見出し画像

【太宰治読書会@コメント欄】いきなり読書会!太宰治について語り合いませんか?

明日6月13日は桜桃忌、
太宰治の命日です。
そんな訳で(強引ですが)
この記事をもってして、
「太宰治何でもあり読書会」を
開催させていただきます。
太宰治の作品について、
感想や思い出、解釈、
また、太宰その人自体への
思い入れや、または嫌いさ(笑)。
また、アンチ太宰治の方からの
感想や思いも、歓迎です!
良かったらこのnoteの記事の
コメント欄にて、
自由に書いてみて、
語り合いませんか。

ということで、
太宰治読書会@note、
スタートです。

まずは皮切りに私の話を
聞いてください。

私は太宰治は自殺ではなく、
死にたがり屋の山崎富栄が
無理やり太宰を誘って心中に
なだれこんだ説を長い間、
信じてきました。

だって、戦前は芥川賞欲しさに
数メートルある手紙を
川端康成や佐藤春夫に送った
いぎたないほどの人物です。
そんな売れない作家が
戦後『斜陽』『人間失格』と
大ベストセラーが続き、
大手映画会社からも
人気女優の映画の脚本を
頼まれるようになります。
いわば、俗に言う「売れた」んです。
そんな油が乗り始めた男が
矢先に自殺する訳がない。
私の編集経験からも、
売れ始めたら、どんな作家も
目に見えて輝きだすものです。

それを一番誰よりも願ってた
作家が苦節20年近くになって
やっと戦後の2作で
ベストセラー作家になって
死ぬなんて絶対におかしい。

ただ、遺書もありました。
そこには「小説を書くのが
辛くなった」とありました。
多分『人間失格』を超える
作品を書くのが困難だと
うつになってたのでしょう。
ヒットを放つとその次が
先のヒットを超えられるか、
作家は怖くて不安でたまらなく
なるんですよね?
2作めのジンクスというやつです。
馬鹿だなあ、太宰は…。
一時はそうなっても、
どんな名作作家も、
ベストセラーの次に
何かを書かざるを得ないんだから。
馬鹿だったなあ、、、、。

でも私も太宰をそんなに
馬鹿だなって言えるほど
賢くはありません。

2年、いや3年前。
私はうつ病で仕事もなく
お金も困っていました。
自殺しようと思いました。
私の住むアパートは
太宰治のお墓があるお寺の傍です。
自殺するなら、先輩にして
大ファンだった太宰に
報告してからにしよう。
そう思って禅林寺に行きました。
太宰の墓の近くに行くと
その日、一人の青年が
墓の前に立って何やら
話しかけています。

すぐに帰るかな?と
しばらく、墓地で離れて
待つことにしました。

青年は新聞を広げています。
スポーツ新聞のようでした。
気になって聴いてみると、
昨日の巨人の試合についての
記事を朗読してました。

え?な、な、なんで?
色々なクエスチョンが頭いっぱいに
浮かびました。
なぜ、巨人?
なぜ、それを太宰に?
なぜ、墓に向かって?
それに、誰?

これは困ったなあ。
しばらくやはり待ち続けました。
5分、10分、15分、20分、、、。
彼の朗読を聴きながら
私はとんでもない
ユーモア演劇に巻き込まれたような
心境になってきました。
さっきまで頭いっぱいに
なっていた自殺願望も
揺らぎだしました。

だって、太宰に巨人の試合の
様子を聞かせてやろうと
一生懸命な一人の青年の、
がむしゃらな朗読。
なんの混じりけもない純心。

もう自分だけ一人腐っていた
心理は、すっかり湿り気が
乾いていました。
やれやれ、です。

私は30分たったあたりで
帰ることにしました。
青年はまだ朗読を続けていました。
もう別の球団の様子に移ってました。

墓地を後にした私は
呵呵大笑するしかありません、
でした。

自転車に乗り、
自分のアパートへ
道を引き返しました。
笑いながら、後から涙も
滲んできました。
これは、洒落っ気たっぷりだった
太宰治の、私へのサプライズ?
プレゼント?だったんだろうか?

いやいや、それは考え過ぎ(笑)。
それにしても、あの青年の
太い首回りは今も忘れることが
できません。

私の太宰の話は以上です。
作品についての解釈まで行くには
もう長く書き過ぎてしまいました。

良かったら、
皆さんで、太宰治の感想や
思い入れ、解釈、それから
アンチな方は好きになれない理由など
コメント欄に、自由に
お書きください。
よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?