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小説|青い目と月の湖 18

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 ハンスの話しによれば、彼女が母親以外に出会った初めての人間がハンスだったのだ。
 クロードは二番目だ。
 他人との会話に慣れていない彼女には、長ゼリフ過ぎたようだ。
 クロードはマリエルを慌てさせないよう、落ち着いた様子を心掛けてその返事を待った。

「その、文書として、残っている訳ではありません。当家の歴史書、歴代史のようなものはありません。言葉通りの言い伝えです。私は母から聞き、母は祖母から聞いたんです。自分たちが魔女の一族であること。湖に守られていることを」
「君は先ほどから母親の話はしているけど、父親の話はしないんだね。父親に会ったことは?」
「ありません」
「話を聞いたことはあるのかい?」
「ありますが、詳しいことは聞いていません。名前も知らないんです。母は、あまり詳しい話をしたくないようでしたから、私も聞きにくかったんです。母が死んでからは、もう少し聞いていたらよかったと思ったけれど」

「そう。すまない。立ち入った話を聞いてしまったようだ。ところで、私が思うに、君は魔女ではないね。特殊な環境で続いてきた一族ではあるが、人間以外の魔性の生き物なんかでは決してないし、外見的にも内的にも一般人と何ら変わるところはないようだ。私は魔女が住むという噂だけを聞いていたから、ハンスが月の湖に行くことには反対していた。しかし、君が普通の女の子だと判って安心したよ。もちろん、あの森は極端に動物の姿を見かけない特殊性があって、その原因について私は知り得ないので、ハンスがこの先もあの森に入ることには反対なんだが、ハンスと君とが知り合ったことは大いに喜ぶべきことだと思っている。君は友人を得ることが出来たし、私たちも魔女が住んでいるという誤解を解くことが出来たんだからね」

「あの……」
「なんだい?」
「私は、魔女ではないのですか?」
「私は違うと思うよ。何らかの事情、旧時代におそらく何かのトラブルが、君の一族に起こったのだろう。そして一族を守り継承していく為に、自らを特殊な環境に置く必要があったんだ。もちろんそれは私の推測に過ぎないが、間違ってはいないと思う。君の一族はその為に至極閉塞的な生活をしてきた。それに従い、時代を経るにつれて、周囲の村や町の君の一族についての知識が伝説的なものに移行していった。そして現在に至っているということだろう。君は小さな頃から自分を魔女であると思っていたんだから、急にこんなことを言われて、私に不審を感じるかも知れないね。でも、別に私の言うことを鵜呑みにする必要はないよ。今すぐ私の言うことを受け容れろと言っているんじゃないんだ。これは私の見解で、偶々ハンスの友人であり、君と今こうやって出会うことが出来たからそれを素直に話しただけなんだ。君がそれでも自分を魔女だと思うとしても、私が文句を言う筋合いではない。ただ君が自分の存在に悩んでいたり、家に縛られていると感じていたりするのなら、私のこの見解を利用することは非常に有益じゃないかな」

「有益……」
「つまり、君には自由があるということだよ」
「自由」
 クロードはマリエルを見て長々と話していたが、その大半はハンスに向けたものでもあった。
 魔女であるという彼女の告白に動揺しているハンスに、彼女が普通の人間であると説得したかったのだ。
 そして次に、マリエルへの説得に力を入れることにした。
 マリエルは神妙に、クロードの話に耳を傾けていた。
 
「そう、自由だ。君は出来るだけ城を出ないようにと教えを受けているが、それはもう昔の話だ。こう言っては失礼だろうが、あえて言わせてもらうなら、君の家はもう、ほとんど衰退している。いや、この言い方にも酷く遠慮があるね。忌憚なく言えば、滅亡したも同然だ。何しろ、子孫は君一人なんだからね。どういう理由があったのか、魔女などと言うものをそこに持ち出した為に、いつしか後継者がたった一人になったにも関わらず、君の一族、それはいつの頃からかたった一人になってしまった訳だが、それはその状況を不自然なものとは考えなかった。むしろ、かえって当然のように考えただろう。人気のない森の奥の、美しい湖にそびえる城に、たった一人の魔女が住んでいる。それは全く絵になる話だとは思わないかい?ずっと昔の先祖が作り上げた特殊な環境に、子孫たちはすっかり染まってしまったんだ。私はそれ以外に考えられないと思っている。だから、君は、いつでも自由に生きることが出来るんだよ。言い換えるなら、自由に生きなければ、今度は返って一族の危機が訪れることになるだろう。私は魔術師だ。望んだ訳ではないが、少なからず人々の臨終に立ち会っている。悲しいことだが、人の命は儚いことをそれで教えられた。どんなに正しく、惜しいと思われる人でも、その命を人間の思いのままに扱うことは出来ない。君はまだ若いが、その君でさえ、いつその人生を終えるか判らないんだ。不吉なことを言うようで申し訳ないが、君が近いうちに死ぬようなことがあれば、それで君の一族は完全に滅亡するんだ。それはきっと、当初の思惑の最も外れた場所にあることだと思う」

