見出し画像

靴が脱げたら「ウノ」と叫べ

アウシュビッツの領域はいわば無くしたほうがいい惨劇の塊であり、リアルに申すのならば間違いはあっても無理矢理ではないのだ。 と、ここから考えるにあたって、重要視したい事実がある。見える、見えないの問題ではなく、承知しなければ、事実はない。人間である。ゆくゆくは明後日になりかけている。マンガ馬鹿一代で桟橋に取り掛かって、施工を。

急須にミルクを注ぐ。ある種のバズーカのような勢いで、五月雨が降ってきた。情けない顔をしていた亡者も、いよいよチャンスだと思い、レンズを壊しながら、やたら歩く。興味はないが弱視であるため、間近に感じられない。センスのなかでもったりと、イメージが腐乱する。錯乱する。注視したい。注視したいのに、できず、死ぬほかない気もしている。

アコンカグアの山のなかで、消しゴムを拾っては屋敷をなぞっている。空間すらも消えて、メンタルに穴が開く。さよならさよならから、なにかが漏れていく。これで良いはずだ。すべて解決するはずであり、面倒ではない。作業じみた明日の光明を、どこかで解決すべきだろうか。死ぬべきだろうか。やたら騒ぐべきだろうか。なんとなく息をしている午後にいる。

剪定前の枝に、マジックでザルを書き込んで、これは気体が面だったので、できたのだけれど、それでなかったらいくらか初めに戻るしかない。ジンジンする指先から蚕の糸のようなものが出てきて、グルグルになって痛い。さじ加減だと言うのにね。すべてはさじ加減なのに。

おそらく認識不足の闇のなかで起きたことだろう。盛り上がってますね。知らなくていいことも見えてきそうですね。知っていいことはないけど、知らなくていいことも、ないけれど。全体が部分になって、時間が伸び縮みするので、精神力は明後日に飛んでゆく。お時間があるならば、なにか言葉を吐いてください。寂しいんでしょう?寂しいんでしょう?なにをいうか、人は人であり、個人は個人のまま、帰属していない動物ぞ。世間にも、答えにも、帰属しないある動物ぞ?

果たして、なにを考えているのでしょうか。それでよいのだ。そのままでよいのだ。「ジリリ」と目覚ましがなった。見るとスヌーズが何度もかかっていて、時間通りに起きられず、友人との約束を破ってしまったことを知る。後悔先に立たずとはこのことで、右田はソファの上、寝ぼけた頭で呆然としてしまった。

とにかく謝罪の文を短く書くも、やりきれず、申し訳なくなって、不安が増し、テレビをつける。「でも、お高いんでしょう」と音声が鳴って続けざまに「2万9,800円」と声がした。音がカリカリとスピーカーから這い出して、部屋に充満する。「はぁ、妥当ですねぇ」と聞こえ「はい。妥当です」と音声が鳴った。「あぁ、ごめんなさい」と右田は独りごちる。すると、ソファの下から両手に四角いコンニャクを持った、ジャムおじさんがぬるりと現れて、右田の隣に腰掛けてタバコに火をつけた。

「新しい試作を作ってみたんだよ」といい、右田にコンニャクを手渡す。右田は「いりません」と応えた。するとジャムおじさんはタバコを深く吸って、コンニャクで右田の頬をはたく。ぺぇん、と間抜けな音が響いた。右田は「ごめんなさい」と謝ったが、それは友人に向けた言葉なのかもしれなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?