々流行りがあったはずなんだけどな。

でもなぜか、わたしと幼馴染の遊びラインナップには、「ゲゲゲの鬼太郎」が並んでいた。
わたしは猫娘、幼馴染は鬼太郎。
よく、敵に捕まっていた。
もちろん、架空の敵だ。
脱出劇を演じるのが定番だった。



「おばちゃーん、わたしら捕まってんねん」

押入れに立て籠もったわたしがそう言うと、様子を見に来たおばちゃんは笑って、
「じゃあその押入れは、牢屋だね」と言ってくれた。

そして、「捕まってる感じにして!」というわたしたちの意見に頷くと、おばちゃんはPPロープを持ってきてくれて、わたしと幼馴染をゆるーく縛ってくれた。

縛られた鬼太郎と猫娘は、はたして牢屋から無事に脱獄できるのか!
おばちゃんのひと工夫で、脱出劇をよりリアルになり、わたしたちは大いに盛り上がった。

そんなことが、日常茶飯事だった。

思えば、布団を押し入れから出して、めちゃくちゃにして遊ぶなんて、親からすればめんどくさいことしか起こらない。
部屋に埃が舞うし、布団は汚くなるし、片付けは力仕事だし。

でもおばちゃんは、一切イヤな顔もせず、わたしたちが布団を出して遊ぶのを手伝い、「鬼太郎ごっこ」に付き合ってくれた。

アパートには、さまざまな家族がいて、たくさんの「おばちゃん」がいた。
どの「おばちゃん」もみんな優しかったけど、ここまで子どもに向き合ってくれたのは、幼馴染のお母さんである、この「おばちゃん」だけだったとおもう。

「おばちゃん」は特別だった。
でもそれは、幼馴染と唯一の同い年であるわたしだったからなのかもしれない。

わたしにとって「おばちゃん」が特別だったのはもちろん。
おばちゃんにとっても、わたしはちょっと特別だったんじゃないだろうか。



それを確信したのは、長男出産のときだ。
おばちゃんは、わたしが長男を出産したと聞きつけて、十数年越しに会いに来てくれた。
親族でもないし、幼馴染とすらほとんど会っていなかったにもかかわらず、わざわざ母づてに連絡をとって、お祝いも持って来てくれた。

お互い顔を見合わせ、おばちゃんに「おめでとう」と言ってもらったとき。

なぜか、無性に泣きたくなった。

誰に会っても、どんなお祝いをしてもらっても、「泣ける」と思うことはなかった。
でも、おばちゃんだけは。
「ありがとう」の言葉が詰まった。

なぜかおばちゃんも、うるうると目に涙を浮かべていて、わたしと同じように口と眉をへの字に曲げた。

「おばちゃん!なんかわたし、泣きそうやわ!」
すこし茶化しながらそう言うと、おばちゃんも「わたしも」と笑った。

わたしたち二人の心が通じ合ったかのように、涙を浮かべるすぐ横で、「あんたら何泣きよるん?」と白けた顔をしていたのが、わたしの母である。
このひとは良くも悪くもほんとうに、こういうことがピンとこない人なのである。
母らしい、とも思う。





長くなった。
あれこれたくさん思い出があって、書きたいことが山ほどあった。
ずっと「この人のことだけは書きたい」と思っていたのが、「おばちゃん」だった。

「おばちゃん」は、何度か大病を患い、体のあちこちを悪くした、と幼馴染から聞いた。
そのたびに、ああ行かねば、お礼に行かねば、という焦りの気持ちがわいてくる。

遠いし、おいそれと連絡を取り合える仲でもないのだが。
どうかどうか、わたしがもう一度会いに行けるその日まで、まだまだ元気でいてほしい。

次に出会ったら、紅茶の話をしてみよう。
押し入れで遊んだ鬼太郎ごっこの話も。
ほかにも覚えていること、ぜんぶぜんぶ。

「おばちゃん」なら。
きっと目を細めて笑いながら、何度もうなずいて聞いてくれるだろう。

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