どうしてますか? 日常で起こるちょっとイヤなこと

NVC日記です。
その前に、NVC(非暴力コミュニケーション、共感コミュニケーション)と学校でやる教科の「道徳」との違いを書きたいと思います。

NVCと道徳はどうちがうか

私はNVCを最初に知ったとき「ちょっと道徳の授業みたいだな」と思いました。
たとえばクラスに勝手な子がいて、みんな困っているんだけど、実はその子には事情があって~とかいう話、道徳の教科書とかに載ってそうじゃないですか?(あとでみてみよう)
だから相手に思いやりを持とう、とかそういうやつです。

それってきれいごとすぎるし、欺瞞だし、なんなら無理! だと思います。NVCはまず相手よりも自分に「共感」します(「自己共感」)。そのうえで出てきた「感情」を否定せず、出し切ります。そして必要があればたっぷり「嘆き」、「ゆるし」てあげる。
そこまで自己共感できて初めて、相手にも共感できる、という流れです。

それからNVCでは感情を大切にします。普段、感情ってポジティブかネガティブで簡単に分けられてしまいがちですが、両面あっての感情です。「事実」と「思考」を分けて考え慣れていないと、それに善悪をつけてしまうんですよね。
よくあるのは「ネガティブな感情を出すと波動が下がる」というやつですが、私は出さない方がからだによくないよ、と思います。

以上、NVCと道徳の違いを考えてみました。
では本題に入ります。

ちょっとイヤなことがあった

ちょっとイヤなことって、日常で普通に起こりますよね。行列で割り込まれたらムカッとするし、傘を間違われて持って行かれたら泣きたくなります。

今回私に起こった「ちょっとイヤなこと」は、ごはんとケーキが美味しいお店で起こったことです。ここではそのお店で起こった話を書きますが、単なる批判ととられたくないので、ところどころ小さなフィクションを交えることにします。

そのお店には今まで数回行ったことがあります。ごはんとケーキが美味しくて、テイクアウトもできるのでとても気に入っていました。ですが、1点だけ気になることがありました。それは、店主が会話のなかで発する「はっ?」という言い方です。「え、ちょっとわからない」「どういうこと?」という意味で発する「はっ?」は、私にはキツく感じられていました。

「キツく」は思考で解釈です。感情は「こわい」でしょうか。ですが、今回のことが起こる前提としての私の内部については特に深掘りすることなく「ちょっとキツい言い方をするけど美味しいごはんとケーキを提供する店主がやっているお店」という前提のまま、店へ行ったわけです。

私と友達はそれぞれの車でその店のパーキングスペースに車を停めようとしました。その店のパーキングスペースのあるパーキングエリアは10数台停められる広さですが、その店のスペースは2台のみで、そのときは1台分しか空いていませんでした。

とりあえず私の車をパーキングエリアのなかのパーキングスペース外のスペース(でも他の車の出入りには影響しなさそうなところ)に停めて、店内へ。その時点ではテイクアウトでもいいと思っていました。

私としてはパーキングスペース外にとりあえず駐車している状態が気になります。友達はこの店に行くのは初めてです。私の持っている「店主はキツい」という前提がなく、かつわりと天然な友達は「あそこに停めてもいいか、聞いてみようか」と言いだします。
お店としては決められたパーキングスペース外に停めてもいいかと聞かれても困るだろうということは想像できましたが、友達が聞くのなら、と止めずにいると、友達は実際に店主に聞いてしまいました。すると、店主には何のことを言っているのかわからなかったらしく、あの「はっ?」が発動。

この時点で私の心のなかは曇天模様。イヤな感じです。ではテイクアウトでさくっと帰ろうかと思っていると、ちょうどテイクアウトを待っていた女性が自分の車がどくからそこに停めてと言ってくれました。感謝する私。

果たしてその女性が帰ったあとに、店のパーキングスペースに停めたのですが、実はその店にはこんな決まりがありました。「同一グループの場合は1台に乗り合わせてきてください」というきまりです。どこかに書いてあったかもしれませんが、このときは思い出しませんでした。無事に駐車できたので店に戻ろうとすると、店で待っていた友達が駐車場の方に歩いてきて「2台は停められないと言われた」と言います。

