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「対話」のもつ力:「観」をめぐる息苦しさの解消


「観」をめぐる息苦しさ

初回の公開対話を終えてから今日まで「対話」がもつ力について考えている。公開対話を開催するに至った背景には、障害者雇用の現場で活躍する皆さんが息切れ状態にあるという現実との出会いがあった。

なぜ疲れてしまうのか?

私は、その要因の1つに、支援観や教育観、福祉観、障害観、障害者雇用観といった個の価値観に紐づく「観」をめぐる息苦しさがあるのではないかと思っている。これは障害者雇用だけに限らず、介護・福祉現場、教育現場など対人支援領域に幅広く通じる課題とも言える。

対人支援の現場で働く人たちからは、組織が掲げる方針に疑問を感じて転職したという話や、XXさんの教え方は優しすぎる(厳しすぎる)…といった「観」や「感」の違いに基づく話もある。もしくは、XXさんは学生や利用者の話はしっかりと聴くけど、自分の意見と異なる上司・同僚の話には全く耳を傾けない、といった類の話を聞くこともある。こうした現実に想いが挫かれたり、「とはいえ、現実はさ…」と自らの想いに蓋をしたり、場合によっては、他者が抱く想いにまで蓋をしようとする人も現れる。私自身も対人支援の現場にいた(いる)からこそ、利害関係のある状況でフラットに語り合えない難しさは理解できるし、それこそが「観」をめぐる息苦しさなのだと思う。

「観」をめぐる息苦しさの解消

一方で、「観」をめぐる多様性は、本来、対人支援業務の面白みの1つでもあると思う。決して息苦しさを生み出すものではなく、対人支援の奥深さ(支援・介護・教育を通じて、誰かのお役に立つ方法は無数にあって、1つではない)へと私たちを誘うもののはずだ。

そこで、もう一歩踏み込んで考えてみる。
「観」をめぐる多様性が、息苦しさではなく、私たちにポジティブな影響をもたらすために何が必要になるのだろうか、と。

私なりの仮説検証の1つとして、公開対話の場では、Co-Evolution代表の末広信太郎さんの知見を借りて、3つのグランドルールを設けている。

・本音で語る
・こころで聴く
・誰もが正しい(自分も、みんなも)

「観」をめぐる多様性は、安心安全な場でしか味わえないからこそ、この3つが大切になる。これは、私が豪州で学んできたセルフ・アドボカシー活動の要素ともぴったり重なるものだ。自分の意見を否定されない、しっかり聴いてもらえる、そんな安心感のある場なら、今日は話してみようかなと思えるし、無意識にも「自分が正しい!」と信じて進んできた人は、長年まとってきた鎧をいったん脱いでみようと思えるかもしれない。それはつまり、自分自身のもつ「強さ」をいったん横におき、「そうか、反対意見を言う人の背景を私はまったく知らなかったな…。」と自分自身の主張の「脆さ」や「弱さ」、場合によっては「苦手さ」と出会うための心得かもしれない。

公開対話グランドルール(セルフ・アドボカシー活動との融合)

私がこのように思うようになったのは、昨年の対話企画に遡る。「障害者雇用のここっておかしいよね?」をテーマに様々な人たちと「障害」や「障害者雇用」に対する「観」をめぐる対話を重ね、自分の見ている世界の狭さ、思考の浅さを痛感したからだ。私自身が、これまで専門領域で経験を積み重ね、一定程度の知識とスキルを身につけてきただろう…といった”思い込み”(という名の強さ)に気づかされ、自分の脆さと弱さに出会ったのた。だから、私は「人と話すこと」も「人の話を聴くこと」も大好きだが、対話する時間は、いつも何となくドキドキする。

そう考えてみると「観」をめぐる息苦しさの正体は、私たちが、自分自身の「弱さ」、「脆さ」、「苦手さ」といった誰しもが持っている「内なる弱さ」と向き合うことへの恐れから来るのかもしれない。しかし、そのステージを経ることなくして、「観」をめぐる多様性に気づくことも出来ないし、対人支援業務の奥深さにも気づけないようにも思う。

