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自己紹介:アラサー未経験から、建築デザインの世界へ

駆け出し建築デザイナーをしているJunといいます。はじめまして。

最初のnote投稿ということで、まずは簡単な自己紹介から。27歳未経験から建築デザインの世界に飛び込み、現在32歳、米国・シアトルの建築事務所で所員をしている。

大学時代の専攻は完全な文系で、卒業後は金融業界で4年ほど働いた。27歳で証券会社を辞めるまで、学校の美術の授業以外ではデザインとほどんど縁がない生活を送っていた。そんな自分が、会社を辞めて建築デザイン業界に足を踏み入れるまでの心境と軌跡を書いてみようと思う。

アラサー未経験から、建築デザインの世界に飛び込んだ訳

27歳まで「夢」というものがなかった

自分には27歳まで、「夢」というものがなかった気がする。田舎出身なので、中学・高校時代は学校で一生懸命勉強して、東京というより大きな世界で生活をすることを夢見ていた。

大学に入ってからは、幾つもの学生団体を掛け持ちしたり、1年間留学するための準備に時間を費やしていた。とにかく忙しくして、人に囲まれているのが好きだったように思う。手伝って、と友達に言われたら服飾や教育など様々なサークルに参加した。しかし振り返ってみると、自分から主体的に好きなことをしたという実感はあまりなかった。自分がやりたいことを見つけるというよりも、どちらかというと周りの人をハッピーにさせることを優先させてしまっていた。

大学時代、唯一打ち込んだなと思えるものは留学・卒論だった。父親が外国人なこともあって、2つの国・文化にまたがって生活している人の文化的な適応や言語習得に興味があった。留学先では移民学の授業を取ったり、卒論では日本の外国人学校における2言語教育について書いたりした。自分が学びたいことを追求するのは充実感があったし、大学院に行くことも考えた。しかし、その研究を一生の飯の種にしたいというほどの決心はなかったし、金銭的な余裕もなかったので、就職することに決めた。

留学から帰国してから就活を始めたが、これといった「夢」はいまだに持っていなかった。時間が限られている中、自分の中での優先事項をひねり出し(調べたり書いたりする業務が多いこと、英語を使う機会が多いこと、そして金銭的なリターンが比較的大きいこと)、最終的にその3つの条件を叶えてくれる、証券会社の調査部門に就職することになった。

金融業界での4年間:疲れ切った日常

新卒で金融業界に入ってからの4年間は、とにかく日常的に疲れ切っていたように思う。

金融の世界は日々の変化が目まぐるしい。常に自分をアップデートし、新しい情報を取捨選択しなければならない。毎朝、5時半から6時には起きて、自分が担当している業界のニュースを収集し、上司がいなければ新人であっても自分の意見を営業担当者に伝える必要がある。また、ニュースや会社の決算が出ればレポートを発行して分析を発信するが、海外の担当者とやりとりしなければならないため、帰宅が深夜になることは日常茶飯事だった。

そのペース感に自分はついていけなかった。金融学・経済学を大学時代に専攻していなかったことや、自分の要領の悪さも相まって、金融業界にいた4年間は総じて苦しかった。産業調査・株式調査という形で業界や会社について調べることは楽しかったが、自分の調べた情報が新しい価値を創造したり、誰かを幸せにしていると実感することが難しかった。

少し見方を変えれば、自分の仕事の価値に気づくことができたり、働き方を変えて効率よく仕事ができていたかもしれないが、睡眠不足すぎてそんなことを考える余裕もなかった。

そんな中、自分がこのままこの仕事を続けることへの希望が持てなくなっていった。長時間労働も相まって心身のバランスを崩し、ある日突然、会社に行けなくなってしまった。

今思えば、突然の休職・退職で本当に多くの人に迷惑をかけたと思う。自分の心の中の違和感を見逃したまま仕事を続ければ、自分を不幸にしてしまうだけでなく、自分をサポートしてくれる周囲の人にも悪影響を及ぼしてしまう、と知った。

仕事を休職して、ぼんやりした「夢」が確信に変わった

そんな経緯で会社を休職したのだが、そこではじめて、自分の今後の人生をどうしたいのかを、過去の自分を振り返りながら考える余裕ができた。

中学・高校時代の私は、地理美術の授業が好きだった。ここから素直に考えてみれば、その両方の要素が交わる都市デザインや建築デザインが「将来の夢」の候補に入ってもおかしくはない。でも、美術は「好き」というだけで才能に溢れていた訳ではなかったし、何よりも建築家になるには必要だと思い込んでいた物理が苦手だった。高校2年生の模試で27点を取って物理を諦め、理系から文系に転向してからは、都市デザイナー・建築デザイナーになるという選択肢は頭から自然と除外されていったように思う。

振り返ってみれば、これまで自分の心に従った進路選択をしてこれなかったが、それに27歳で気づけたことは自分の人生にとって大きい出来事だった。それができたのも、休職・退職によって金銭的・時間的な余裕を持てたからこそ。昔やりたかった夢を掘り起こすためには多くのエネルギーが必要で、それには充分な休息と健全な精神状態が必要であると思う。

また、調べを進めると、建築・建築デザインをするには理系でなくても、そしてアラサーからでも道があることを知った。日本の工学系大学の建築学科に編入するのは理系でないため難しいが、通信制の大学や2年制のデザイン専門学校には、文系でデザイン未経験の自分でも入学ができそうだった。さらに、海外の都市デザイン・建築デザイン大学院の中にはデザイン未経験者でも受け入れてくれる学校があることを知り、一気に「建築デザイナーになる」という夢が具体化していった。都合がいいことに、証券会社では不動産・インフラ関係の調査業務にも携わっていたため、都市計画や都市デザインに履歴書上の関連もあった。

