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「子どもらしさ」を否定しないって難しい。


子どもの頃、よくカレーを作った。


ごくごく普通の具材で作った甘口のカレー。
野菜を煮込んで、最後にルーを入れる。

容器の蓋を剥がして、6つに割れたルーを取り出すと、小さなルーの破片がいくつか容器に残っていた。


小さい頃、このルーの破片をつまんで、そのままパクッと食べていた。
濃厚なカレー味が美味しい。
粉のじゃりじゃり感が歯にこびりついて、それが癖になる。

本当は、ルーはそのまま食べちゃダメだと分かっていた。
でも、食べてみたかったのだ。
「出来心」だ。

咎められると思ったので、お母さんが見てないうちに、パクッと食べた。
お母さんは、何も言わなかった。


こういう、子どもの純粋な「出来心」を揉み消すのってもったいないよなぁと思う。

わたしは、カレーのルーのみならず、塩も、バターも隠れて食べていたが、母は咎めてこなかった。

塩は、癖になる味だが、何度も食べているとだんだん喉の奥に甘さと辛さの混じった味が広がってきて、水が欲しくなる。

バターは、めちゃくちゃ美味しいのだが、3切れくらい食べると、急にムカムカして次に進めなくなる。

覚えているのだ。
しょーもないけど。

子どものときの出来心。
いたずらな好奇心。
親に隠れてこっそりと、冷蔵庫を開けた時のあのドキドキは、いつまで経っても忘れない。
あのときの高揚感は、子どもの頃にしか味わえないだろう。
カレーも塩もバターも、それを手に取るたびに思い出す、特別な記憶だ。


つまみ食いや、水たまりに入っちゃうのも「出来心」のひとつといえるだろうか。

その行動には、「子どもらしさ」が詰まっている。
だから、本当はしてほしくないことでも、そういう子どもらしい言動をピシャリと否定しない親でありたい。



小さい子どもの汚い言葉もそうだ。
「うんちー!」とか、「おならぶー!」とか。

私個人としては不快だし、「言わんといてくれ」と思うが。
我が子がそれを家で叫んだとき「そういうこと言わないよ!」と、頭ごなしに否定しないように気をつけたい。

息子は、悪意を持って「うんちー!」と叫んでいるわけではない。
ただ、おもしろいだけなのだ。
その言葉が、口から出るのを楽しんでいるだけなのだ。
ふざけているのだ、心から。

それを頭ごなしに否定されたら?
お母さんうるさいな。冗談通じへんな。
そう思われても仕方ない。 

何より、私の一言で「子どもらしさ」が失われるのがおそろしい。


最近の息子は「♪おならぶーぶーぶりぶりぶーぶー!」という謎の歌を歌う。
リズムがクセになる名曲で、聞くと「園でお兄ちゃんが歌っていた」とのこと。

お兄ちゃん、なんちゅう歌を歌ってくれとんねんと思う。
でもそんな歌を歌うお兄ちゃんを見て、真似する息子を想像すると、なんだかおかしい。


やめてよー、汚い歌やなあ!
外でだけは歌わんといてな。

笑いながらそう言うと、息子はニヤニヤと「どおしてー?」と笑う。
つくづく、子どもらしいなあ、と思う。



でも、このさじ加減は難しい。
許容できない場面もある。
マナー、しつけ、ルールがあるかぎり、いつどこで何をしてもいいわけではない。

先日、息子がプリンを食べていた。
グチュグチュ口の中で混ぜて食べるのがおもしろいようで、「お母さん聞いとってなー」とグチュグチュする。

気持ち悪いし、行儀も悪い。
食べ物も粗末にされている気がする。
これはよくないかな。
そう思って、やめるよう伝えた。

息子は「えー、なんで?」としばらくもだもだしていたが、つまらなそうな顔でその場はやめた。
母として「心を鬼にする」という場面は、こういうところなのかなあと思いつつ、大好きなプリンタイムが荒んだ空気になって、私もちょっと落ち込んだ。


何をどこまで「アリ」にするのか。
親次第、わたし次第なのが悩ましい。

汚い言葉も否定しないと言ったが、暴言だけは許さない。
息子はまだあまり強い言葉を知らない。
だからきっと、悪意なくそれを言うことがあるだろう。
でもそれは、はじめから「よくない言葉なんだよ」と教えるしかない。

無知な「子どもらしさ」には、おとなが教えることが必要なのだ。



なんでこんなことを書いたかというのも。
最近この子どもらしさの否定と、しつけの境界がよく分からなくなってしまったからだ。

特に、ごはん。
最近長男は、ご飯を食べている時、足をあげたり、ぐねぐねしたり、変な食べ方をしたりと行儀が悪い。
いちいち言っていると、ほんとうに口うるさい母になってしまって、食事が全然楽しくないのだ。

次男に気を取られている私の気を引きたいだけかもしれない。
椅子が座りにくいのか、あるいは疲れているだけかもしれない。

そう思って、話題を変えたり、「やりたくなるの分かるよ」と声をかけてみたりするも、なかなか変わらず。
イライラが募って、一緒に食べるのをやめたくなるのだ。


「子どもらしい」を受け止めるって、難しい。
大人として、親として、寛大な心でゆったり笑ってやりたい。
しかし同時に、きちんとマナーも伝えたい。

その狭間で揺れ動く日々だ。


それでも私は、長男の「子どもらしさ」をいちばん大切にしたい。
それを心に留めておきたくて、ここにつらつらと書いておく。


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子どもに教えられたこと

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