「観」をめぐる息苦しさからの解放。

それは、「観」をめぐる違いを恐れず、むしろ、その不安を楽しみや笑いに変えられる、安心安全な対話の場によってもたらされるのではないだろうか。それこそが、「対話」のもつ力であり、「対話」の場が放つエネルギーだと思っている。

息苦しさの先にあるもの:自分の内にある多様性に気づく

では、対話を通じて知った自分自身の「弱さ」、「脆さ」、「苦手さ」といった一面と、どのように付き合えば良いのかを次に考えてみる。私たちは、「強みを伸ばす」とよく口にするが、ネガティブな一面は見ないようにして「強み」を伸ばし、活かすことだけを考えれば良いのだろうか?

いや、私はそうは思わない。
まずは、自分の内に広がる「多様性」を認めることが次なるステップだと思う。

「私は、XXXといった考え方には共感できないんだな。」
「私は、自分と異なる意見を耳にすると、イライラするんだな。」
「私は、初めての人と話すときに異常に緊張するんだな。」
「私は、自分の意見が周りからどう思われているのか、すごく気にするんだな。」

等々、人と人とが「対話」を通じて、「聴く/聴かれる」体験を共有するといっきに自己理解が進む。自己理解とは、自分自身の中にある「多様性」に気づくことだ。一人ひとりの持つ明るい部分(例えば「強み」)だけでなく、自身の「弱さ」や「脆さ」、「苦手さ(ハードル)」といった内なる弱さを知ることこそが、DEIな社会を作る大切な一歩になると思うのだ。他者との違いを知り、その違いに寛容になろうと努力する前に、まずが自分自身の中にある多様性に気づき、認めてあげることからDEIの実践は広がるように今は思っている。

新たな問いの誕生:「障害」って何?

そして、その前提に立った時、改めて「障害って何?」という問いが私の中には生まれている。「障害と苦手は何が違うの?」、「障害と弱さって何が違うの?」。そんな問いである。いつか公開対話でも語り合ってみたいテーマであるが、そんな問いが社会の中で生まれ、対話が見えてきたら、「障害のない人」の定義も変わるかもしれない。

「障害のない人」=「”障害がない”と思い込んでいる人」
「障害のある人」=「自分の強さだけでなく、弱さも理解している自己認識ができる人」

もちろん、障害がないと思い込んでいる人は、自己理解の浅い人といった意味だけではない。私たちの暮らす社会が、様々な商品やサービスを開発し(例えば、眼鏡や老眼鏡)、暮らしやすいように環境を調整してくれた結果、「自身の弱さや脆さ、苦手さ(ハードル)」を感じることなく、「障害がない」と思い込めてきた人たちとも言える。それがこれまでの社会のマジョリティでもあったのだ。

これまで私は、会社のビジョン(「障害がキャリアを積む上で“障害”にならない社会の実現」)実現のために「障害への理解啓発」に力を入れて事業を継続してきた。周囲の理解が高まることで、社会から“障害”が薄れていくと信じていたからだ。しかし、これからは、従来のアプロ―チに加えて、「障害のない人」たちが自分たちの「弱さ」や「脆さ」、「苦手さ」に気づけるような場を作っていくことも大切ではないかと気づいた。それが、私たちの内に眠る「障害への記憶」を書き換え、今の日本社会に潜む”障害”を消していく一手になるからだ。そして、その最初の一手が、現時点では「公開対話」になると思っている。

次回、公開対話のお知らせ:

オンライン公開対話

第2回「オンライン公開対話」:4月26日(金)12:00-13:00
https://online-dialogue0426.peatix.com/view

お申込みは、上記、Peatixサイトよりお申込みください。
今回は、オーガナイザーとして、株式会社レオウィズの汐中さんにも加わって頂く予定です。
お昼ごはんを片手に、ゆるくお集まりください!
お会いできることを楽しみにしています。

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