自分の「夢」が決まってからは、割と一直線に事を進めてこれたように思う。証券会社を辞めるのと前後して、建築デザインの専門学校に入学し、同時に大学院留学の準備を始めた(留学準備に関しては、今後noteにまとめて書いていく予定)。留学してからもパンデミック等ハプニングはことあるごとにあったものの、在学中にインターンを複数こなして大学院を卒業し、今の建築設計事務所に就職することができた。下記にこれまでの経緯をまとめてみたが、「夢」を持ってから約5年間で、建築デザイナーになるスタートラインに立つことができた。

2013年:日本の大学学部卒業:専攻は地域文化研究
    東京の証券会社で勤務し始める:不動産系の株式調査業務
2014年:別の証券会社に転職:インフラ系の株式調査業務
2017年:証券会社を退社
    建築デザインの専門学校に入学。
    デザイン専門学校の課題と並行して、アメリカ留学準備
    東京のランドスケープ事務所でオープンデスクを経験
2018年:建築デザイン専門学校を休学
    UCバークレー、都市計画修士(アーバンデザイン専攻)スタート
2019年:加州オークランド市交通局でアルバイト:自転車レーンの設計等
    UCバークレー、建築修士スタート:2修士体制に
2021年:ハワイの建築事務所でサマーインターン
2022年:UCバークレー都市計画修士・建築修士を卒業
    ワシントン州シアトルに引っ越し、現在の建築事務所で勤務開始

専門学校時代のミニ設計課題:紙の特徴を活かして公共空間をデザイン

なぜnoteを始めるのか

そして再び社会人になって半年以上が経過した今、新しいチャレンジとして、noteを始めてみた。月1回程度の更新で細く長く続けられたらいいなと考えているのだが、はじめようと思った理由を3つにまとめてみる。

忘れる前に、自分の体験を発信したい

人間、書き留めておかないと忘れる生き物である。かくいう私も忘れっぽい方で、過去の思い出などは結構簡単に忘れてしまい、友達にも薄情と言われたりする。アメリカ生活も5年が経ち、専門学校入学から考えれば6年以上が経過した。未経験から始めたデザイン留学の経緯や、アメリカ建築事務所で所員として過ごす日常を忘れる前に記すことで、少しでも誰かの参考になったら嬉しい。

また、就職を機にシアトルに引っ越してきたことで、大学院時代の友達からも離れてしまった。シアトルは全米で友達を作りづらい街、として有名で(この現象は"Seattle Freeze"と呼ばれている)その呼び声通り?なのか私もなかなか友達のネットワークを広げられずにいる。少し寂しい日々だが、noteを通じて自分の体験を発信することで、同じような境遇の人(社会人からのキャリアチェンジを考えている人/海外留学・海外在住の方)と少しでもつながれたら良いなと思っている。

インプットのきっかけとして

大学院を卒業して、めっぽう建築の知見を広める機会が減った気がする。建築雑誌なども定期購読していないので、自社のプロジェクト以外の建築に関しては、自分から求めてインプットしていかないと頭に入ってこない。日本は建築設計/デザインの本が書店にずらりと並んで手に入りやすい状態だが、アメリカだとそうもいかない。私は本を買うという行為自体が好きで、あまりデジタル版を買うのは気乗りしないのだが、そうも言ってはいられないかもしれない。

また、せっかくアメリカ・シアトルにいるのだから、シアトル周辺の建築くらいは自分で観察して、自分の言葉で説明できるようになるまで研究したい。noteへの建築観察日記の投稿を目標として、自分の身の回りにある建築を勉強していきたいと思っている。

そもそも、建築を「見る」「分析する」って、意外と難しいことだと思う。何が「良いデザイン」「良い建築」なのかという軸が、駆け出しデザイナーの自分にはまだないに等しい。建築のその文化・社会的背景に着目すべきか、光と影、素材の使い方、ディテールの仕上げ方等々。。。色々な着眼点が存在しうるだけに難しい。

大学時代の卒業設計展示

アウトプットへの欲求

大学院を卒業して新入社員として建築事務所で働いて、一番苦しんでいるのが創造性のギャップである。大学院時代は課題に対して自分で考え、デザインを通じて答えを出すというプロセスがあって、日々知的好奇心が満たされていた。今の建築事務所でも日々学ぶことには溢れているのだが、基本的には上司が実現したいビジョンを忠実に再現することが、新人に一番求められていることである。

怠惰な自分にとっては、仕事を「こなすこと」に注力するあまり、自分でデザインを思考する習慣が疎かになることが、一番怖い。そのため、会社以外で自分の考えや見方をアウトプットする場所が欲しいと感じるようになった。

また、大学院を卒業した友人など、周囲で発信している人の存在も刺激になっている。新人の自分に建築の何がわかるのだろう、と怖気づいてしまう瞬間もあるが、不完全なアウトプットでも、フィードバック・インプットを繰り返して、アウトプットの質を上げていけばいいか、と思えるようになった。

まとめ

キャリア途中からの学び直しは、正直心が折れそうになることもある。特に新入社員で自分にできることが少ない今、自分と同い年の社員が中堅で活躍していたり、同期入社の社員が10歳近くも年下だと、自分はこの10年間一体何をしてきたのだろうという気持ちにもなる。でも、回り道をしたからこそ分かったこともある、と信じたい。何歳からでも、何者にでもなれるという初心を忘れずに、デザインすることを続けていけたらなと思う。

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