見出し画像

小説|腐った祝祭 第ニ章 24

前 小説|腐った祝祭 第ニ章 23|mitsuki (note.com)


 従業員が二人で運んできた、ピンク色の革に金の金具のトランクを見て、カレンは多少うんざりしたような表情を見せた。
 そして、ドアを大きく開いて、二人を部屋へ通す。
 その後からサトルも部屋に入った。
「その辺りでいいよ」
 二人はソファーの後ろに荷物を置く。
「ご苦労様。ありがとう」
 サトルは二人に紙幣を一枚ずつ渡した。
 従業員は一礼して、速やかに部屋を出て行く。
 ドアが閉まる。
 カレンが言う。
「チップの習慣はないんじゃないの?ここ」
「普通はね。でも、私はここの宿泊客じゃないのに、彼らに用を頼んだんだからね。次に顔を合わせた時に逃げらたら悲しいだろう」
「なるほど。そういう訳。よかった。今まで私が嫌な客だったのかと思ったわ」
「心配いらない。君の支払う料金にはちゃんとサービス料が含まれてるから。それで、そのトランクが気に入らないのかな?」
「気に入らないわ」
 初めて会った時のような、嫌みっぽい口調でカレンは言う。
「ピンクなんて、私絶対選ばない」
「そうか。しかし、家にはそれしかなくてね。可愛いだろう。ナオミにと思って買ったものなんだ。使う機会はなかった」
「そう」
 と、興味無さげに言うと、カレンは隣の部屋に姿を消した。
 戻ってくると、手にパスポートを持っていた。
 それをサトルに差し出す。
 サトルは受け取った。
 大事に内ポケットへしまう。
 だが、既に偽造ではないような気もしていた。
「明日には返せると思うよ」
「そう。お願いね。じゃ、おやすみなさい」
「カレン。これからレストランに行かないか?ここの最上階の。眺めがとてもいい」
「ごめんだわ」
「夕食はすんだのか?」
「まだよ。でも、あなたと二人で食事なんかしたくないの」
「そう言うな」
「ねえ。あなたは私を追い出そうとしていたのよ?」
「初めはね。でも、今は君と」
「私はナオミじゃない」
「…判ってる」
「悪いけど、彼女の意識は完璧に私を離れたわ。あのお屋敷にいた時、あなたに優しい気持ちを抱いたのは自分で判ってる。でも、今日ここに来てから、身も心も軽くなった気分よ。すっきりして気分がいいの。同時に、あなたへの興味もなくなった。残念だけど、今の私とでは、あなただって食事なんかしたくない筈よ。二人で出かけても途中で喧嘩になるのがおちね」
「喧嘩にはならないよう心掛けるよ」
「可哀相な人。もう、ナオミはここにいないのよ」
 改めて聴くと、なんて残酷な言葉だろう。
 サトルは言葉につまり、言葉を探す振りをした。
 思っていることを言葉に表そうと努力しているように。
 それが上手くいったかは判らない。
 本当は何も頭に浮かんでいなかった。
 少し離れた場所の床を見つめ黙っていると、しばらくしてカレンが言った。
「新婚旅行には行かなかったみたいね」
 サトルは顔を上げた。
「判るのか?」
「これはベラに聞いたのよ」
 カレンはあきれたような、同情するような表情をしていた。
「そうか……。ナオミの両親の許しをもらって、正式に結婚してから行くつもりだった。一ヶ月くらい、国外のいろんな土地を旅して回る予定だった」
「残念だったわね」
 興味のない人間の身の上話を、仕方なく聞いてやっている人間の口調だった。
 しかし、それでもサトルは不快に感じなかった。
「初めに何処に行くかでもめていたんだ。結局決まらずじまいだった」
「そう」
 サトルは、それでも行き先はだいたい決めていたんだと言った。
 あとは各地での滞在日数と順序を決めるばかりだった。
 ナオミが楽しみにしていた場所、自分が楽しみにしていた場所を教えた。
「二人で行く予定だったの?」
「初めはそのつもりだった。けど、クラウルがうるさく誰かを連れていけって言うからね。クラウルともう一人連れて行こうと考えていた。ミリアがいいと思っていたけど、彼女の方がクラウルとじゃ嫌だと言い出すかもしれないなって、ナオミと話をしていたんだ」