「つまり、私は自由だと……。つまり、今では、自由を手に入れることこそ、先祖の望みに近付くのだと、おっしゃるんですね」
「そうだね。無論、君の混乱は想像がつくよ。ただ、今まで長らく君の一族は、君を含めて、他人の意見を聴く機会もなかっただろう。この私の意見を、君がどう解釈するかは、それも君の自由だ。私は今、君に対する私の思いの全てを提示した。ハンスに抱いている私の友情の故にね。それを無視するのも君の自由だが、出来ることなら、じっくり考えてみて欲しいと思う。決して、慌てる必要はないんだよ」

 マリエルはゆっくりとハーブティーのカップに視線を落とすと、それを手に取って、何口かを飲んだ。
 そしてテーブルに戻し、おもむろに言った。
「私、自分が不自由だとは、あまり思った事がありませんでした」
 ハンスは、いたわるような目付きでマリエルを見ていた。
「自分が、魔女ではないとも、思った事はありませんでした」
「すまなかった。慌てたのは私の方だったかな。君にこの先も会えるかどうか判らないから、つい急いで喋りすぎてしまったようだ。許してほしい」
 マリエルは首を横に振り、ハンスが言った。
「会えるさ。今度からはもっと会えるよ。ねえ、マリエル?またここに遊びに来るよね?」
 マリエルは頼りなげに微笑んだ。
「そうね。魔法使いさんが、いいと言ってくれるのなら」
「いいよ。いいに決まってるよ。ねえ、クロード。いいでしょ?」
「ああ、いいとも。ハンスの友人なら誰でも歓迎するよ」
「ほらね」
「ありがとう。あの、聞きたいことがあるの」
「なに?」
「あなたは、あなたたちは私を少しも怖がらなかったけれど、村の人はどうかしら?私はきっと、怖がられると思うわ」
「そんな事ないよ」
 子供らしく言い切ったハンスに、クロードは苦笑いをして言った。
「いや、あるだろう」
「どうして?話せば判るよ」
「村には迷信が浸透している。お前が説明してそれを信じてくれる者もあるだろうが、まあ、大半は信じないだろうな」
「どういう意味?バカにしてるの?」
「バカにはしていないが、お前は時々単純すぎる。マリエル。残念だが、君がいきなり月の湖から来ましたと言って村に現われたら、それはもう、たちまち騒動になってしまうと思うよ」
「何だよ、クロード。先刻は自由だって言ったくせに!マリエルが村に行くのだって自由じゃないか!」
 息巻くハンスをなだめるように言う。
「自由だよ。ただ、それには幾らかの作戦が必要だ」
「なに?作戦って」
「城に住んでいた本人だなどと言ってはいけない。これは仕方ないよ。下手をすれば、魔女狩りなんて物騒な話しに発展しかねないからね。それがどんなに困った事態か、お前にも判るだろう」
「……判るよ。そんなの困る」
「マリエル。君が村に行く気があれば、私はあらゆる点で手を貸すことを約束しよう。でも、自分が魔女だという話は秘密にするしかない。それは理解してもらえるよね?」
「ええ」
「よかった。迷信であっても、村では月の湖に近付いてはならないというルールがある。何処かのこましゃくれたガキが最近ルールを破ったみたいだが、それだって、村に知られたら大変なことなんだ」
「何だよ、こましゃくれって!」
 ハンスは椅子から降りて、クロードに飛び掛かってきた。
 クロードは首を伸ばして、顔をつかもうとするハンスの手から逃れる。
 マリエルがクスクスと笑うのが判った。
「さてと」
 クロードは立ち上がり様に、逆にハンスを掴まえると、薪でも集めてきたように脇に抱えた。
 ハンスは驚いた。
 そして、赤くなってバタバタと手足を動かし暴れだした。
「離してよ、バカ!」
「お前、そろそろ帰る時間じゃないのか」
「だったら離してよ!」
「そこまで送ってってやる」
「いいよ!降ろしてったら!」
 クロードは構わず、マリエルに微笑んで玄関に歩いた。
 マリエルはクスクスと笑いながら椅子から立ち、クロードの後に続いた。


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