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人間好きVS人間嫌い。どっちが幸せに…!?

私は人が好きだ、人間が好きだ、
なんて話をよく見聞きします。

その度に少し滅入ってしまう。
私は人が好きだと言い切る
自信がないからです。
羨ましくもあります。

特に、小説を書いたり、
エッセイを書いたりすることには
「人が好きなこと」は
重要な事に見受けられるから。
逆に言うと、
人が好きでない者には
人間の話を書くことが出来るかどうか
資質が怪しくもある。

たしかに、
誰かにバーベキューに誘われても、
知らない人ばかりの場合は
100%断わってしまう。

人がうじゃうじゃいる
誰かのホームパーティも、
知らない人ばかりなら
やはり断わるにちがいない。
要は、人見知りなのだろう。

でも、興味はある。
同じ人間として、というよりも、
果たしてどんな人間なのか?
というアングルから。
それは、人間好きかどうか?は
怪しいかもしれない。

でも、書いていて、
わかったことがある。
私は人間嫌いな面がある、
かもしれない。

若い時は、人並みに、
人間が好きだったけれど、
中年を過ぎた辺りからは、
人間嫌いになった気がする。
それもまた、人並みに(笑)。

やはり、若い時は、
相手にたくさん期待したし、
理解したがろうとしたし、
うまくやろうともしてきた。

そうして、それらはみな、
悲しい話ながら、裏切られた。
期待が応えらえることはなかったし、
理解などほとんどできなかった。
うまくやることも難しかった。

それは、私だけではない。
きっと大勢の人が体験し、学び、 
臆病になってきたことでしょう。

そうした体験や臆病さから
人は、人間嫌いになる。

人間嫌いになどなって、
どんなメリットがあるでしょう?
それはわかりません。
わかりませんが、
歴史上や、はたまた、物語などには
人間嫌いがよく出てきますね。
ドストエフスキーや
チェーホフの作品など、
海外の古典作品には、
人間嫌いが重要な役割で
出てきますね。

人間好きと、人間嫌い、
どちらが幸せになれるんだろう?

人間好きは、
現実の友は増えていくでしょう。
でも、人間嫌いは、
歳を取るにつれ、
リアルの友人が減っていきますね。
それを世間は「孤高」と
呼ぶかもしれない。
まあ、孤高なんて、
そんなにカッコいいものじゃ
ないけれど…。
気楽で自由であることは間違いない。

だから、今日の私は、
人間嫌いに軍配を上げたい。

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