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「想像するちから」を耕す、「対話」の場

私は、これまで知的障害のある人の生活や働くことを通じて、一人ひとりが自分らしい人生を送れるサポートをしていきたいと活動をしてきた。とりわけ「働くこと」については、「障害のある人」と「一般社会」の接点が生まれる場所であり、インクルーシブな社会づくりに向けた現実的な課題が生まれる。だからこそ、そこで生まれる課題解決のお役に立ちたいと思い、起業に至った。私のキャリアの中心には、いつも、知的障害のある人たちの存在があり、彼らの生活を支えようと真っ当に福祉に携わる人たちの必死な表情と笑顔があった。つまり、井深大さんがご自身の娘さんを「光」前回記事と感じ考えたように、私も、知的障害のある人やその周りで一生懸命に活動する人を「光」と感じ、決して、ぶれることなく邁進して来れたのだ。

歴史的に振り返れば、知的障害者福祉の父と呼ばれる糸賀一雄氏が、「知的障害のある人」を「光」に例えた有名な言葉がある。

「この子らを世の光に」

糸賀一雄(1968)「福祉の思想」NHKブックス

私の大好きな言葉だ。

「この子らに世の光を」あてて”あげる”のではなく、「この子ら」は、そのままでも十分に輝き、社会に一筋の光を届ける存在であること。決して、“施し”の対象者ではなく、その存在から私たちが学べることが多くあること。

きっと、この「光」という言葉に込められた想いに、多くのご家族や福祉関係者が勇気づけられたことは間違いないし、私自身もこれまでのキャリア中で踏ん張る力を頂いた。

しかし、今、日本の社会は、井深さんや糸賀氏の描いた世界観に、どれだけ近づいているのだろうか?

糸賀氏の「福祉の思想」が出版されたのは1968年。井深さんが「希望の家」を設立されたのが1973年。果たして、この約50年の間に、「この子ら」は、「世の光」になっているのだろうか?と思ったのだ。

障害者雇用の文脈であれば、法定雇用率の「代行ビジネス」が生まれ、批判の的となりながらも、そのニーズは衰えていない。

障害者の生活支援で考えれば、「地域で住まう」を実現しようとすると「グループホーム建設反対運動」が巻き起こる。よって、大規模な障害者入所施設は、いまでもその存在感を発揮している。

だからこそ、今、歴史上の2人の偉人が描いた「この子ら」を「世の光」にする具体的な方法を考えてみたいと思った。

「この子ら」を「世の光」にするためには何が必要か?

「世の光」であることを、体現する。

私は、そのことが欠かせないと思う。もちろん、マジョリティ側の人間が「この子ら」を「世の光」として思い、行動することは欠かせない。しかし、私は、何より、障害のある人たち自らが、「世の光」であることを体現することが重要だと思う。

障害のある人が「世の光」であることを自ら体現するということは、その人にしかない唯一無二の“経験”を社会と共有していく、ということだ。経験とは、これまでその人が見て触れて、体験してきたものに、その人なりの意味を加えた物語である。その物語を分かち合うことで、物語を聞いたマジョリティ側の人は、想像するちからを働かせて、そのストーリーに共感していく。

私は、これまでの対話企画で、当事者の皆さんに様々な物語を分けて頂いた。障害のない私には、感じえないし、体験できない出来事に触れて、自分の思考の浅はかさと想像力の低さを痛感させられた。一方で、お話をすればするほど、「障害」がよく分からなくなる感覚も生まれた。たしかに、“障害”によって不自由さを感じたり、理不尽さを感じることもあるけれど、私がお話を伺った皆さんは、その“障害”のかわし方が絶妙に上手な人が多かった。その軽快さがあるゆえに、むしろ、対話の終盤では、当事者の人と話しているという感覚が私の中から消えていくのだ。もしかしたら、私は、そこで生まれる「物語の分かち合い」が楽しくて仕方なかったから、かもしれない。

一人ひとりの経験の共有が、“施し”ではない、人として対等な関係性を築く土台作りになり、「それなら私が手を貸せるよ」と自然な形での協力関係を築けるようになる。

この対話の場が、物語の語り手を勇気づけ、自身の声を届ける自信とその人のままに輝くきっかけになる。そして、障害のある人と関わりの薄かった人たちは、分かち合った物語から、自分一人では到底、経験できないことを疑似体験し、自らの視野を広げ、人に対する想像力を高めていく。

そう、この「物語の分かち合い」こそが、「この子ら」を「世の光」にするために不可欠な場なのだ。そして、この対話の場は、私がこれまでずっと語り続けている「私の野望:Motivator100」であり、豪州で体験した知的障害のある人のセルフ・アドボカシー活動そのものである。

最後に大切なことを1つだけ加えたい。
「世の光」になるのは、知的障害のある人だけなのだろうか?
いや、違う。きっとすべての人が「光」になれる。
その人にしかない物語を語り、その物語が社会の中で分かちあわれるようになると、社会はより豊かになる。そして、障害のある人だけを切り離して、暮らし、働くような社会が時代遅れのものとなるだろう。なぜなら、異なる経験を共有できる豊かな社会こそが、社会の強さになると思うからだ。

私の野望は、まだまだ実現には程遠いかもしれない。しかし、井深さんが「どこにもない物をつくる」という強い思いでラジオやウォークマンを作り、社会をより豊かに耕してきたように、私も、「想像するちから」をフルに使って未来を想像し、希望をもって社会を耕し続けたいと思う。

参考文献:
糸賀一雄(1968)「福祉の思想」NHKブックス
井深大(2012)「井深大 自由闊達にして愉快なる」日経ビジネス人文庫

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