朝倉未来のカリスマ性について考える

 格闘家、朝倉未来という男の人気、カリスマ性はどこから来るのだろうか、というのを少しだけ考えてみたいと思う。

「格闘家」と形容したが、Youtuberでもあり実業家でもある。現在は『Breaking Down』という、賛否両論をよび、常に話題性の絶えないコンテンツを世に放ったプロデューサーでもある。その他、さまざまな事業にも手をつけているとのことで、多才ぶりを発揮している。

 朝倉未来が『RIZIN』で活躍し始めた頃、格闘技ファンは熱狂を持って彼の存在を受け入れた。『RIZIN』に登場する前は、格闘王・前田日明が主催する『THE OUTSIDER』で二階級(60-65kg級、65-70kg級)王者となっている。『THE OUTSIDER』のコンセプトは日本中から「暴走族、ギャングのリーダー、力自慢」を集め、天下一武道会をやってしまおうという、前田日明のプロデューサーセンス光るものであった。地下格闘技の走りでもあり、今の『Breking Down』の前身ともいうべき興行で、プロではないが腕っぷしに自信のある「ヤンキー」たちにスポットを当てたということで一部のファンから熱狂的な支持を集めていた。

 2000年に入り、格闘技の人気自体は下火であった。『K-1』『PRIDE』といったメジャー格闘技興業の全盛は90年代であり、この人気を支えていたのは、ほとんどが海外勢という「未知なる強豪」たちである。『K-1』はピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ジェロムレ・バンナ、ミルコ・クロコップらがいて、『PRIDE』には、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリコ・ノゲイラ、ヴァンダレイ・シウバらがいた。

 そんな中、日本人のカリスマ的存在もそれぞれの興業から排出され、山本“KID”徳郁、魔裟斗、桜庭和志、五味隆典らが活躍した。ゴールデンでのテレビ中継などを通して、一般層にも認知されるくらいのブームを作っていた。

 やがて、キー局が『PRIDE』のスポンサーを降り、全国中継もされなくなったことにより、格闘技は冬の時代といってもよいくらいの時期をむかえる。再び、マイナーなジャンルへと引き戻されてしまったのだ。

『THE OUTSIDER』はそんな格闘技の冬の時代に、密かな人気コンテンツとなっていた興業である。ヤンキー出身、喧嘩だけが強く、素人でもある選手が、プロ格闘家の知名度を上回るという事態がこの時すでに起きていた。

 プロ団体は、『修斗』や『DEEP』、『パンクラス』などがあるにはあったが、『PRIDE』なきあと、格闘技マニアのための格闘技興業として細々と存続する他なかった。残念ながら、一般層を巻き込んでのムーブメントは、起きていない(と思われる)。

 この構造は、『PRIDE』が、GoogleやYahoo!のようなプラットフォーマー、『修斗』や『パンクラス』などは「専門メディア」と例えるとわかりやすいだろう。専門メディアは、その専門性にこそ特化しているものの、一般受けは少なく、広いトラフィックを得るならGoogleに依存する他ない。Googleがないとビューも稼げない。そのGoogleがなくなってしまう、そんな状態が、格闘技業界における『PRIDE』喪失の意味である。

 2015年、『PRIDE』の後継として、『RIZIN』が発足する。当時の『RIZIN』は新たなカリスマ選手を創出するのに必死だった印象がある。すでに『UFC』という世界最大の総合格闘技団体で活躍していた堀口恭二を逆輸入することで、堀口を『RIZIN』のスター選手に位置付けようとしていた。そんな中、『THE OUTSIDER』出身の朝倉未来が『RIZIN』でのデビューを果たし、日沖発やリオン武といった『修斗』の猛者を破ることで、一気に注目を集めた。

『THE OUTSIDER』出身者が『修斗』の猛者を破る。格闘技ファンにとって、これはきわめて衝撃的なことであっただろう。プロ集団の『修斗』の選手らからみれば、『THE OUTSIDER』は話題性はあったものの、アマチュア格闘家でしかなかったからである。

 これをきっかけに、『RIZIN』における朝倉未来のプロモーションが加速した。かつてのレジェンド、ヴァンダレイ・シウバの弟子でもあるルイス・グスタボを破り、さらには山本“KID”徳郁の愛弟子でもあり、『RIZIN』が次世代の日本人スターとしてフォーカスしていた矢地祐介も破り、朝倉未来の存在・人気を不動のものにした。

 朝倉未来の成り上がりストーリーは、日本人男性を魅了するのに十分な要素を持っている。若い頃、地元では手の付けられない不良で、バトルジャンキーであったという。毎日喧嘩に明け暮れ、不良同士の抗争においては、タイマンで負け無しと、まさにヤンキー漫画の主人公を地で行くような壮絶な人生を送っている。少年院にも行っている。このままでは一生犯罪者になってしまうと危惧した友人の勧めにより、『THE OUTSIDER』にエントリーし、格闘家としての人生を歩むようになる。『THE OUTSIDER』でその能力をいかんなく発揮し、満を持して日本のメジャー格闘技団体である『RIZIN』でのデビューを果たし、期待通りの躍進を見せる。

 その後は、Youtuberとしても活躍、実業家としての才能もいかんなく発揮し現在に至る。

 誰しもが、というわけではないだろうが、男性であればアウトローへの憧れというものが少なからずある。いつの時代にも、ヤンキー漫画や、ギャング映画というものが、男子にとって人気コンテンツであるのも、そのような理由によるものだろう。

 朝倉未来という存在は、そんな漫画や映画の世界を、地で体現しているような男なのだ。そんな背景もあり、朝倉未来はあっという間にスター選手となり、その影響力は今なお続いている。

