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こちらの書籍は文庫ではなく、新書で読みました。

中華王朝史上、ここまで無様で、卑下され、
なじられた皇帝はいたでしょうか。

それを証拠に、彼には、|諡号《しごう》も廟号びょうごうすらありません。

ただの「おうもう」と呼ばれ、庶人と同様の扱いになっています。

諡号と、廟号については、下記をご覧ください。

あの暴虐非道とされた、秦の始皇帝や隋の煬帝ですら、帝号ともいうべき
名前が与えられていました。もっとも、煬帝の「煬」の字は悪字であり、民を虐げるという意味を含んでいました。そして、敢えて、「てい」を「だい」と呉音で読むのが日本での習わしです。

本作では、主人公の王莽が、不遇の身分から立身出世を遂げ、
次々と、権謀術数を用い、周囲を丸め込んで、
遂には、漢王朝から帝位を簒奪さんだつ
自らが、文字通り「新」王朝を開き、皇帝として君臨。

その奇々怪々にして、国中を大混乱に招いた政策の失敗により、
赤眉や緑林といった反乱軍を討伐に向かうも惨敗。
その結果、首都に攻め込まれ、漢兵らにより殺害され、
わずか1代、15年で滅びるまでを描いています。

彼の敗北は、「昆陽の戦い」で決定的なものとなりました。
王莽の派遣した官軍45万をわずか、1万ほどの精兵で打ち破ったのが、
のちの後漢の劉秀こと光武帝です。

後漢の史家たちは、「漢」王朝の復活と正当性を高めるために、
王莽という害悪を、聖なる天子である、光武帝が駆除した」
と、記録せざるを得ませんでした。

始皇帝の秦も、王莽の新も、「徳」のない、天が認めていない
「閏うるう」ともいうべき、王朝との位置づけがされています。

奇遇にも、秦と新を打倒したのが、前漢の劉邦と、後漢の劉秀でしたから、
あくまで、始皇帝と、王莽は、悪玉であり、大逆無道な人物として、
ことさら喧伝けんでんされる必要があったのでしょう。
さらに付け加えるならば、後漢を簒奪した、
曹操・曹丕親子が悪玉というのも然りです。

王莽と言う人物は、当時よりさかのぼって、1000年も前の周代のしきたりに回帰、封建制度の復古、そして、中華思想の押し付け、短期間での官位や地名、貨幣の変更、匈奴や高句麗への侮辱行為と、それに逆らった2国への
懲罰戦争の失敗。反乱を抑えることも出来ず、治水も放置。
やることなすことが、無能ぶりを発揮してしまう、暗愚過ぎる皇帝でした。

理想は高かれど、実績のまるで伴わない、共産主義を取り込もうとした、
先駆者としての悪例となりました。

彼の犯した過ちを全て、修正して、後始末をした、
聖人君子の見本のような、光武帝と比較されるのは部が悪すぎました。

「徳」のカケラもなかった、王莽は、「徳」そのものの、光武帝・劉秀にその政権を奉還ほうかんするしかなかったのでしょうか。

近年では、王莽の早すぎた「社会主義」「共産主義」志向が一部では、
評価されており、儒教を国教とさせた先駆者であったとも言われています。

そうした観点も踏まえて、本作を読むと、いろいろな角度から、王莽という、稀にみる、個性的で、不可思議な人間が見えてくるのかも知れません。

統一された漢帝国400年の中で、まさしく、ポッカリと孤立した王朝が存在した。そのような事実が、痕跡が残されているというのも、歴史のドラマを知るようで感慨深いというものです。

「始建国」「天鳳」「地皇」という、王莽による、3つの元号は、
中国の歴史に刻み込まれ、正式な元号として、今も記録されています。






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