柄谷行人におけるスピノザ

私は、柄谷行人を通して、バルーフ・デ・スピノザという哲学者を知った。柄谷行人がスピノザに言及していたのは、90年代、柄谷自身の思索の対象が文学、文芸批評から、哲学的なものへ移行していった時期であると思われる。彼が、自身の論考のベースにスピノザを明確に置いていたのは、『探求2』のころである。その後は講演録である『言葉と悲劇』、主要論文集の『ヒューモアとしての唯物論』の中でも、しばし言及がなされる。

しかし、スピノを軸にして展開していた論考は『探求2』が圧倒的である。とりわけ第二部の「超越論的動機をめぐって」は、ほぼスピノザ論といってもよいくらいの内容だ。私はこの『探求2』を読むことを通じて、スピノザ思想の異質性と、唯一無二の独自性を間接的に知ることとなり、そこからスピノザのテクストを直接的に読むようになり、スピノザ研究の本へと関心を広げていった。当時、柄谷行人自身のスピノザに対する思い入れは、それなりのものであったと考えられる。

したがってスピノザの姿勢は、ある意味では非常に楽天的であると同時に、とても厳しい、きついものです。「完璧な人間」ということは、途轍もなくきついことだと思います。スピノザがいたということは、僕を勇気づけてくれるのです。

(柄谷行人『言葉と悲劇/「スピノザの無限」』より)

柄谷行人は、文芸批評家としてキャリアを出発し、その関心を文学にとどまらず、ゲーデルのような数学や、言語学、科学、建築、哲学的なものにまで論考の対象の幅を広げていたので、哲学研究者やアカデミズムからは、文芸評論家が何を言っていやがる、といったような、どこか疎まれているような感じがあった。

私が学生だった当時、大学教授らに柄谷行人を読んでいると話をすると、なぜか嘲笑されるという、時代の空気感が確かにあったのだ。一方で、知的なものへの欲求と血気盛んな学徒にしてみれば、柄谷は言論空間における圧倒的カリスマとしての存在でもあったから、アカデミズムの大人たちからは妬みのようなものも働いていたのだろう。
もしかしたら、柄谷行人は当時の自分が置かれている自身の状況を、スピノザに重ね合わせていたのかもしれない。

もっとも、柄谷行人はその後スピノザに依存することなく、次の展開としてスピノザ的な役割をカントへと移行していった(『トランスクリティーク』)。トランスクリティークは、群像で『探求3』として連載していたようだが、その連載の中で、スピノザからカントへの移行の軌跡がすでに現れていたようだ。(参照:https://martbm.hatenablog.com/entry/20180510/1525878365

それにしても、カントをスピノザ主義者としてとらえる、というのはカント解釈の中でも異質なのではないだろうか。なぜならカント自身は、スピノザ主義を仮想敵として、『純粋理性批判』『実践理性批判』を書いていたとさえいえるのだから。しかし、それにも関わらず、晩年のカントが、最後にしつこく言及していたのがスピノザであった、ということは最近の研究で明るみになってきている(福谷茂『カント哲学試論』)。

それ以降、柄谷自身の関心はスピノザがどう、カントがどう、マルクスがどうということではなくなった。「交換様式」という概念を発明した柄谷は、『世界史の構造』『帝国の構造』『世界共和国へ』『世界史の実験』、そして『力と交換様式』に至るまで、「交換様式」をベースにして世界史を形作る「資本‐国家‐ネーション」の構造を分析するという仕事に精力を傾けるようになった。

柄谷自身のスピノザへの関心がどうなっているのは、むろん知る由もない。近年の著作では『哲学の起源』において、イオニアの哲学者と並べてスピノザが登場するのだが、そのことに対して当時、國分功一朗がどこかで異様に興奮していたような気がする。(柄谷と國分は『atプラス』にて、<『哲学の起源』を読む>という対談を行っている)。
ちなみに、私が國分功一郎に親近感を抱くのは、彼がスピノザ研究者であると同時に、熱心な柄谷行人の読者であるからかもしれない・・・

いずれにしても、柄谷行人が私に与えてくれた、スピノザ観は、私のその後の思索や読書における関心のベースとなっているのは間違いない。
先に私は、アカデミズムから柄谷行人は疎まれていると表現したが、これはあながち間違いではあるまい。
その後、私はさまざまなスピノザ研究者の本を読んできたのだが、柄谷行人に言及しているスピノザ研究者は、國分を除いて、ほとんどいないことに驚いた。同年代で歳もさほど離れていない、現代のスピノザ研究の第一人者である上野修と柄谷行人が交わっていたというスリリングな事実も、今のところ見受けられない。
唯一、柄谷行人と浅田彰が主催していた、伝説の批評誌『批評空間』において、スピノザをめぐっての上野修と小泉義之の対談記事があったり、『現代思想』のスピノザ特集に、柄谷行人の記事と上野修の記事が並ぶ、というのはあったのだが、今のところ、これくらいしか探し当てられていない。

しかし、柄谷行人にせよ上野修にしろ、今、両者の著作を読みスピノザ研究の本にも触れてきた私が思うところでいけば、柄谷行人が捉えていたスピノザ思想のコアな部分は、研究者たちが捉えているものと、さほど遠いもではない、ということはわかる。研究者から見て、柄谷が素っ頓狂なことを言っていたり、自分の論理のために都合よくスピノザ思想を解釈しているというわけでもなく、「根」の部分では、やはり、スピノザの思想自体が持つ<凄み>というものは共通、ということだけは確かなのだ。

スピノザにとって「共同体」の思考は、想像・表象・物語にほかなりません。しかし、彼はそれを間違いであるとしてただ斥けるわけではないのです・・・われわれはそういう条件のもとに生まれている以上、それを否定することはできないし、いわゆる自由意志は、それ自体が想像にすぎない。可能なことは、そのような状態そのものを一つの自然必然的な条件とみなして、そのメカニズムを把握しようとすることでしかありません。しかし、そのメカニズムを把握したところで、世の中が一変するというのでもなく、そのような「知性」の活動において、われわれはそのかぎりにおいての「自由である」ということです。しかも、この「知性」はけっして恣意的な意志ではありえない。なぜなら、それは「無限」の自然に根ざしているのであり、いいかえれば、「社会的」なものから来るからです。

(柄谷行人『言葉と悲劇/「スピノザの無限」』より)

スピノザの企ては、こんなふうにして世界の説明にまで進んだ。すべては神の本性の必然性から出てきて真理空間の実質を成している。われわれは文字通りその一部である。スピノザの至ったこの結論、倫理学において重大な帰結を伴っていた。神にも人間にも「自由意志」は存在しないということ、これである・・・(中略)・・・スピノザの面白いのは、この自由意志の否定が「実生活のためにいかに有用であるか」を強調しているところである・・・自由意志の否定は生き方にかかわる。倫理、エチカ。

(上野修『スピノザの世界』より)

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