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【差別語】筒井康隆と差別語狩りとわたし?!

筒井康隆。
夢野久作。
ときどき、大江健三郎。

これらの作家は、
読んでいたり、
好きだったりします。
なのに、なぜか昔から、
好きと同じくらい
苦手意識があります。

私のような未熟な読解力しかない
人間にはまだ
彼らの作品の本当の魅力の深さを
そのポテンシャル通り、
きちんと理解しているのか、
自信がありません。
いや、おそらくは
本当に至ってはいないでしょう。

特に、筒井康隆。
何かとタブーに挑戦してきた
スリリングな作家。

てんかんや精神病に関して
たぶん、戦後日本でゆいいつ、
マスコミの自己規制に
従わないタフなスタンスで
創作活動をしてきました。

戦後、なぜか、
マスコミは、
つまり、文芸編集部も含め、
極めて、強烈な自己規制を
敷いてきました。

雑誌や書籍、テレビ、
ラジオ、新聞らで、
印象の悪い言葉つかいで、
「キチガイみたいな」や
「てんかんみたいな」といった
言葉遣いを
編集部や担当者が
必ずや、言い換えましょう、
といわれながら、
そんな事なかれ主義の担当が
言ったであろう小手先に
応じなかった作家、
それが筒井の作品の本質とは
余り関係がないのに、
つい、筒井のそうした
スリリングなスタンスが
読書中に、頭をよぎってしまう。

いや、そんなスタンスが
作品と全く無関係でしょうか。
いや、本質的な態度と作品の間には
関係はあるでしょう。

世の中の常識、
それもタブーに対して
挑発的なスタンスをとる
という意味では、
同じかもしれません。

ただ、
私はかつて、
90年代、2000年代という、
もっとも、マスコミが
自己規制に懸命だった時代に
編集者であったため、
正直、恥ずかしながら、
ついつい、自主的に
微妙な言葉は規制しようという
スタンスが身に付いています。
情けなくて、お恥ずかしい。

2000年代、
レトロな漫画復刻ブームの時代、
『アストロ球団』という
ファンキーな漫画の復刻を
仕事で担当したことがありました。

アストロ球団には、
作品中に、何度も
「めく◯〜」という言葉が、
野球選手の口から叫ばれます。
もともと古い時代の作品だから、
漫画雑誌に連載されてる時は
問題視されなかったのでしょう。

それが、名作復刻シリーズで
アストロ球団を出そうとした時、
表現として、
冒頭から最後まで、
漫画家と向きあいながら、
差別表現をひとつひとつ、
別な言い換えはできないか、
必死に探して、目の前で
「お願いします」と頼み入り、
先生に許諾を頂いた時の大変さを
時々、思い出します。

さて、話がまた逸れました。
筒井康隆に話を戻します。

万が一、万が一ですよ、
筒井康隆の担当になったり、
その宣伝を担当したりなんかして、
筒井康隆が書いた挑発的な文章で、
普段はなんとなく使わないよう
規制している言葉のせいで、
まあ、もうそれだけで、
筒井氏とのやり取りを繰り返したり、
社内で何度も会議したり、
するのは明らかです。

ただ、筒井康隆は
文芸編集部に蔓延してる
そんなタブーを試しているだけかな。
精神疾患の患者をどうこうする
つもりはないし、
その系統の団体を
無闇に怒らせるつもりはない。

ただ、編集部や出版社、
新聞社、テレビ局、ラジオ局らが
どんなふうに、
つまらない精神を帯びているか、
試しているでしょうし、
どこまで改善してくれるか、
見たいのでしょう。

そんな逸話があるからといって、
筒井康隆をそんな逸話で
理解してはなりません。

だから、まだ私は
筒井康隆をきちんと
その本質まで理解してるとは
今はまだ到底思えない。

筒井康隆を読み込むことは
ファンキーで、自由な
精神に触れることができるにちがいない。

これは、夢野久作にも
つながるものです。
だから、まだ夢野久作を
よく読解できてはいないにちがいない、
と思ってしまう。

それから、
大江健三郎にも、
初期には、
発表したものの、
単行本化されなかった 
やばい作品があります。
『セブンティーン〜 第2部〜』  
だったかな。
そのまま、単行本化したら、
右翼から抹殺されそうな話でした。
左翼も右翼も暴れん坊だった
政治の季節でした。

その辺りこそ、
大江健三郎のいちばん
面白い醍醐味だったんでしょう。

でも、その辺りは、
『性的人間』やら、
『セブンティーン』やら、
無闇に、右翼を皮肉る
大江健三郎にしては珍しい
挑発的な精神の時期でした。
この時代以降は、
あまり天皇や皇族を
滅多には登場人物にしない 
タブーができました。

タブーを破壊しようとする作家が
時に大胆な行動に出る、
そんな時を見つめるのも、
また、こちらまでスリリングになり、
ふだんは、何か異常に
規制されているのか、
それを考える機会を与えてくれる。

このnoteにも、
ふだんは、どれくらい、
自主的な規制が働いているだらう?
たまには、考えてみるのも
決して悪くはないでしょうね。

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