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『フィッシュ・アイ・ドライブ』第7話:ノアの方舟

「わりい、俺がバカなせいか、脳の整理が追いつかないわ」

 希虹(のあ)から、思わぬ話を打ち明けられたアキラは、戸惑いを隠しきれなかった。

 とにかく北上してほしいということで首都高を走らせていた360スパイダーは、スカイツリーの見える墨田区までやってきて、あと少しで都内を抜けるというところであった。

「無理もないわ。そんなこと、歴史の本には一切書かれていないし、学校でも教わるものでもないから」

「魚人族?っていうんだっけ? そんなの初めて聞いた。日本人て一つの民族なのかとずっと思ってたわ」

「まあ、それが現実よ。みな、そうやって教育されて大人になっていくんだから。太古の日本には、鬼とか天狗とかだっていたの」

「あんたの話だと、そういったものは、化け物とか妖怪とかにされて語り継がれてたってことか」

「そういうこと。そういう古の種族が、日本列島にはもともといたのよ。魚人は、その起源ともいうべき存在」

「で、その血を引いているのが――」

「わたしたち、箱崎家の人間よ」

「で、なぜかあんたの血が狙われている」

「古の種族は、あとからやってきた新しい種族に追いやられてしまった。その新しい種族こそが、ヤマトの人間。あんたたち、現代の<日本人>よ。あんたたちが習っている、日本の歴史っていうのは、基本的にはヤマトの歴史っていうことは知っておいた方がいいかもね」

「それはそうとして、あんたが狙われている理由ってのは?」

「だから順番に話すって。なんでそうやってすぐに答えをほしがるワケ?」

「そうですか。すみませんねえ」

 アキラは希虹に怒られながら苦笑する。

 スカイツリーが次第に遠ざかっていく。

 希虹は、残り僅かとなったアキラの煙草に手を出す。さっきから人の煙草を断りなく勝手に吸うのであった。

 希虹が吐き出す煙はどこか崇高な感じがした。学生の時、レゲエのボブ・マーリーの姿を見ていてもそう思ったことがあったが、煙草の煙とシャーマン的なものは切り離せない。

 希虹の語りは、まさにそんな現代のシャーマンが語っているような感じにアキラには思えた。だが、その内容があまりにも、アキラが知っている世界の日常からはかけ離れているため、ついていくのがやっとであった。

 希虹が受け継いでいる箱崎家の血は魚人族の血。それは、この日本列島から消滅しつつある古の種族の血。

 しかし、箱崎家には、もっと重要な秘密が隠されていたのだという。

 そのことを、希虹に教えたのは彼女の祖父であり、その祖父が他界する前に、病床で告げられたのだという。

「古の種族を束ねていた王。神様みたいな人ね。これが、スサノオ様。スサノオ様は、日本の神様ということだけじゃないのよ。世界の四大文明ってあるでしょう? エジプト、メソポタミア、インダス、中国。これらの大陸の文明を興した祖こそがスサノオ様。ある意味、人類の祖ね。そのスサノオ様が海を渡って、日本にやってきて、縄文人として、古の種族として根付いたの。ヤマトに追いやられる前の話ね。それから、ヨーロッパの方ではこのスサノオ様の子孫として、白人の祖先でもあるアーリア人種がいたんだけど、その子孫の一人こそが――」

 アキラはすでにもう理解が追いついていない。希虹の言葉は、異世界の話、宇宙語のようにさえ聞こえてくる。

「その子孫の一人こそが、ノアよ。大洪水時代に方舟を作ったノア」

「へ?」

「わたしも、パパから同じ名前をつけられた。でもこれはたんにパパがそうしたかっただけというわけでもないらしいのよ。私は、そのノアの生まれ変わりなんだって、死ぬ間際のお祖父ちゃんに教えられた」

「待ってくれ。日本の神様とか、旧約聖書とか、もういろいろ混乱して頭に入ってこない」

「いいよ。ディテールは無視してくれて。この辺はある程度歴史の教養がないと無理な話よ」

 希虹は嫌味のように言う。アキラはまたもや教養がないと言われ、少しむっとなる。俺だって大卒で、起業してCEOをやっていたんだぞと言い返したくもなったが、虚しくなるだけと思ってやめた。

「とにかく、私がそのノアの生まれ変わりということで、その私のことをつけ狙う、国際組織があるってことよ」

「国際組織だあ?」

「そう。魚人の血を引き、かつノアの生まれ変わりでもある、箱崎希虹という人間の血を求める、カルト集団というのがいて、こいつらがどこにいるのかは分かっていないんだけど――」

