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【note】結論は最初に書く?意味深にボヤかす?

自分のことは棚上げして
甚だ恐縮なのですが、
ちょっと話を聞いてくださいますか。
(笑)。

人のnoteを見る時、センスのあるなしが
はっきりわかるのは、なんでしょうか。

まず、一行めで、これから何について、
また、どんなところに、
書き手は連れて行ってくれるのか、
すぐにわからせてくれる記事、
しかも、結論は伏せてある記事は
「うまいなあ」
「スキがこんなにつく筈だ」
とつくづく感じます。

結論は敢えて上手くボカシてるのに、
これから書いていく奥行きは
イメージ喚起させてくれるんですよ。

「まず結論を先に書きましょう」
なんて、
文章上達のレクチャーで
よく出てきますが、
結論と奥行きは違いますね。

最初に読者に安心感を
持ってもらうために必要なのは、
結論ではなく、ゴールの気配。奥行きです。

結論を最初に提示したら
読者はもう記事を読んでくれません。
(笑)。

それから、
私がやられたなあ、
そんな手があったかあと
毎度思うのは、
プロフィールの最初。
肩書き?やメインのテーマです。

「選本家」という肩書きをつけて
書評を書いてる方がいます。
「書評家」ではなく、
いい本を選ぶ人、選本家。

普通に書評するよりも、
ステージがひとつ上に感じますね。
センスがいいなあ、と
羨ましくありましたが、
その肩書きを私も使うのでは
その方の泥棒になってしまう…汗。

もっと別の肩書きを
見つけたり、こしらえたいと思います。

もう一人、うわあ、凄いな
と、吹き飛ばされたのは、 
プロフィールの冒頭に
「橋本治の研究をしています」と 
書いている方のnoteに出会った時。
chisato_mrtさんという方です。

誰の研究をしているか?
何を研究しているか?端的に。
これは、物凄くセンスを問いますね。

戦後文学を研究してます、
というククリでは、
好奇心は惹かれにくいですよね?

また、重松清や東野圭吾を
研究してます、では、
大人気過ぎて、ツカミどころがなく、
これまた惹かれにくい。。。

そこへ行くと、
橋本治の研究、と言われたら、
ちょっと背筋がゾゾっとしました。

橋本治は、
書き残した分量は
おそらくかなり多いですが、 
研究できないことはない。
3年前に他界した橋本治なら、
ある意味もうこれ以上増えないし、
非常に意味深な言葉や作品を
たくさん残してあるのは間違いない。

おまけに、
三島由紀夫の研究、とか、
太宰治の研究となると、
もう余りに先輩方が沢山いすぎて、
全然あたらしみがないですが、
橋本治研究者、というのは、
柔らかさ、新しさ、鋭さを
同時に感じます。攻めてるなあ。

橋本治の研究者、かあ。
ひらめきのセンスに脱帽。

さあ、私は誰の研究者になろうか、
しっかり考えてみます。

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