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【読書】文学青年はいても、文学青女がいないのはなぜだろう?

昔から、疑問があります。
文学青年という言葉があるのに、
それに呼応する女性をさす
言葉がない。…ですよね?
ありますか。
青年にあたる「青女」なんて
単語もないですよね?

仕方なく、
文学青年に対照的な女性は
「文学少女」という言葉を使うしかない。

そんな訳で、
文学青年、
文学少女、という言葉を
使い分けることになる。

明治以来、
インテリは文明や社会の言葉は
たくさん造語したけれど、
女性にまつわる言葉については
熱心に造語してこなかった、
…ということかもしれない。

20才の読書好きな女性も、
「少女」と呼ぶしかないとは!?

女性は、妻、母、女、など、
役割に合わせ、使い分けてますが、
青春時代の女性をなんて呼ぶのか
言葉がないのは、
考えさせられますね。
その年齢の女性には、
社会が言葉を用意しなかった、
または勉強したり学ぶ女性を
特定の言葉で呼ぶ必要はないと
社会は感じていたってことなのか?

さて。
文学青年について。

最近、文学青年なんて
いるのだろうか。
いるなら、どんな特徴だろうか?

文学青年と言われて、
私がパッとイメージするのは、
憂うつそうな顔、
服や髪は無頓着、
トークは苦手そうなイメージ、
さらに、意外と恋愛には
夢中になったら
周りを気にしないで突き進んでいく、
で、始まったばかりの恋は
いつも振られてしまう!!

なんだか、こう書けば、
青年時代の私の特徴になって
しまっているなあ…(笑)。

ただ、今どきの青年は、
読む本の種類がかなり
変わってるんでしょうね。

きっと今は、自己啓発本、
実用的なビジネス本をメインに
読書青年は読んでいるかな。
そんな印象があります。

きっと、noteでも、
若い読書家はどんな本を
読んでるんだろう?と見たりすると、
もうビジネス派が多数で、
私的にはガックリ…。

読書でいちばん大事なのは何か?
私的には、
実用にもならないものも含め、
幾層ものベースキャンプを持ち、知り、
楽しみたいという欲求の解放。
生きる拠点、ベースキャンプは、
たくさんあった方がいいはず。

せっかくの読書も、
いま生きている現実に
終始してばかりいては、
人生はあまりに貧相ではないかしら?

小説やエッセイや批評で、
どれだけ、現実とは別空間の世界を
いくつ持てるか?
それが読書の強みや深みではないか?

そこに魂を込めていくのが、
文学青年、文学少女の
生きる道ではないでしょうか?

ちょっとおおげさでしたかね?

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