「待て待て、なんだよ。カルトって。急に話が胡散臭くなってきたぞ」

「信じるか信じないかは、あなた次第よ」
 
 希虹は、都市伝説語りで有名なハローバイバイの関暁夫の台詞を真似する。自分でそう言いながら、何がおかしいのか、勝手に吹き出している。

「冗談冗談、でも、カルトって言ったけどさ、はるか昔から魚人信仰っていうのはあるのよ。それこそ、旧約聖書にも出てくるペリシテ人が信仰する、ダゴンという神は、半魚人の神。古代のシリア、パレスティナで広く信仰されていたと言われる」

 アキラは再び、話についていけなくなる。この女の知識は一体どこからくるのだと思う。

「キリスト教くらいは知ってるよね。これも、魚人ではないけど、初期のキリスト教が魚を信仰していたというのは有名な話よ。彼らの隠れシンボルには「イクトゥス」ってのがあって、イクトゥスというのは、ギリシャ語で「魚」を意味するの。弧をなす二本の線を交差させて魚を横から見た形を描いて、その魚の象形の中に「ΙΧΘΥΣ」という文字が刻まれていた。ΙΧΘΥΣは、魚の意味であると同時に、ΙΗΣΟΥΣ、ΧΡΙΣΤΟΣ、ΘΕΟΥ、ΥΙΟΣ、ΣΩΤΗΡ、ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救世主」の頭文字を並べたもの」

 希虹による難解な話は続く。

「日本も、まさにわたしたち魚人こそが、もともとこの列島に住み着いていた種族ってのはさっきも話した通り。で、その後、新しい種族のヤマトに追い出されるんだけどさ、じつはそのヤマトの王でもある今の天皇家ね。これは絶対に政府は認めないけどさ、この天皇家も、わたしたち魚人のご先祖様から分岐したという話もあるくらいよ。それはともかく、今もなお、この魚人を信仰する集団というのは世界中にあってね。私はそんな国際組織に追いかけられている。でも、彼らがどこにいるのか、実態はよくわかっていないの。それこそ、フリーメーソンみたいな連中よ」

「あんたの元カレだっていう黒服の男もその一味ってこと?」

 アキラが口を挟む。

「厳密には、あいつは組織に雇われているだけだと思う。プロの殺し屋なんじゃないかな」

「殺し屋? で、あんたはその男とどういう関係なんだよ、元カレって言ってたけど、どういうことだよ」

「元カレってのは嘘よ」

「え? 嘘?」

「そう、まったく知らない」

「なんだよ。あんな状況でよくそんな軽口が叩けるな」

「ねえ、どう思う?」

「何が?」

「今話した私の話よ。これでもまだ胡散臭いとか思ってるんじゃないでしょうね」

 アキラは、ちらと横を振り向き、大きく首を振った。

「俺は難しいことはよくわからねえけどさ、あんたと一緒にあの男に命を狙われたのは紛れもない事実だ。あんなの、俺が普通に生きていたら絶対に出くわさない。でも、出くわした。あんたの言うことは、間違いないんだろうな。俺の常識の物差しでははかれないことが、この世界にはあるってことを俺は学んだよ」

 アキラが大真面目な顔をして口にしている姿を見て、希虹は思わず声を立てて笑った。涙目になっていた。

「何がおかしい」

「ごめんごめん。なんか嬉しくなって。私の話、信じてくれる人、いるんだって。誰もこんな話信じてくれる人いなくて――」

 希虹はそう言うと笑うのをやめて、とたんに沈んだ顔をしながら外を見る。

「雨降ってきた・・・」 

 見ると、フロントガラスにも、水の雫がポツリポツリと叩くようにして落ちてきた。

「くっそ、雨か。逃げ出さないとな、大洪水がやってくる前に」

 アキラが言うと、希虹がまた吹き出すようにして笑った。

 車は東京を抜けて、埼玉の八潮までやってきてた。

 アキラは、これ以上この女と関わりたくないと思っていたのだが、女の話を聞いているうちに、そういうわけにもいかなくなった。

「しゃあねえな、俺も仕事失って暇だから、あんたについていくよ。どこに行けばいい」

 アキラはそう言って希虹の方を見る。

「この辺で休んでいかない? なんか疲れてきちゃったし、お酒が飲みたくなってきたよ」

「あいつ追いかけてこないかな」

「まあ、すぐにはわからないでしょう。いいんじゃない、少しくらい。先は長くなりそうだし。それに、わたし、服や下着も買わないと」

 希虹はそう言って羽織っていたバスローブの裾を指で撫でる。
 
 そういえば、この女は素肌にバスローブを一枚羽織っているだけなのであった。

「ああ、そうだな。どう考えてもそんな恰好じゃ変質者だ」

 アキラはそう言って大きな口を開けて笑う。

 

続く

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