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【読書】くらもちふさこ、宮部みゆき、、、作家と読者は信頼関係?

信頼関係。
と書くと、
がぜん硬い印象になりますが、
私たちは、
人間関係と同じく、
作家や作品、本についても
信頼感は大事にしています。

毎回、期待通りの、
または期待以上の何かをくれる
作家にはがぜん、信頼感をもつ。

これが、読んでみて、 
期待以下が何回か続けば、
いつかはもうその作家を
読まなくなりますよね。

読書というのは、
まずその時に読む作家や作品に
信頼感をいだいていることが
大前提なんですよね。

そういう意味では、
読者というのは、
けっこう残酷なんだなあ(汗)。

期待以下が続けば、
もう関係性を切ってしまう訳で。

でも、作家、漫画家も
不完全な人間たちですよね。

毎回、期待以上の創作を
続けていけば、いつか
限界を迎えてしまう。

ならば、期待通りという
クオリティを続けてくれれば
読者も満足して、
また次回作も付いていく。

でも、不思議なことに、
たとえば、少女漫画家
くらもちふさこ先生。
くらもち先生は、
毎回、タッチも変えるし、
世界観も変えてしまう。
そういう意味では、
担当編集者泣かせです。

なぜなら、 
せっかく前作でヒットしたのに、
今作ではまるで前作の面影もない
新しいタッチや世界観に
チャレンジしようとなさる。

編集者どころか、
ファンだって戸惑うのでは?
となるはずなんですが、
なぜか、くらもち先生の読者は
そのチャレンジ精神も含めて
お好きなようで、
この場合、
くらもち先生とその読者には
深い信頼関係があるんでしょうね。

冒頭に書いた、
期待以上とか、
期待通りとかは、
くらもち先生に関しては
当てはまらないのかもしれない。

いや、毎回
チャレンジしてくれることこそ、
読者は期待しているのかしら。

くらもち先生の特殊性については、
ずっと王道マンガを描いておられる
槇村さとる先生や
安野モヨコさんを思い浮かべれば、
くっきりわかる気がします。

読書における「信頼感」は
ひとすじ縄では片付けられない
みたいですね、どうも。

結論として、
作家には、
読者を永遠に喜ばせる義務は
あるのでしょうか?

時に、
作家には申し訳ないですが、
クオリティが落ちてゆく姿は
あまり見たくはない、
少なくとも私は見たくない。

という意味で、
宮部みゆきさんは、
うまく分野を切り替えることで
クオリティを保ってきた人だ。

現代ものの最高傑作
『模倣犯』以降は、
現代ものの凶悪犯を書く苦しさに
耐えられず、
時代小説にシフトなさっていった。
時代小説は一種のファンタジーとして
義理や人情もリアリティを持つから
世界観は優しく切なくていい。

これが現代的な
シリアルキラーとなると
義理や人情は存在しない世界になる。

宮部さんは、
現代ものも、
並行して書いておられるが、
あきらかに残忍さは
大人しくなりを潜めている。

現代ミステリー作家でさえ、
現代の凶悪犯人を描くのは
どれほど心を鬼にせねばならないか
いや鬼どころのレベルではない、
苦行だったのでしょう。

だから、今、宮部みゆきが
時代小説という分野を
主戦場にしていることは、
読者への責任感の高さを
改めて痛感させられますね。

話がまたまた逸れましたが、
やはり読書とは、
作家との深い信頼感があってこそ、
結ばれる契約行為なんでしょうね。

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