見出し画像

病気と理解

人に自慢できることが極めて数少ない自分ですが、唯一といって良い取り柄は体の丈夫さ。
小中高とほぼ皆勤賞(中学の時にインフルエンザで1日休んでしまった)、社会人になって10年以上経ちますが、体調不良で休んだことが一度もありません。
救急車に乗ったこともなければ、入院の経験もありません。
時々、風邪をひいてしまうことはありますが、寝込むなんて事もなく。
父親が尋常じゃなく田舎の豪雪地帯で百姓の息子としてハードな生活を送ってきており、母親も医者に丈夫ですねぇと言われるレベルなので、かっこよくない意味合いでのサラブレッドではあるかもしれません。
なので、あまり健康のありがたみを感じる事なく人生を歩んできたわけですが、歳を重ねるにつれ、「不調がない」ということがいかにありがたいか。体感する機会も増えてきたように思います。

義理の兄は、POTSという難病を持っており、さらにメンタルの面でもパニック障害を患っています。年に何回かしか会う機会がありませんが、今日は元気だ!というのをほとんど見たことがありません。

どこかに旅行をすれば、一日のうち数回は調子が悪いから休むといって観光地に行っても車の中で休んでいたり、予約していた交通手段も時間変更をせざるを得ない事もしばしば。
こういうふうに書くと、なんだかすごく面倒くさい人のように思えてしまいますが、すごく周りに気を遣える人で、スポーツもかなりのレベルでこなします。
結婚もされ、奥さんもおり仲良くしている様子ですが、
”予定が計画通りに進まない”
という点では、義理の兄本人も奥さんも、ストレスが溜まるだろうなと思います。


で、その義理の兄。義理の父とは絶縁状態。
父の心無い言動により兄がキレて以降、関係を絶っているという構図です。

自分は、義理の父(70歳近い)とも話す機会があり、会話をしていると言葉の節々に義理の兄に対し
・メンタル疾患は心が弱いからなるんだ
・体調管理もできないダメなやつだ
というのが滲んでおり、こりゃ兄も嫌な思いをしたんだろうなと感じます。

義理の父も、優秀な大学を卒業し、超がつくほどの大手企業に勤務していた人間ですので、優秀な方。
おそらく、社内の教育なり各種メディアの情報は仕入れているはずで、
・鬱なりメンタル疾患は、風邪と同じで誰にでも罹患する可能性があること
・根性、やる気、気力など根性論でなんとかなる問題ではないこと
くらいは頭では理解しているのだろうと思います。
でも、おそらく父の育った時代、そして自らの子供がメンタルの疾患を患っているとは認めたくない気持ちから、そういった言動になってしまうのかと思います。

メンタルヘルスについては、法的にも年一回のチェックが義務化されたり、国としても理解が進んできている状況にあります。
他方、子供の頃に「根性論」で育ってきた時代を生き抜いてきた人にとっては、メンタル疾患は仕方ないと頭ではわかっていても
・俺・私たちはしんどくたって頑張ってきたから今があるんだ
・鬱で休むなんて甘えだ
という感覚というか意識は、完全に消し去るのも難しいのは理解できるところ。

瀧本哲史さんの著作に、パラダイムシフトが起こるのは世代が変わった時といった趣旨の記載がありました。
今、メンタル疾患についても徐々に科学的に解明が進み、人々の理解も深まってきているところではございますが、誰もが心の底から「メンタル疾患は誰にでも可能はあるし、なってしまったら仕方ないのだ」という感覚を持てるには、もう少し時間がかかるのかなぁと思った今日この頃でございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?