それはどういう意味かな、と二人でしばし考えます。「ほんとは同一グループは1台しか停められないんだけど、今度からは気をつけてね」という意味なのか、本当に「2台は停められないから移動してくれ」という意味なのか。

こういうとき、人は自分に都合のいい解釈をします。たぶん前者だろう。とりあえず今回のことは謝って、次から気をつけまーすと言えばいいかと思い、店内に戻ってその旨を伝えました。自分としては「今回は見逃してくれよ~」くらいの、でもちょっと店主にこわさを感じているので言っておこう(だったらこわくない人には言わないのか、と自分つっこみ、、、)みたいな感じ。

次に店主が言ったことは「同一グループで来店の場合は1台で乗り合わせをお願いしている。店内で食べた場合に後から他のお客様の車が停められない場合は、食事中でも移動してもらう」という内容でした。

私は軽くパニックになりました。
食事中でも移動とはどういうこと?! もしまだ食べきっていなかったら、それは持ち帰れるのか?
私には冗談が通じないというか、言葉を額面通りに受け止めてしまう傾向があります。もし横にいた友達が「じゃあテイクアウトでいいか」と言わなかったら、持ち帰りできるか聞いていたと思います。あほ。

京都で帰ってほしい客にお茶漬けを出すという風習のことを聞いたことがありますが、もし私がやられたら普通にお茶漬け食べてそのまま居座っていたかもしれません。

要するに、店主の言いたかったことは「同一グループで車2台で来たら、店内では食べられない(テイクアウトのみ)」という「宣告」、もしくは「食事中に移動することになってもいいなら店内で食べれば?」という「おどし」(それこそ言い方キツいですが)(もしくは百歩譲って「確認」)だったのです。私は単なる事実の「通知」だととらえていたのでした。「そうなんだ! でも食事中でもって???」これでは友達より、私の方がずっと天然ですね。

話は変わりますが「彼氏彼女になろう」という意味の「つきあう」も、長い間、意味がわかりませんでした。「つきあうって、どこまでつきあうのかな??」なんて首をかしげいているうちに、甘酸っぱいとされる季節は過ぎ、そんな言葉を使わずとも済む年齢になってしまいました。昨夜、ジブリの「耳をすませば」をみて、後悔とまではいかないもののなんとなく残念な気持ちになったことをここに告白します。

で、結局その店の美味しいごはんとケーキをテイクアウトし、うちで食べたのですが、しばらくはモヤモヤが残ります。NVCを知らない友達とは「なんか感じ悪かったよね」「だったら駐車場増やせばいいのに」などとガス抜き的に悪口を言い(NVCでいうジャッカルトーク)、それでその話題は終わったのですが、私のなかには「日常で起こるイヤなことをNVCでどう料理するか、格好のネタが来た!」とほくそえむもう一人の私がいました。

楽しい自己共感

そして夜は楽しい自己共感の時間です。いつも聴いてもらえるとはかぎらないので、自分でやります。自分でやるときはノートを使います。

まず事実をバーっと書きます。このとき気をつけるのは事実だけを書くこと。
それから、そしてどう思ったか、どう感じたかを書きます。この際は遠慮はいりません。このときにNVCの感情のリストに助けてもらってもいいです。
今回私が書いたのは、以下の通り。

ムカッ ズキッ 敵意 傷つけられた 不快感 混乱 とまどい 途方に  暮れる ギョッとする 動揺 まごつき 不穏な 居心地悪い

「店内でそのお店のごはんとケーキを食べたい自分
VS
駐車スペースをより多いお客を受け入れるために有効に使いたい店主
(そのために同一グループは相乗りというルールをもうける)」

という対立がみえてきました。ですが、リメンバー? そもそも私はイートインにはこだわっていなかったのです。たまたま先に来ていたお客の女性が駐車スペースをゆずってくれたからイートインできる流れになっただけで。

そこで「店内で」が、自分の定義から外れて「そのお店のごはんとケーキを食べたい自分」になりました。

そう、私はたとえ店主がちょっと苦手な店でも、その店のごはんとケーキが食べたかったのです。

NVCで使うニーズリストのなかにはあまり使われないものもありますが、今回の私が思い当たったニーズは「食べ物」で、まさにレアアイテムでした。
ちなみに他に思い当たったニーズは、

