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アイナ・ジ・エンドさんの「宝者」の手話について外国語話者として思うこと

アイナ・ジ・エンドさんの「宝物」のミュージックビデオで手話のシーンが悪い意味で話題になっているらしい。私は手話はできないが、トリリンガルである。手話を一つの言語と捉えている私はこの話題について私の思うところを書き残したい。

問題となっているのはこのシーンである。

この手話を模した振り付けが「手話が消費されている」と批判を一部で集めているようだ。音を聞こえない人からすると、このシーンは音を伝えてくれるわけでもなく、ただのパフォーマンスであり、健聴者の自己満足であると捉える方もいるようだ。これを見て『手話歌』を勘違いしないで欲しいという意見もある。

手話はろう者という障害者の言葉であるためセンシティブな話題であるように捉えられるかもしれないが、精神障害者の立場である私からすると、「障害者」であっても同じ人間として扱われたいし、他の障害者を同じ人間として扱いたいと思う。
よって手話を特別視するのではなく、この世界にある一つの言語として捉えている。ろう者であっても必ずしも手話ができるとは限らないという事実も、私の考えをsupportしている。
耳が聞こえない、というだけでも先天的に聞こえない方と後天的に聞こえなくなった方でまた手話に対するスタンス等は違うと思うし、音楽を楽しめるか/楽しめないかも大きく差が出てくるところと考える。

もちろんMVにしっかり監修をつけて「通じる手話」を使用すれば今回のような批判はなかったと思うし、この作品のクオリティを上げたと思うし、社会的意義が生まれたと思う。しかし、そうならなかったからといって手話が"消費"されたと考えるのは少し違うのではないか。
もちろんアイナ・ジ・エンドさんが手話を学んでいるという事実が今回のMVで混乱を招いたことは否めなくて、そこに問題が発生しているとは思う。手話をエンタメ化するな、というよりは手話じゃないものを手話として扱うべきじゃないという話にはなるのだと思うが、これが誰かの"せい"とは感じないし、このMVに"悪意"を見出そうとするのはちょっといかがなものかと思った次第だ。健聴者に"利用された"感があったり、これを「ろう者」に「理解がある風のパフォーマンス」に映ったり、あるいは障害者の言葉を芸術に"昇華"させることを偽善と捉える方も少なくはないと思うが、前述したように、私は手話はあくまでもこの社会に存在する言語という"ツール"の一つに過ぎないと思っている。

私の意見を的外れと感じる方もいらっしゃるかもしれないが一応聞いてほしい。
私はトリリンガルである。私は日本語の歌を聴いて、初めて英語などの外国語が入り混じった歌を聴いた。西洋圏では全編英語、または自国語であることが多く、日本のような「言語のちゃんぽん」にはなっていないのが一般的だ。
私の好きなアーティストには英語だけでなくドイツ語を歌詞に入れ込む方もいる。正直言って発音は全く褒められたものではないし、文法もめちゃくちゃで言葉選びも良くないことが多い。それでも私は彼らの音楽を嫌いではないし、私が育った国の言語や文化に強い関心を寄せてくれていること、好意的に見てくれていることはありがたいことだ。
彼らが外国語を歌詞に取り入れることは単なるパフォーマンスで、それ以上でもそれ以下でもない。そして今回の"手話になっていない手話"もそうだ。ただのパフォーマンスである。しかしそれをパフォーマンスにされたからって気分を害していては心がいくつあっても足りない。これを"センシティブ扱い"するのはいかがなものかと思ってしまうのだ。私の感想は不誠実だろうか?

この騒動はアヴリル・ラヴィーンの"Hello Kitty"がリリースされた時にアメリカで「日本文化を消費している」と批判された騒動を思い出す。

彼女は親日家でハローキティのファンであることで知られている。そんな彼女がハローキティを題材に"Minnna Saikou Arigato Kawaii"の日本語詞を入れ込んだ曲に合わせて日本でロケをし、原宿ファッションのダンサーやエキストラを引き連れ街を練り歩く姿は日本人からは好意的に映った一方で、アメリカでは「文化盗用であると批判された。

アリアナ・グランデは自身の楽曲"7 rings"にちなんで手に「七輪」とタトゥーを入れると世界からその間違いのせいで笑い者にされただけでなく、これもやはり「文化盗用」と批判された。

タトゥーは「指」という字を加えることによって間違いは修正されたが、彼女への批判はやむことを知らず、親日家で日本語を勉強していた彼女が、日本語学習をやめると宣言するまで追い込まれた。

私はこういう時、当人を悪者に仕立て上げるのは得策でないし、何より「盗用されているとされる文化」の側にいる人間にとってもメリットがないと考えている。今回の「宝物」のMVに話を戻すと、これはろう者たちは好機と捉えた方が良い。「こんなの実際の手話じゃない」「間違っているからやめろ」とだけ言うのではなく「本来の手話歌はこんなものだよ」「せっかく流行っているから本格的なやつを見て」「手話であの曲を表現するとこうなるんだよ」とか、もっと生産的な声をあげて、これをチャンスに手話への理解を深めてもらう、楽しんでもらう方が双方にとって、そして社会にとってメリットになったのではと思う次第だ。
アリアナ・グランデも「日本語の勉強はやめろ」という声よりも「日本文化を好きでいてくれてありがとう」「もっと日本語を学んで上達して、また日本に遊びにきてほしい」という声が彼女に届いてほしかった。

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