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【人生】生きるってのは、暇つぶしだ?

《生きているのは暇つぶしなのか?》

深沢七郎
『生きているのはひまつぶし』という
本があります。光文社文庫です。

こんな人を食ったタイトルもないぞ、
ひでえ爺いだな、と若い時は
不誠実な印象しかなく、 
深沢七郎はあまり読まなかった。

深沢七郎の凄さが
わかってきたのは最近です。

戦後文学者や知識人が、
政治運動や、革命理論の模倣に
忙しかった時代。
1960年代、70年代。

その頃に、まるで彗星のように現れ
『楢山節考』という
姥捨山伝説をよみがえらせました。
御伽話のような小説を書き、
正宗白鳥や、三島由紀夫を驚かせ、
激賞を浴びました。

一見すると、なんてことない昔話です。
でも、老婆と息子の死への道行き話。
『楢山節考』には地に足ついた、
人間や土や山の匂いがします。

でも、ただのリアリズムでもない。
理屈を超えた、業の深さ。
あれは、名人芸ですね。
政治や革命思想や文学に被れた
青年からは絶対に出てこない。
偉大な人間苦。

深沢七郎は「高級」な思想や、
「深刻」な政治に溺れるような、
見栄がなかったのだろう。
人生や人間があまりに 
見え過ぎていたのだろうか。

深沢七郎には
『みちのくの人形』という
短編の名作もある。
東北に昔あった間引きの風習を、
素朴に淡々と描いた悲劇。
やはり、人間苦のありのままの姿を
描いてるかのよう。

さて。
人生は、暇つぶしだろうか?
生きてく以上、
生き甲斐や使命を模索し
ひたすら邁進してきた人類だけど、
その腹の裏側では、
な~に、アリたちがやけに
バタバタしてるんだい?と
覚めた感覚がきっとあるに違いない。

私たちはそれをまだ
認めたくはないけれど(汗)。

深沢は、三島由紀夫に激賞され、
デビューできたのだから、
三島は恩人なのだが、
深沢にはやはり見え過ぎてたらしい。
三島由紀夫は、高い中華料理店で
豪快な振る舞いで  
高い料理を深沢にご馳走してくれ、 
満足そうに会話を楽しんだ。
深沢はテーブルで笑みを浮かべ、
料理を食べながら、
三島を鋭く観察してる。
…三島という男は、
俺(深沢)みたいな田舎者には
高級店で豪華な料理を食べるのが
人生の夢だと信じ切っている、
と冷やかに書いている。

深沢七郎という爺さんは、
日本知性の代表のような
三島由紀夫を前にして、
一見ヘラヘラしながら、
実に手玉に取るように見ている。
見え過ぎている。
食えない人だ、恐ろしい人だ。

こんな鋭い目を持った人なら、
暇つぶしもさぞや楽しかったろうか。
様々な暇つぶしもあったに違いない。

人生は、涙と笑いがいっぱいの
暇つぶし?なのかもしれない。

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