受容(店主に大目にみてもらうこと)
リラックス(緊張せずにごはんを食べること)
場所(ごはんを食べる場所)

と、出てきたニーズのうちほとんどが食べることに関することでした。

結局、今回はテイクアウトで食べられたので食べるニーズは満たされたため、嘆くことはしませんでしたが、ニーズが満たされなかった場合、ここでたっぷりと嘆くことが必要になります。

ここで思い出すのが、いとこの子どもが小さかったときのことです。いとこには4人子どもがいて、その子は4番目の唯一の男の子でした。ある朝、幼稚園に行く前からアイスを食べて、もう1つ食べたいと泣き出します。そのとき、たまたま泊りにいっていたのでその様子を一部始終みていたのですが、彼は泣き続けます。4人の子どものかあちゃんであるいとこは動じません。さすがに4番目の待望の男の子でも朝からアイス2個はあげないようで、なだめるでもなく子どもが泣くのを適当に流していました。

子どもはしばらく泣いていました。けっこう長く泣いていましたが、ついに言いました。「あいす、たべたかったー!」

それまで「たべたい」の一点張りだったのが、過去形になったのです。これにて彼の嘆きは完了、泣きやんで、いとこと幼稚園に登園していきました。

多くの大人に足りないのはこの嘆きでしょう。嘆き足りないので、あとあとこじらせるのです。大丈夫じゃないのに大丈夫とか言ってんじゃねえぞ。

閑話休題。
もし店主が「申し訳ないのですが、うちは小さい店でひとりでやっていますので、今回はテイクアウトするか、もう1台は他の駐車場に停めてもらえないでしょうか」と言ってくれていたら、私の受け取り方はだいぶ違ったとも思いますが、自分の思う通りの言動を人にお願いするのはさすがにちょっとごう慢です。でも、NVCのプロセスとしての「リクエスト」まで考えを広げられて、だいぶ楽になりました。

ここまで自分のニーズとつながれて、初めて店主のことを考えられるようになったと思います。

その店は小さい店で、おそらく店主ひとりでされています。今の時代、飲食店というだけで大変なのに、ひとりで切り盛りするのは店などやったことのない私には想像のつかない苦労があることでしょう。変なお客も来るかもしれません。儲けは出さないといけません。駐車スペースを増やすほどの余裕はまだないのかもしれません。

これは完全な妄想ともいえますが、たとえこれが事実とは違っていたとしても、この時点で私の店主に対する苦手な気持ち、こわい気持ちは嘘のようになくなり、からださえ軽くなりました。ちなみにこのからだが軽くなる感じが大事です。頭でわかっただけではからだは軽くならないと思ってます。

さらに私は気づきました。店主が強固な姿勢でこの店を守ってくれているから、あの美味しいごはんとケーキ(特にタルトタタンが絶品)が食べられるのだ、と。この店がなければ私のニーズは玉砕です。そして店主の駐車ルールは店を守るためだったと気づいて、それは店を持つ人として当然の権利を伝えただけだとまで腑に落ちレベルで理解できました。

信じない? 疑う? でもほんとなの! これ、きれいごとじゃないから!

さらに反省として、ここが日本だから「ねえ、いいでしょ~」が通用しがちで、私もそれに甘えていたなと思いました。お店とお客で上下関係があるという思い込みこそ、唾棄すべき考えです。日本に長くいすぎたかも。

以前、サンフランシスコで通勤ラッシュの時間帯に大荷物持ってホテルから駅までタクシー頼んだら、普通に乗車拒否されました。「は? 今の時間、駅まで行く? 無理無理、ご冗談でしょ」って感じに。仕方なく地下鉄で行ったけど、それくらい自分でお客を選んでもいいんですよね。お客様は神様じゃないんだから。「千と千尋の神隠し」の湯婆婆も「お客様とて許せん!」って言ってます。(今回ジブリのたとえ多いな)

ああ、長くなりました。NVCについてちゃんと学びたい人には不親切だったかもしれませんが、NVCが日常にもたらす力の一例として参考にしていただければ幸いです。


楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!