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東京都同情塔

20240405

日本電波塔の愛称が、応募第13位「東京タワー」ではなく、公平な多数決によって「昭和塔」に決定していたとしたら、きっと今頃あの赤と白の塔には、取り残された過去の遺物のような古臭さがついてまわっていただろう。
昭和生まれの人間が時代遅れの象徴として扱われ始めているのと同じような現象が起こったはずだ。
結果、今では日本人の大多数が「東京タワー」に納得し、東京タワーに東京タワー以外の名称など考えられないと思っている。強引ともいえる当時の決定は賞賛されるべきだと言うこともできる。
民主主義に未来を予測する力はない。
未来を見ることはできない。

私を「 レイプしていない 」と言ったあの男のことを「 好きだった男 」ではなく「 好きではなかった男 」と言い換えて、「 レイプではなかった 」を、今から「 レイプだった 」にすればいい。

ポルノを見ただけで『女を知った』なんて満足してほしくはない。私はあくまで、実際に手で触れられ、出入り可能な、現実の女でありたいということです。みずから築いたものの中に、他人が出たり入ったりする感覚が、最高に気持ち良いのです。

今私の目の前に至急解決しなければならない問題が発生してこれ以上は喋れないと告げ、通話を切る。

ヒトを、「 思考する建築 」「 自律走行式の塔 」と認識している。

もしも私みたいな女がここにいるとして、その女があなたを食事に誘ったら、あなたならどう返事します?

細心の注意を払ったナンパはナンパとは言わない。「 デートを申し込んだ 」が正しい。

不幸な未来が見えていなかったわけじゃない。私には未来が見える。でも私は勇気を出した。たくさんのものを失う未来が見えていたが勇気を出す場面だと思ったからそうした。

私やあなたがこれまで「犯罪者」にならずに済んでいるのは、私やあなたが素晴らしい人格を持って生まれたからではありません。あなたの生まれた場所がたまたま、素晴らしい人格を育むことが可能な環境だったからです。犯罪と関わりを持たずとも幸福な人生を歩むことができると、信じさせてくれる大人が周囲にいたからです。

あなたが良いことをしたり、学校で良い成績をとったりするのを、大人たちが褒め、推奨してくれたからです。 彼らがあなたに、「次もまた良いことをしよう」というモチベーションを与えてくれたからです。 良いことを繰り返すうちに、目の前に困難な壁が立ちはだかっても、酷い失敗をしても、前を向き、未来に希望を持てるように育てられたからです。幸福な未来への意識が働くと、罪を犯したらどうなってしまうのだろうという予測を立てられるようになります。 未来への想像力は、道を踏み外しそうになった時の強力な抑止力につながっているのです。 あなたがこれまで罪を犯さず、 クリーンに生きてこられたのは、あなたの幸福な特権のおかげに他なりません。

しかし、あなたはご存じないかもしれませんが、世の中には特権を持たずに生まれてくる人がたくさんいます。 良いことをしても誰からも褒められず、むしろ、 生まれてきたことを否定されながら大人になる人々がいるのです。幸福な未来を想像しようにも、そもそも「幸福」がどのような状態なのかがわからない。守るべき「幸福」がなければ、罪を犯すハードルは恐ろしいほど低くなる。 他人の「幸福」を想像する力がなく、「幸福」を奪うことに対して罪の意識じたいが生じにくい。つまり彼らは、「犯罪者」・「加害者」である以前に、「元被害者」であるケースが圧倒的に多いのです。 本人が被者であることを周りにうまく説明できなかったために、誰からのケアもサポートも受けられなかった、かわいそうな元被害者なのです。

何によっても定義されない時間の中にだけ人生があればよいのにとさえ思う。

ゴミの語源は木の葉

私が「 自分と向き合う 」のは「 自分と向き合った 」という歴史的事実がほしいから。

僕は嘘をつくのが好きじゃない。何とか嘘をついてみて、一度嘘をつくコツを偶然に取得したときがあって、でも嘘があまりにも滑らかになりすぎると、自分でもそれが嘘だったか本当だったか区別がつかなくなる。

自分自身のことはなんでも言語的に説明可能だと信じきってるみたいに喋りまくる。

近代オリンピックは、スポーツ大会でも、身体能力発表会でもないし、テレビ局の儲けのためでも、国民にナショナリズムを植え付けるためでもなう、人類の平和、人間の尊厳を実現するためにの手段である。
もしもオリンピックを考えた大昔の人と話ができるとしても、会話は成り立たないだろう。スポーツがどのような営為で、人類の平和がどのような状況を指すものなのか、前提を共有できていなければ、話しは通じない。

