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『フィッシュ・アイ・ドライブ』第8話:消えたフェラーリ

 アキラはスピードを緩め、八潮のインターチェンジで降りる。

「八潮って、確かカルト宗教のアジトがあったとかで有名よね」

「そんなことまでよく知っているな」とアキラは変に感心する。

「隠れるにはちょうどよいかもね」
 
 希虹はそう軽口を叩くと、ククと声を立てて笑った。

 アキラはウインカーを出し、県道に出る。土地勘がまったくないので運転も慎重だ。閑静な夜の田舎町に、高周波なフェラーリのエンジン音が響き渡り、ちょっと気が引けてしまう。

 とりあえず希虹の服を買うのが先決問題であったが、時刻は午後十時になろうとしていた。

「ダメだ、ワークマンもしまむらもユニクロも、どこも営業時間終わり」
 
 希虹はスマフォで店を調べるのだが、空いていそうな店がない。夜の都心と異なり、町の灯りは僅かであった。町自体がもう眠りについている。そんな感じであった。人は光がないとすぐに心細くなってしまう生き物だ。

「こんな田舎町、久しぶりに来たな」

 アキラは不安をかき消すように呟く。希虹はそれには反応しない。

 しばらく一本道を走っていると、希虹が「あ」と声をあげる。

「ちょっと遠いけど、三郷の方に行くと、MEGAドンキがある。すごいじゃん、そこ行こう!」

 MEGAドンキで、希虹が着れそうな服を数着と、下着を何枚か買うことになった。女ものを買いに行かされるということでアキラは渋ったが、「仕方ないじゃん、こんな格好でわたしに外出ろっての?」と希虹にまくし立てられ、それもそうかと従うことにした。

 とはいえ、いざ店に入ると、服はともかく、女性用の下着を買うのにはやはり躊躇いがあった。一度は車に戻り、やっぱり無理だわ、と希虹に告げたのだが、「あんた今のこの切羽詰まっている状況わかってる? そんな羞恥心どうでもいいわ」と一刀両断され、結局買いに戻ることになった。

 意を決してアキラは、せめて目立たないものでと、地味なベージュ色のブラとパンツのセットを数セット、レジで店員の前に差し出した。

「何これ、あたしにジャージ着ろっての?」

 服を手に取るなり、希虹は文句を言った。アキラが買ってきたのは黒のナイロンジャージの上下セットと、Tシャツ数枚とハーフパンツであった。それから帽子も似合いそうだと思い、白い無地の帽子も買ってきた。

「仕方ねえだろ、何が好かとかサイズとかもわからねえし。ジャージとかは何かと無難だろ」

「ジャージって、ヤンキーじゃないんだから。それに何この下着。わたしのことババアだと思ってる? そりゃ三十路手前だけどさ、こんな下着選ぶかね」

「選り好みしている状況じゃねえだろ。気に食わねえなら自分で買ってきな。金は渡すから」

 アキラは少しキレ気味の口調で言い返した。

「まあいいわ。ちょっと車の中で着替えるから、どっかで煙草とかでも吸ってきなよ。あ、道中長いからさ、煙草、カートンで買ってくれる? わたし、本当はKOOLのメンソールしか吸わないんだわ」

「ったく」アキラは呆れ、また店の方へと戻っていく。

 アキラがしばらくして車に戻ると、着替え終わった希虹が、煙草を吸ってふんぞり返っていた。

「似合ってるじゃん、ジャージ」

 運転席に乗り込んだアキラはそう言って、希虹の姿をまじまじと覗き込む。女子のジャージ姿は新鮮でもあり、可愛らしかった。無地の帽子を深々と被っている感じもよかったので、アキラは改めて「いいね」と感嘆の声をあげる。

「何それ、バカにしてるの?」

 希虹は素直に受け止めてくれないようだ。

「こっからどうすっか? 腹も減ったし、酒も飲みたいんだろ? 飯屋探すか」

「あんたも飲むの?」

「え、ダメ? そのまま運転しろってこと」

「できるだけ今日のうちに、あいつから遠ざかりたいけどね」

「まじかよ」
 
 アキラはさすがに、こっからノンストップはしんどいわ、と項垂れる。

 希虹はしばらく考え込んでいたが、

「まあいいか。もうこんな時間だし。飲んで、車中泊して、朝出発すればいいよね。やつも警察に追われてることだろうし。すぐには、うちらに辿り着くことはないね」

 しばらく、周辺をぐるぐる走るのだが、空いている飲食店が少なかった。

「駅前いかないとなさそうね」

「店もそうだけど、こいつを長く停められる場所見つけねえと」

「駐車場なんてどこかしらあるでしょ」

「コインパークじゃダメなんだ。車高低いから」

「めんどくさい車だよね」

 そう言いながらも希虹が駐車場を探してくれていた。

「新三郷駅の方に、ららぽーとがある。屋内、24時間だって」

「よしきた! それだ」

 ららぽーとがある新三郷へと向かい、360スパイダーは無事に停めることができた。

「こんな田舎町に、フェラーリは不釣り合いだな」

 アキラは車から降りると、「俺たちのガソリン入れてくるから暫く待っててくれ」と360スパイダーに話しかけながら、ボンネットを掌で撫でる。それを見ていた希虹が、「あんた車に話しかけてるの?」と手で口をおさえる。

