酷暑を乗り切るにはまず死ぬところに行くな!

先日多治見市で正午過ぎに気温40℃に達しました。まだ7月半ばです。

豊田市で小学児童が熱中症が原因でなくなりました。

毎日熱中症で病院搬送される人があとを絶たない。

それでも、冷房のない学校体育館では集会や終業式が行われ、授業後には外で部活動が行われている。

冷房は予算の関係で学校には設置しない自治体がいまだに多い。

外や体育館での集会での水筒持参も全ての学校で認めておらず、学校各自の判断で、子供にはその判断すら任されていないところも多い。

子供には我慢をさせるため、我慢強い人間になるために冷房を入れることに反対・疑問を呈する大人も多いそうだ。

しかし、大人はオフィスでは冷房完備だし、外の仕事中は自分の意志で水分補給をマメにやる。

子供の頃に耐性をつけた?大人になったら冷房や冷たいもの飲んでいるのに、子供にそんなに我慢させてどういう意味があるのか?

体力作りは精神鍛錬とは違うところで行ったほうがいい。

そもそも。

水も飲ませず、40℃近い環境に置かれては大人でも30分と言わずに音を上げてしまうだろう。子供は体調を崩しやすく、体温調整もできにくいことは体験上も身体の特性上も明らかだろう。

小学校プレハブ校舎の酷暑と極寒の40年前

約40年前。私はベビーブームの真っ只中に過酷な体験をした。

教室の数が児童数に追いつかなかった小学校が苦肉の策として校庭にプレハブ校舎を4教室作った。そこで私は小学3年生の1年間を過ごした。これは今思い出すだけで熾烈な環境だった。

当時の一般的な鉄筋コンクリートの校舎は冷房はおろか、扇風機すらなかった。プレハブ校舎の断熱は鉄筋コンクリート校舎の比ではない。断熱材など入っていないので、熱気はそのまま教室内にこもり、外気温より高いのではないかというレベル。(授業後に屋外に出ると涼しかった記憶がある)冬の寒さは外気温と変わらず、凍えた手では文字を書くのは困難だった。昼になっても息が白いかった。

ここは名古屋市。南でも北でもなく、日本のほぼ真ん中に位置する街である。

学校も流石にまずいと思ったのか、プレハブ校舎に限り扇風機を各教室にたった1台ずつあてがわれた。

しかし、これが最悪。熱された室内の温風が顔に直撃することになり、扇風機に当たっていると逆に暑くなり気分が悪くなる現象が起きた。

しかし、幸いだったのは今ほど酷暑ではなかった。朝夕はそれなりに過ごしやすかったし。

とはいえ、時に日中最高気温37℃記録したこともあったから、私も実は日射病(当時はこの言い方しかなかった)で体育館で倒れたことがある。

学校や自治体の対応を待つな!

役所や学校の対応が、なぜ現状を踏まえた対策をすぐに打てないかは多くの点が指摘できるが、まずここでは3点挙げる。

1 役所や公教育機関は前例主義に基づいているので、現在新たに問題化している現象に対処するのが滅法苦手である。
2 子供の命と安全を守るのが第一義であるはずの教育機関が子供を危険にするはずがないという世間での事実誤認。事実、子供は人間として扱われていない。主張することすら許されない。
3 日本社会が全体・組織を前提に動いており、個人の考えや意見に対して無関心・不寛容に溢れている。個人ありきの社会ではなく組織ありきの社会が常識になっている。子供ありきではなく学校は「学校ありき」なのだ。

いずれにしても、昨今の気候変動で想定外の酷暑や水害が起きている事実。これを今までの考え方で対処するのは無理だし、現状をまずとっさに対処できない学校・自治体は上3つの点から全く期待してはいけない

身を守る必要があるのは子供自身だ。しかし子供にはその判断力はまだ育まれていない。

学校は多少暑くても寒くても「我慢して行くところ」と教育されている。体調を管理するにはある程度成長しないと身体の認識は難しい。

子供は学校に行くと必ず我慢を強いられる。尿意や便意も言いがたい雰囲気があり、食事時間も極めて短い。さらに給食は日本の外食ではありえないくらい不味い。給食は餌を流し込む時間である。この餌を残さず短時間にこなすことが求められる。

どこをどうとってもどう考えても学校が人間育成の場所とは私には考えられない所以である。

だから周囲の親や教師などの大人が子供たちを守らなければならない。

こんな酷暑に死のリスクがある学校に行かせない、部活をさせない、とにかく今すぐにそうしないと、今日も熱中症で多くの人が搬送される。

おそらく反論があると思う。

「うちは共働きで学校に行かせていないと子供の行き場がない」
「そんなに学校は危険なところではない」
「子供の時から暑さくらい我慢させないでどうするんだ」

全部、反論したご自身で考えてください。

子供が熱中症で倒れた時、メディアの尻尾に乗って学校の対応の悪さのせいにしても倒れた子供の時間は帰ってこないし、亡くなったらそれでもう二度と帰ってこない。

じゃあ、

どうするのか?

どうするのか?

どうするのか?

まず、学校以外に行かせられないと、思い込まないことである。他の避難場所を考えて行かせるのである。

地方公共施設はかなり余剰がある。図書館だってある。個人個人の子供を救うことはとりあえず、家族ができる対策はある。学校や役所の対策をしている間に暑さで倒れる子供が続出するので、決して対応を待ってはいけない。期待すらしないほうがいい。

これは非常事態といってもいいレベルだと思う。子供を戦地に行かせることと同じだと思ってもいい。危険なところとわかっても行かせるのか、なんらかの対処をすぐするのか。

あえて、私は「大人」が子供を守ると書いた。それは親でも教師でも隣のおじさんでもいい。親だけではなく大人自身、私自身が考え行動すること。

少なくとも私の子供は学校には行かせない。死んでもらうより不登校でもなんでもいいからまず生きることが優先されるべき。

生存できることが自身が認められないとどんなに勉強ができてもお金持ちになっても不幸になる。と私は思う。生きているだけで心底自分を認められることからはじめる。

薄っぺらな「我慢」だとか「精神鍛錬」だとか、そこには目の前で必死で生きている子供に発した言葉ではない。その言葉には愛情も敬意も思想も理念もない。

死に直面しているときに、我慢することや精神鍛錬しているヤツは生き残れません!その事実に気づいていない大人が多すぎる!!

つまり死に直面していても我慢せよ!というのは、私は人間の生死に鈍感であるということを表明しているのと同意なのである。

私は自分も自分の子供にも自分の生きていることに「敏感」であってほしいと思う。確かに敏感さは時に辛い目にあうかもしれない。

しかしそれでも今、生きていることを実感することが最も素晴らしいことなのだとそれだけは私も生き様として遺していきたい。

生きていることを認められなければ、どんなに金持ちになろうが、高学歴になろうが、薄ら寒い貧しい心で生きることになる。

以上記事終わり。

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酷暑を乗り切るにはまず死ぬところに行くな!

イトウジュン

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イトウジュン

音楽家&リスナーを繋げるクリエーター。愛知教育大学卒業。成長としての読書も重視。 年齢、組織の枠を超えて学んだり、創造的な生き方を実践していく「場」を作る。特に音楽家は継続的に活動できるようになってほしい。そんな活動を自ら行う。
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