 格闘技というジャンルには、単純な強さだけではない「幻想」に酔うためのサイドストーリーが必要であると私は考えている。朝倉未来の人気は、試合以外のこのサイドストリーが、いかに重要なものかを示している。単純に試合で勝つだけではダメなのが、プロ興行の世界なのである。

 フィジカルの能力を見る、そのこと自体に楽しみを見出すのであれば、オリンピックやアマチュア競技がある。だが、プロ興行となると話は別である。プロにおいては、チケットを売れるスターやカリスマの存在は不可欠である。ボクシングにおいても、相撲においても、そのような時代を象徴する英雄が必ずいた。これはなにもボクシングや相撲に限ったものではなく、プロ野球においても同じだろう。

 この興行論を言語化していたのは、おそらくプロレスにおけるアントニオ猪木ではなかっただろうか。アントニオ猪木は、プロレスを、ボクシングや他のスポーツのようにメジャーなもにしたいという野心もあった。そのため「メディア」を徹底して利用していた。メディアを通して、視聴者が何を思うかどう思うか、を知り尽くしていた男の一人ではなかっただろうか。

 日本の総合格闘技の源流には、間違いなく、このプロレスの存在がある。アントニオ猪木の思想の根っこにあったものから、前田日明や佐山聡に分岐し、『UWF』という格闘プロレスの流れが生まれ、『修斗』や『RINGS』『パンクラス』といったプロ格闘技団体を生んだ。その『RINGS』の流れから、『K-1』や『PRIDE』も位置付けられるのである。『PRIDE』でスターとなったヒョードルやノゲイラといった選手は、もとはといえば前田日明が海外でのスカウト活動で発掘し『RINGS』にあげていたのである。前田日明は、アントニオ猪木の興行論、エンタメと格闘技の理論を明確に受け継いだ、唯一の後継者ではないだろうか。その前田が『PRIDE』後に『THE OUTSIDER』を興し、朝倉未来、そして弟の朝倉海といった「朝倉兄弟」を見出したのである。

『週刊プロレス』の編集長であったターザン山本氏は「読むプロレス」を提唱していた。試合を観戦するだけではなく、『週刊プロレス』のような情報誌を読ませるための仕掛けともいえるが、ファンはこれらの事前情報をキャッチアップすることで、選手のひととなりを知ったり、ライバル選手との対立や抗争の背景を知り、試合に感情移入するのである。

 プロ興行には、そのようなファンが「読む」ための仕掛けが不可欠である。その「読む」ことを通じて、ファンは幻想、幻影というものを作っていく。もちろん、それはたんなる幻想であってはダメで、試合における実績、強さの証明もセットである。その実績の積み重ねにより、幻想はどんどん大きくなっていく。そうして一人の「カリスマ」が生まれるのである。

 今の格闘技は、この「読む」ということから離れつつあるといってよい。いや、正しくは「読む」方法が大きく変わったというべきか。言うまでもなく、かつてのような「雑誌」「新聞紙」の役割が薄れ、現代のファンの情報キャッチアップは、XやYoutubeといったSNSに移行しているからだ。

 朝倉未来が、今なお、スター・カリスマとしての位置を保持しているのは、彼が格闘家で一番最初に、このSNSを意識的に活用し、セルフブランディングのために駆使したことが大きい。以来、格闘家の主戦場は、リングだけでなく、SNSが不可欠となったのである。このムーブメントを作ったという意味で、朝倉未来は、格闘技新時代のパイオニアである。

 ただし、膨らんだ幻想は、実績が伴わないと破裂してしまうのも早い。格闘技における「最強幻想」は、強さを示し続けてこその幻想でもある。
 朝倉未来も、次第に試合に負けるようになってしまった。明らかに格下である選手にも敗れたことで、その幻想もついに潰えたか、というところであったが、実際は、彼はそこからまた、ますますファンの注目を集めるようになった。ファンは朝倉未来が負けて涙した姿に感情移入し、彼がまた立ち上がってくれる姿を期待したからだ。「路上の伝説」という最強幻想のストーリーから、また別のサイドストーリー、朝倉未来の「第二章」へと移行していったのである。

 その意味で朝倉未来は、一人だけ違う次元にいったといってよいだろう。もはや、勝敗だけが彼の人気・価値を決めるのではなく、彼自身の「人生」が幻想の対象になっているのである。朝倉未来は、格闘技の要素(勝負論)だけではない、「読む」要素としての「プロレス」的なものを同居させているという点で、ひときわ、他の選手やアスリートとは異なる魅力を放っている。
 この意見にはもちろん賛否があることはわかっているが、彼に匹敵する、あるいは代替する存在がいるかどうか。現在の格闘技界を見渡しても、首を傾げる他ないのである。

 朝倉未来がこの「読む」格闘技に意識的であるのは、SNSの駆使だけではなく、彼がプロデュースする『Breaking Down』というコンテンツにも現れている。『Breaking Down』は、試合以外の「オーディション」によっても再生回数を稼いでおり、「オーディション」というサイドストーリーこそが、ファンを惹き付けるということを意識的に行い、徹底させることで成功を収めているといってもよいだろう。
 こうして朝倉未来は、一格闘家という枠を超えて、興行プロデューサーという存在としても能力を発揮しはじめた。

『Breaking Down』のコンセプトは、自身が世に出るきっかけとなった、かつての『THE OUTSIDER』を受け継いでいる。朝倉未来は、前田日明によって見出されたが、彼自身が意識していようといまいと、彼は明らかに前田日明の系譜を継ぎ、体現している存在といえる。一プレイヤーとしてだけでなく、興行主としての才覚も現わす。これは非常に稀有なものである。このことは、今は見えにくいものになっているかもしれないが、時が経てば、歴史として示されるものになってくるはずである。

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