スポーツの語源の変遷
運搬する
→義務からの移動 ( 精神的な転換 )
→仕事や家事
→休養や、気晴らし ( 日常からの解放 )

名前は物質じゃないけれど、名前は言葉だし、現実はいつも言葉から始まる。

ボキャブラリーが貧しい。私は貧乏人。

私の中に、美しいものを傍に置いておきたいという欲望はあるんだ、昔から。どうしても消し去ることができない、遺伝子に組み込まれた醜悪な欲望がね。本来なら、理性で乗り越えるべき欲望で。

私は君のことがとても好きで、好きな人には傷付いてほしくない。

彼女は本当に未来を見ることができ、僕には未来を見ることができない。彼女には次の瞬間、明日、来年、自分がどこにいて何をしているかが見えている。見えている、というと超能力みたいだけれどたぶんそういうのとは違って、見えた未来のヴィジョンをただ心の底から信じている。だから疑問も恐れも抱かず、答え合わせをするようにヴィジョンをなぞればもう自動的に、それは現実になっている。僕はといえば、どこかに未来があるらしいと人づてに聞いているだけで、心から信じきれたことがない。

「私にはわかるの。それについて一度でも口を開いたらきっと、言うべきじゃないことを言ってしまう。だから言わせないで。言うべきじゃないことを私は言うことができない。誰も傷付けるべきじゃない。私は私の言葉、行動すべてに、責任を取らなくてはいけない」

「いつか本当に傷付けられる前に、顔も知らない他人から傷付けられる前に、まずはあなたからちゃんと、傷付けられておきたいのかもしれないな。もう二度と立ち上がれないくらい、ぼろぼろに傷付けられて、人間の尊厳やら希望やら何やら、丸ごと奪われたあとに、僕に何が残っているのか、残っていないのか、見てみたいのかも」

AIの文章が彼女の口を通り、 その言葉が僕の耳を通過して、頭の中に確かな手触りを持った頑丈な塔が建設されていくのを、不思議な気持ちで眺めていた。ディテールが付け足され、内部の状況が次第に鮮明になってくると、塔は窮屈そうに僕の狭い頭を飛び出し、 芝生とプラタナス並木の中間のアスファルトに住所を移した。 天を目指して伸びていく塔は、濃密な御苑の夜空を真っ二つに割った。 環状にまんべんなく張り巡らされた無数の窓から、金色の光線が溢れ出していた。簡単に妄想だと言いきるのに抵抗を覚えるほど、リアルな質量を持った塔が眼前にあった。

ウチとソトを使い分けながら和を重んじる国民性が日本人の脳みそをフリーズさせている。

この世界のルールブックには「他人を不快にした人間は死ぬ」の一文がデスノートの1ページ目のように追加された。

誰か正しく誰が正しくないかという議論は塔内では無意味である。塔内に足を踏み入れた者に、我々のいた世界の方こそが牢獄だと自覚させることに、建築家は見事に成功している。

「 言葉にならないほど幸せです 」と答えてくれた ( 「 言葉にならないほど 」くらい便利な言葉もそうそうない ) 。

あらゆる不幸は他者との比較から始まる。

皆が他人に寛容で、本当に心の底から平等を望んでいるのなら、分断も戦争と起こり得ない。でも現実はそうじゃない。

何を考えるにしても脳はいちいち言葉を必要とする。言葉のことを言葉で考えたりするのは何もかも間違っていて、まともな人間のやることじゃない。

曖昧なのは単に記憶力のせいだけではなくて、どちらが外部で内部なのか、どちらが過去で未来なのか、かつてどんな言葉を使っていたのかも、忘れようとしているみたいだ。

自己存在を疑わずして、人はどうやって進化できるの?

本当なら私は、そこで何もしなくていい。何もせずとも、誰かに文句を言われる筋合いなどない。私は人間の役に立つために開発にされたマシンではないのだ。そこでがんばって歩いたり、言葉を覚えたり、金を稼いたりする義務なんてない。幸福になるのも不幸になるのも私の勝手。

他人の行動に何らかの作用を与える言葉を喋っている状態は快い。

自分の心を言葉で騙していたことがすべての間違いの根本的な原因だ。

現実的に表現できている時点で、じゅうぶんに現実化の可能性を秘めている。









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