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知ろうとすること。

東京大学の早野龍五教授と糸井重里さんとの対談をまとめた一冊。
テーマは福島第一原子力発電所の事故をメインに、早野さんの対応、情報との向き合い方などに寄り道しながら話は進んでいきます。
糸井重里さんが、読者の視点で1つひとつの事柄について真摯にわかる・わからないと向き合いながら話が進んでいくので、予備知識なく読むことができます。

個人的に面白かったのは、風評被害との向き合い方。

〜本屋で平積みされた週刊誌で、1番上にあるものが綺麗だと思っても2冊目を取ってしまう、という行動習慣について〜

糸井 だから、その非科学的なことも、みんなの中に普通にある。でも、もしかしたらその「2冊目の週刊誌を取る」というような行動こそが、知らず知らずに風評被害みたいなことに繋がっているのかもしれない。だってそれって、福島産と福島産じゃない野菜があったときに、「科学的には福島産でも大丈夫なんだろうけど、まぁ、違う方を買っておこう」という行動と、すごく似てると思うんでうすよ。

p15

個人の肌感覚(周囲の人を見るに)としては、最近は、”福島県産だから”という理由が購入の意思決定に影響及ぼしていることはあまりないのかな、と思っています。もしかしたら、これは自分が宮城県に住んでいることや福島県にも多数知人・友人がいること等とも関係しているのかもしれません。

何の気なしに使う”風評被害”という言葉。
自分はそれなりに科学的リテラシーがあって、数値を見て合理的に判断しているんだ!という気持ちと、福島を応援したい、という気持ちが根底にある気がします。
でも、糸井さんの言葉にハッとさせられました。

自分は潔癖症ではない。けど、一冊目の週刊誌が綺麗でもなんとなく2冊目から取ってします。その感覚、すごくよくわかるんですね。
見た目なり詳細な分析による細菌の数という指標ではなくの、非科学的な判断。
合理的な判断をしている、と思い込んでしまっていた自分にとっては衝撃的なフレーズでした。
風評被害なんてよくないよ、やめようよと思っている自分でさえ、なんとなくの習慣で(悪意はないものの)風評被害と同じような構造の行動を取ってしまっている。そんなことに気づいてしまったのですね。

それを踏まえて少し視野を広げてみると、
”一冊目の週刊誌”が”福島県産のもの”になってしまっている、もしかしたらいるかもしれない。で、多分その人に
「ほら、数字を見てみて。大丈夫だから。」
「専門家が安全と言ってるから。」
そんな言葉を何度繰り返しても、行動の変容にはつながらないような気がします。

最近はメディアを通しても風評被害、といった言葉を聞く回数も減ってきたように思いますが、上のようなことを踏まえると、”福島県産ものは週刊誌の1冊目だ”という暗黙の思いなりが形成される前段階からの対応が必要なのではないか。
そう思うわけですね。
事後でそれを払拭するのは、限りなく難しそう。

メディア含め、
・なぜ、人々の中に科学的に説明ができない、1冊目の週刊誌が生まれるのか
・それを生じさせないためには、報道する上でどのような点に留意すべきなのか
を議論していかねばいけないのかな、と思います。

糸井重里さん。
正直、ちょっと前まで「マザー2」を作ったおもしろおじさん(失礼)という認識でしたが、こういう対談ものを何冊か読むと、彼の切り口(視点)の面白さ、キチンと理解しようとする(読者にしてもらう)スキルの高さに驚かされます。
東大の池谷先生のとの対話も面白かった。

全ての項目に高い専門知識を身につけるにひ非常に労力を要しますし、おそらく、日常生活を送る上でそこまでは求められてない。
でも、もしかしたら最低限の知識を噛み砕いて分配してくれる、翻訳者の重要性は今後ますます高まるのかもしれないと思う今日この頃でございました。

引き続きですが、批判者は実は当事者たりうるという議論についての考察は、以下の一冊がおすすめ。何度推薦するねん、というくらい推してますが、それくらいおすすめなのです。

(補足)ちなみに、話手の1人である早野先生、本件に関する論文が撤回されているというニュースが出ています。悪しきことは罰せられるべきなのは理解した上で、彼が震災直後にとった情報発信、情報への向き合い方については学ぶべきところがあると思っています。(批判は色々あると思いますが・・・)ご参考まで。



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