「こいつは俺の愛馬なんだ。生きてるんだぞ」とアキラ。

「げー、ひくわ」

 ららぽーとから少し歩いた新三郷の駅前には数件、まだ開いている店があった。二人はチェーン居酒屋に入った。客はまばらであったが、学生の集団と、仕事終わりなのか、頭にタオルを巻いた土方姿のいかつい人らが、畳席で飲んでいた。

 アキラと希虹は窓際のテーブル席に案内された。

 まずは二人とも生ビールを頼み、ジョッキをあわせる。

「ふー、生き返る」「しあわせ―」

 二人して声を揃えたので、思わず笑ってしまった。心の底から出てきた言葉であった。文字通り、死に物狂いのカーレースをやってきたので、生きているということへの喜びの実感も、ひとしおであった。

「なんか、変な感じだな。ついさっきまで赤の他人だったのに。今じゃ、運命を共にする同志みたいな感じだもんな」

 アキラは少し照れ笑いしながら、ジョッキを口に運ぶ。

 希虹は、はーっと大きくため息を吐くと、「男って単純だよね。そうやって、すぐロマンチックに解釈しようとするよね」

「そういうつもりじゃねえけどさ、事実じゃんかよ」

「まあ、いいよ。そう思ってくれる方がわたしには都合がいい」

「なんだその言い方、人の恩をなんだと思って――」

「あんた、わたしに付き合っているのを、恩を売っているとでも思ってるの? 勘違いしない方がいい。あんたはもう奴らからもロックオンされてるのよ。当事者意識持たないとね」

「ロックオンって、別に俺はあいつらからしたら何でもないだろう」

「何でもないわけないじゃん。わたしの逃亡を手助けしてるんだから。まあ、それが運命共同体っていうなら、それは正しいね」

「やな運命共同体だわ」

 希虹はお腹が空いていると、次から次へと料理を注文する。シーザーサラダ、串焼き、手羽先、チョリソー、刺身盛り合わせ、だし巻き卵と順番に運ばれてくる。

「よく飲むなー」とアキラが驚くように、酒を空けるペースも早い。しまいには、赤ワインをボトルで頼みだす。それでも、まったく酔った様子がないから、アキラはこりゃあバケモンだわと舌を巻いた。

 アキラは、酒は好きで、それこそ若い頃はシャンパン、テキーラとさんざん雑な飲み方をしてきたが、決して強いというわけではない。飲みすぎると、人が変わってしまうように暴力的になってしまい、周囲に迷惑をかけてしまうことがたびたびあったことから、今はセーブしながら飲んでいる。

 お腹が空いていた二人は、来た料理をひたすら貪るようにして食べていただのが、落ち着きを取り戻したところで、アキラが口火を切る。希虹がどうして博多から東京へやってきて、祖父が商売にしていたという水中ストリップを始めたのかを、改めて聞いてみたかった。

「なんていうのかな、お祖父ちゃんのやっていたことを、残したいって思ったのかもしれない。それこそ、お祖父ちゃんから、うちの家系の話を聞いていたらさ、そういうお祖父ちゃんの志のようなものを受け継ぎたくなったというか――」

 普通の会話のやりとりで、つい空気を読めない発言をしてしまうのは、昔からのアキラの悪いところであった。そう自覚しているにも関わらず、天然でそれをやってしまうところが、アキラにはある。

「人前で裸になるって、どういう感じなの? 俺、そういうの職業にしている人の気持ちとかまったくわからなくてさ。聞いてみたいんだよな」

「アダムとイブじゃないけど、裸が恥ずかしいっていうのはさ、後天的に刷り込まれた観念なんだよ。 後天的なものだからさ、人によっては状況によって抵抗を無くすことが原理的に可能なわけ」

 希虹の口調が明らかに不機嫌そうとわかり、アキラはしまったと舌を出す。

「私の場合は、裸が恥ずかしいというのはないよ。ある種、アートと考えてるからなんだけど、まあいいや、こんな話、あんたにしてもしょうがないわ」

 説明するのもアホらしいというように希虹は語るのを諦めた。

「ごめん、軽口が過ぎたわ。プライド持ってやってる仕事だもんな」

 すると、希虹が突然飲んでいたグラスを、机に叩きつけるようにして置いた。

「あんた、いちいちどこか上から目線なんだよね。その蔑んだような物言いなんとかならない? だったら、あんたはどんな立派な仕事をしてるのよ」

 気まずい空気になった。そこからは、凍り付いたような時間が続いたが、希虹はそんな空気に構うことなく、赤ワインを飲み続けた。

 そろそろ眠くなってきたと希虹が言うので、会計をして、千鳥足で駐車場に戻った時であった。

 少しふらついていた希虹の少し前を歩いていたアキラが、突然発狂したように叫びながら、走り出したのであった。

「嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ」

 アキラはそう連呼しながら、同じところを旋回していたかと思うと、膝から崩れ落ちていくのであった。

「どうした一体?」と後ろから希虹が声をかける。

 理由がすぐにわかった。

 停めていたはずの360スパイダーが、影も形も無くなっていたのであった。


続く


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