「そう」
 カレンはゆっくりと歩いて、こちらに背を向けているソファーに座った。
 サトルも歩いて、その前に回りこむ。
 カレンは腕組みをし、足も組んだ。
「食事に行こうよ」
 カレンは嫌だと言うように首を振り、サトルを見上げる。
「あなたの期待には応えられないの。そのうち私が何かを喋り出すと思ってるんでしょうけど、無駄よ。あきらめて」
「それでもいい」
「どうして?」
「理由は判らないが、君がナオミを知ってることには違いなさそうだから。君と話をしていれば、ナオミを感じていられる気がする」
「やめてよ。多分、あなたに話しただろう事の半分も覚えちゃいないわ」
「構わない」
「私自身に興味があるの?」
 サトルはわずかに首を傾げた。
 痙攣を抑えたような動きだった。
 そんなこと考えた事もなかったからだ。
「それは、判らないが」
「違うようね。正直に言っていいのよ。ナオミの影を見なければ、君にはキスしたいとも思わなかったって」
「……先刻はすまなかった。謝るよ」
「ええ、いいの。あなたが悪い訳じゃないし、服ももらったし。もちろん、トランクももらって帰るわよ。趣味じゃないけど」
「いいよ」
「ねえ、聞いてもいい?」
「なんだい」
「あなたのお屋敷には十二人も女中さんがいるのね。若い娘が多かったわ」
「ああ。みんな住み込みだからね。結婚が決まったらみんな辞めるんだ。数人は通いでも私は構わないんだが、結婚相手が辞めるように頼むらしいよ。今までで三人、結婚退職している」
「そりゃそうよ。あなたの家で女中の仕事なんか、夫なら誰だって心配するわ。十二使徒に囲まれて、羨ましいわね、閣下。選り取り見取りじゃない」
 カレンはわざと憎まれ口をきいている風だった。
 サトルは落ち着いて言う。
「言っておくけど、私は使用人に手を出したことはないよ。それは私の主義に反する。褒められた人間ではないが、自分なりにモラルは保っているつもりだ」
「あら、そう。ごめんあそばせ」
 どうやらサトルを怒らせて、早く帰るように仕向けているらしい。
「あのお屋敷は本当に面白いところだったわ」
「どういう風に」
「落馬で骨折して引退したジョッキーだの、身寄りのない老庭師だの、興味深い人たちばかりなんだもの」
「またそれか。別にいいじゃないか」
「よく集めたものね」
「君がどうしてそんなに詳しいことを知っているのかを聞くのは、旅券の鑑定を終えた後にするよ」
「それがいいかもね」
 どうでもいい、と言う口調だった。
 それでもサトルは怒る気にはならなかった。
「どうしても食事には行きたくないようだね」
「ええ。やっと判ってくれた?」
「判ったよ。大人しく帰るとしよう」
「おやすみなさい。さまよえる子羊たちによろしく」
 サトルは答える代わりにかぶりを振った。
 カレンは立ち上がり、ドアまで見送ってくれる。
 お別れに何かひとこと言おうと思い、カレンの顔を見たが、適当な言葉が出てこなかった。
 すると、カレンが言った。
「助けて欲しい?」
 サトルは答えなかった。
「今夜、あなたは目を覚ますわ。真夜中に。そうしたらベッドから降りるの。そして部屋を出て、厨房に行きなさい。でも、あなたはそこでお酒を飲んではいけないわ。酔って庭で眠ったって、今の季節じゃ朝になれば目が覚めるもの。あなたは貯蔵室の扉を開けるかわりに、調理道具の棚を開けるのよ。一番上の、左から三番目の引き出しを開けなさい。答えはそこに入ってる。おやすみなさい」
 カレンは言って、自分からサトルの頬にキスをしてやった。
 そして最後に言った。
「さようなら」
 ドアは閉められた。
 サトルは帰りしなに警察署により、カレンのパスポートの鑑定を依頼し、大使館へ帰った。


次 小説|腐った祝祭 第ニ章 25|mitsuki (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?