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鬼のような練習量を支えるもの〜(漫画)BLUE GIANT

以前、blue giantの映画が面白よ、というブログを書いた。
本作品には漫画の原作があり、漫画も面白い(語彙力)。

amazonの購入履歴を見たら2018年5月となっていたので、今からもう6年も前の出会いとなる。
漫画を再読しながら、没頭・没入と人生について思うところがあったのでメモしておきます。

主人公の狂気にも似た練習量

主人公の宮本大。
学力もスポーツ(バスケ部)も、いわゆる普通にこなす高校生。
ある日友人といったジャズバーで聞いたサックスとの出会いをきっかけに「世界一のジャズプレーヤーになる」と心に決め、練習に励みます。

多くの方がご存知のとおり、音楽界はたくさんの人たちが幼少期よりスパルタともいうべき練習量をこなし、さらに才能に恵まれてた極々一部の人たちがその道で食べていけるという厳しい世界。
東京での修行中に出会ったピアニスト雪祈も、幼少期よりピアノの先生をしていた親からレッスンを受けています。
一方で、大がサックスを始めたのは高校生になってから。
つまり15歳、ということになります。

この時点で、周囲のエリートとは10年近い差が生じてしまっているということになります。

どんな分野でも一流になるのは1万時間におよぶ練習が必要、との知見もあるそう。そこで、大は何をしたか。
非常にシンプル。
毎日の鬼のような練習でした。

毎日の練習、というと「自分も高校時代の部活は毎日やってたよ」とう方もいるかもしれません。しかしながら、大の練習は我々の想像の1歩も2歩も上をいっています。
まず、サックスは大音量かつ大の家は決して裕福ではなく、当然遮音室なんぞの設備はありませんので、屋外練習のみ。しかも、大はバスケ部に所属していて夕方までは通常の練習があります。

作中には、何度も大の練習シーンが出てきます。
雨の日も風の日も屋外で、そして深夜までの練習を365日繰り返しつづけたのです。練習は、レッスンの先生につこうが、年末年始だろうが関係ない。
もう狂ったかのように河原とトンネルの中での練習を繰り返すのです。

世の中には才能がある、ないで技能の良し悪しを判断するきらいがありますが、そんな評価が陳腐に見えるくらい、練習量でねじ伏せるという感じです。

なぜそんなに一生懸命になれるのか

一万時間の法則の中には意識的に自分の能力の伸長に資する練習というのが一流になるための必要条件だという旨の記載があります。
これは、我々も感覚的にわかるところです。

たとえば、自分はマラソンを習慣にし始めてもう10年以上が経過し、それなりの時間と体力を注ぎ込んでいますが、未だに大迫選手のタイムに到達する気配はありませんw 才能なり始めた年齢を置いておいても、最たる要因は
「マラソンのタイムを縮めるための練習はキツイくてそれができてないから」
それに尽きます。
なんでキツイ練習ができないのかを突き詰めると、明確な目標がないからというところに行き着きます。

こんなところからも、目標の明確化とそれを本気で達成したいと思えるうちからの欲望が長期にわたる膨大な(かつ効果的な)練習量を支える鍵になるのだと思います。

大の強さは、世界一のジャズプレーヤーになるという明確な目標、そしてサックスに初めて出会った時の雷に撃たれたような衝撃(内なる欲望)が組み合わさり、彼の練習量を支えているのかもしれまえん。
ビジネスライクな話になると、「世界一のジャズプレーヤー」では解像度が粗い、世界一とは何かを定義づけすべきだなんて声も聞こえてきそうですが、きっと大の中には明確な像があるのでしょうし、漫画にそこを求めるのは無粋、ですね。


漫画でも現実でも、何かに直向きに取り組む姿というのは人を動かし・感動させる力があるかと多います。
ちょっと前に、中村哲さんのドキュメンタリーで水路を引くのに尽力なされている姿を拝見しましたが、それも形は違えど、大と同じく目標を描き、それに向けて淡々と実行(練習)することと同じなのかもしれませんね。


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