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希望の大学に行けず、友達もろくに作ってこなかった私が、最高の友人に恵まれた話

 私は今年の4月から博士課程に在籍する大学院生である。本記事では大学に入学してから現在に至るまでの人間関係の変化について書きたいと思う。

 今でこそ博士課程にまで進学しているので、大学への在籍期間は一般的な方々よりもかなり長くなっている。しかし、私は現在の大学を志望していたわけではない。目標としていた大学があったため、一年浪人して受験勉強をしたが、結局そこにはたどり着けずに現在の大学に入学した。そういった経緯もあったため、大学入学後は学問ではだれにも負けたくないと思い、友達もろくに作らずに勉強に力を入れていた。周りにいた学生はレベルが低いと感じていたので、いわゆるキャンパスライフには微塵も興味がわかなかった。アルバイトは小遣い稼ぎに多少していたが、路地裏の小さな喫茶店で働いていたので、友人を作るような環境ではなかった。当然、サークルや部活動には所属していなかった。

 勉学に対して真摯に取り組んでいたのは間違いなかった。手前味噌な話が続くが、優秀学生として表彰を受けたり、留学をきっかけに英語を本格的に学び、今ではバイリンガルと堂々と名乗れるレベルにまで上達したり、勉学に向き合った日々のおかげで将来の目標が持てたため、友人を作らなくても十分に学生生活を満喫できていた。

 大学院に進学する際に専攻を変えたため、大学院入学時には周囲に知り合いすらもいない状況になった。そんな折、修士課程在籍時の2年間は大学の所有する国際学生宿舎なるもので生活した。そこは留学生が居住する宿舎だが、一部私のような日本人も居住していた。日本人がいる目的は、留学生のために日本の行政のややこしい手続きの補助(留学生でも国民年金の学生納付特例が適用される!)をしたり、共同生活を通じて相互理解を深めたりといったことが目的である。さて、私はこの生活を通じて異文化交流か何かに期待していたかというと、そんなことはなかった。ただ、留学生の補助をする名目で家賃が2割ほど引かれたり、水道・電気が固定料金制で家賃に含まれていることに魅力を感じたというだけのことであった。そもそも、私が入居した当時はコロナ禍であったため、留学生はほとんど住んでいなかった。

 そんな状況に変化が訪れたのは、昨年の10月、コロナ禍以降で初めて交換留学が再開されたことだった。アジア・ヨーロッパを中心に一気に50名もの学生が宿舎にやってきた。私はとりわけフランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパからの学生と仲良くなったのだが、彼らのエネルギーはすさまじかった。毎晩のようにビールを飲んだり、毎週のようにどこかに出かけて夜を明かしたり、、彼らの有り余る元気は私の日常に新たに光を差し込んだ。

 ところで、交換留学生というのは学部生が中心なので、大学院生の私からしてみるとほとんどの方々が年下であった。特にヨーロッパから来た学生は、今回が初めての海外経験という方も多かった。はるばる日本までやってきて、見るもの感じるものすべてが初めてという環境の中で成長していく彼らの姿は宝石よりも輝いて見えた。私が研究室から帰宅し、彼らの学んだこと、経験したことを聞くのは、どれだけ辛い日々が待っていても乗り越えられるだけの力を与えてくれた。いつしか彼らは私にとって弟や妹のような存在になっていた。私は、彼らのためにできることなら何でもしたいと思っていた。彼らもまた、少しづつではあるが私と打ち解けていってくれた。

 しかし別れはやってきてしまう。交換留学は半年あるいは一年と期間が定められているため、昨年10月に来た学生は、今年の8月末までには全員帰国することになっている。別れが近づいた今、私はとても感傷的になっている。これまでの人生でも別れは多くあったが、今までに経験したことがないような感情を味わっている。おそらく、これまでの別れ、例えば卒業式などでは、これから始まる新たな人生への興奮の方が大きかったのだろうと思う。ただし今回、私は見送る立場である。私は大学でできた初めての友人たちを見送らなければならない。そして現実的に考えれば、彼らと会うことはもうないだろう。

 運命のいたずらが夢にも思わなかったような出会いを与えてくれた。彼らとの出会いは、私に勉強では学べない価値観を教え、人として成長させてくる機会をくれた。こんなにも素敵な友人に巡り合えたことなど、いったいどうすれば考えられるというのだろうか。彼らと過ごしたすべての瞬間が私の人生の宝物となっている。ともに笑い、語り合った日々に「ありがとう」と伝えたい。彼らの今後の成功をどんな時でも願っている。

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