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丸岡淳子 プロフィール

はじめまして!訪問してくださいましたご縁に嬉しく感謝です。

東京都品川区にて、1995年より心理カウンセラーをしております、丸岡淳子です。1970年生まれ。

カウンセリングでは、タロット、リーディング(プロファイリング)、人脈紹介などの方法を使って、地に足のついた具体的なお話をさせていただいております。

https://www.haloami.com/

アルコール依存症の母、荒くれ者の父、の元へ生まれ、5才年下の弟と共に過酷なサバイバル生活を30年すごしました。

繰り返す腎盂炎、癌3回手術、妊娠中の手術、出産は陣痛52時間、など、大病サバイバーでもあります。

もうすでにお腹いっぱいですよねw

これらの体験は壮絶ではありましたが「気づき」「心身のサバイバル能力」の覚醒を伴う時間でありました。

読むだけでもガッツのいるお話ではありますが、私の過酷な体験をそのままに書くことで「こんな人生の人が、今、そこそこ楽しそうに暮らしているのか」と共感や驚きの中で、ちょっと心のどこかが楽になることもあります。

noteでは、ある人間の人生体験サンプルとして「母は手負いの虎だったシリーズ」人生の序盤(30才くらいまで)を書いていきますので、苦笑いしながら読んでくださったら嬉しいです。

【なぜカウンセラーになったのか】

なぜカウンセラーになったのか、最初の頃は、あまり考えたこともありませんでした。

ただ、壮絶で絶望的な生活から、なぜ、今、そこそこ楽しく生きていられるのだろう?と、ずっと自分の内側を探求していました。

今は、何を思い出しても「過去のデータ」であり、

今の私にショックや痛みを感じさせることはありません。

単純に。

なんだかやたら

出くわす運命なのだなぁ。。って思います。

昔のブログで旧バージョンの「手負いの虎シリーズ」を読んでくださった方からは、

逆セラピー効果なのか。

「なぜだか、今の悩みがどーでもよくなりました」

「お涙頂戴の文章ではなく、重くなりすぎないのがいい。」

「ところどころ笑いに変換してきている、淳子さんの心情を色々考えさせられる」

とご感想をいただくことが多いです。

体験した事柄は、脳内に保存されたデータですが。

もちろん。その時の感情もセットで覚えてはいます。

その中でも「痛み」に対する洞察は、

のちのちカウンセラーになる要素として重要でした。

どのくらい痛かったか言葉にするのは難しいですが。

痛い思いは「限界超えても」死ぬまで続くかのように感じていました。

逃げようのない関係と年齢。

絶望と孤独をヒリヒリと味わい痛みに消耗されるだけの命でした。

ある時。

どうせこんなに濃く味わうなら。

料理のように材料を分析してみようと思いました。

「痛み」にも色々あり。

→肉体的痛み

→心の痛み

がよく別物で扱われます。

でも、これ、同時です。

一体です。

そして心の中で動きまくる痛みは、

「痛い」ってだけではなく

悲しさ

せつなさ

くやしさ

情けなさ

恋しさ

憎さ

がブレンドされています。

もっとたくさんの感情の動きが混ざっています。

総称として「痛み」と呼ばれるだけで。

特に。

自分を哀れんだ時。

大切な人の境遇を可哀想だと思った時。

同時に、自分がそれらに対して無力だと感じた時。

人は叫ぶように泣き。

全ての「感情」を総動員して、

「痛み」を増幅させます。

いいんです。自然な感情の反応。

「感情」は人生の醍醐味です。

ドラマであり、人間が人生と共に歩む風景を作るメインの大切な素材です。

痛みが限界を超える日々の最中。

あの時の私は心底思ったのですよ。

「こんなに長年「痛み」と向き合わざるを得なかった。

だから、学校へ行っても、バイトへ行っても。

他者の心の動きがよく見える。

誰かが何かで怒っていても、その怒りの材料がわかる。」

わたしは。

絶対に人の痛みを

他人事の視点で見ることはしない。

どんな痛みも「痛い」のは同じだ、と。

私が壮絶な人生を歩んだから「痛み」の度合いが深い、とか。

ちょっとした出来事で傷ついただけなんだから「痛み」は浅い、とか。

そうゆうことじゃないと心身で体感しました。

「痛い」ものは強弱関係なく「痛い」のだと。

痛みの深さに関係なく痛いものは痛い。

その人のもっている度量に関係なく痛いものは痛い。

痛みは強弱はある。

けど、病気自慢のように優劣なんて絶対につかない。

表面感情であるか。

より全ての感情のコアに近いところで起きているか。

その違いだけ。

でも、どのみち、感情として、痛みとしては同じ一体物なのです。

痛みだけを感情からツノのように飛び出させようとしても。

どのみち、痛みも感情エネルギーの一部。

だからこそ。

「30万円の借金で自殺する人もいる」

「数億円の借金で笑っている人もいる」

その人の感じる痛みの度合いは一人一人違う。

絶対的な共通点は

「痛い」ものは「痛い」のみ。

太宰治さんだったかと思いますが。

「ナポレオンだって蚊にくわれたら痒かっただろう」

という一文があります。

どんなに覇者であろうと。

蚊にくわれたら他の人と同じように痒い。

痛みもそれと似ています。

わたしは。

だからこそ。

世間が

「そんなことで」

というような「痛み」にも。

丸ごと、真っ向正面から。

向き合って寄り添おうと決心しました。

その決心は。

わたしがまだ小学生の頃。夜遅く家を飛び出し。

近所のラーメン屋さんのおっちゃんにラーメンをご馳走になっている時に湧き上がりました。

暗く、泣きながら夜中に店主施しのラーメンをすする女児。

なんとお涙頂戴な風景でしょうw

でもね。

わたしの内側では。

綺麗事だけで人の痛みを扱う大人になんて。

絶対になるものか。。。

今の経験は必ず誰かの役に立つ。

と、子どもながらに強く思い。情熱がメラメラと燃え盛っていました。

その時の決意が、志へと変容し。

「多くの人のお役に立てる自分」の役割が、たまたまカウンセラーだったのだと思います。

皆様が1人ではないこと、どんな絶望の中であろうと、精神の軸は「生きる」「笑う」力を失わないこと、を改めて思い出せる記事にしていきます。

愛と感謝をこめて。

丸岡淳子

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