見出し画像

【笑いと文学】笑いを上手く描く作家は関西人?西加奈子、筒井康隆…

日本文学、近代文学で
最近、今さらながら
ある短所に気づいてしまいました。

それは「笑い」。
漱石や鴎外ばかりか、
日本文学のほとんどが笑いがない。
(いや、夏目漱石「吾輩は猫である」は
ユーモア小説でしたね)

もしかしたら、
笑いについて、意識的に
取り組もうとしたのは、
坂口安吾くらいかな。
太宰もまた、気まぐれながら
笑いについては
自分の作品に取り入れようと
していたかもしれない。

最近では、
意識的に笑いを取り入れている
作家がすぐにおもいつく。
西加奈子さんだ。

三浦しをんさんも
爆笑エッセイでは
笑いが満載ですが、
小説では、笑いは少ない。

それに比べると、
西加奈子さんは
『漁港の肉子ちゃん』や
『ふくわらい』や
『きりこについて』など、
ブサイクな女性が
明るく優しくたくましく
生きる物語を書いている。

もう本来はどん底な人生なのに、
いや、どん底だから
あとは上がるしかない物語、
メソメソしない、
日本純文学にはなかった
斬新な魅力が西さんにはある、
気がします。

日本文学で、 
キャラクター造形など
漫画のチカラを取り入れた作家は、
吉本ばななか、
橋本治かと思ってきましたが、
ばななさんや橋本さんは
やはり、どこか、
吹っ切れてはいなくて、
最終的には、
切なさや悲しさが基調に
なっている気配。

それに比べたら、
西加奈子は、
読者を笑わせようとしている。
あきらかに、文学としては
異端な存在でしょう。 
笑いが好きなのは、
彼女が大阪出身なことと
関係があるかもしれない。

谷崎が愛や欲望を主題にし、
太宰が善き人生を主題にし、
夏目漱石は孤独からの解放を
主題にしたように、 
作家はみな、メインテーマを
持っていますが、
笑いをテーマにする人は
案外、少ない。

お笑い芸人の又吉直樹でさえ、
文学に向き合うと、
なぜか切なさ儚さが主題になる。

民俗学の始祖、柳田国男は
日本文化では、
喜劇は悲劇より下に見られる、
という著書がありました。

それは、
文学でも同じかもしれない。

そんな中、
西加奈子は、迷いもなく、
笑い?というか、
陽気さを主題にしている。
これはすごい潔さですよね。

海外では、
カフカ『変身』やら、
ゴーゴリ『鼻』、
チェーホフの初期の
ユーモラス小説などなど、
わりあい、笑いは
見受けられますね。

ならば、
ゴーゴリを主題にした
後藤明生や小島信夫も
笑いに意識的ではあったでしょう。
あ、忘れていました。

人間について、
笑いの側面を描こうとした
日本の作家がいました。

筒井康隆です。
道理で、筒井は新潮文庫で、
「自選ユーモア傑作集」 
「自選ドタバタ傑作集」などを
出しているじゃないですか。

筒井康隆とよく比べられる
星新一は、笑いに関しては
ダイレクトには取り組んでは
いないような気がする。

ブラックジョークのような、
奥深い笑いが作品の奥に
隠されているような、
そんな微妙な笑いのような。
苦笑、失笑、哄笑などか。

今までは、
星新一は素直で、
筒井康隆はへそ曲がりで、
と思っていましたが、
もしかしたら、
それは逆かもしれない、
いや、少なくとも、
星新一も実は筒井と並ぶほど
複雑な作家だったかもしれない。

今日は、文学の笑いについて
西加奈子を取り上げたつもりが、
話がそれまくり、
結局はいつものように
筒井康隆の話になってしまった。

あ、筒井康隆も関西人だ。

笑いのある文学は、
関西人のよくするところかも
しれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?