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新生活、二人は三人に

2月22日、両家顔合わせをしたあとで入籍し、はじめて会った日に訪れたおでん屋さんに行った。はじめて会った日というのは、たったの三ヶ月前の話だ。

はじめて会った日は、各所で何度かそう表現している通り、わたしにとっては「答え合わせの日」だった。マッチングアプリで出会った彼のことを、涙が出るほどに愛していると気がついてから、実際に彼に会ったときにわたしの気持ちに「恋」が芽生えるかどうかはとっても重要な問題だった。わたしは『日常と、その先の未来』という記事で、最後を「だから、どうかもう少しこのままでいさせて」と締め括っているけれど、これは実際に会ったときに好きになれない可能性に対して、会うことを躊躇しているわたしの気持ちを綴ったものだ。だって、アプリで実際に出会う大半の人に対して、少なからず なんらかの期待をしていたわりに、誰ひとりとして素敵だなあと思える人に出会えなかったから。その期待を毎回裏切られ、自分自身をも裏切り続けているような気持ちでいたから、文章だけのやりとりで高まる自分の気持ちが対面した際に薄れることを、わたしは何よりも恐れていた。そんな心配をよそに、彼は実際に会ってもわたしの愛した彼だった。その日は四軒のはしご酒。おでん屋さんは三軒目。わたしの気持ちに恋心が芽生えたのも、恐らくこのおでん屋さんだった。

そんな思い出のおでん屋さんで、たったの三ヶ月のできごとを振り返る。期間が短い分だけ思い出が濃いかというと、そんなことはない。それよりもわたしたちはこれからなのだと思うと、それがうれしかった。彼がわたしにとって最高の相手だと思えたのは、積み重ねてきたものがなくとも、これから先、一緒に積み重ねていくことのできる相手だという確信を持てたからだ。離婚という辛い経験をしたこと、そしてその事の発端、相手の態度に傷付き続けたこと、それでも関係修復に向けて努力をしていたこと、それが叶わず耐えきれず心が折れてしまったこと、自責の念、とか、細かく言えば異なる点もあったのだろうけど凡そ似ている気がして、この人とわたしは、大切にしたいものが同じで、窮地に追い込まれたときの対応の方向性も同じなのだろうと思うと、幸せな未来を積み重ねていくイメージが容易にできた。幸せとは、苦しみや歪みのない日々ではない。何があっても乗り越えていける日々のことだ。それが途切れながらも続いていくことだ。

その日はホテルに泊まり、翌日わたしの実家へ行った。最後の荷物を車に乗せて、家族に見送られ、わたしは生まれ育った街を出た。これは父との約束だった。

生理は数日遅れていた。
本当はお酒を気兼ねなく飲むために事前に調べようかとも思っていたのだけれど、お祝い事の前に検査薬が真っ白になるのを見るのが嫌だった。この手の期待はだいたい外れる。
だけど、新生活を始める今この瞬間なら、真っ白い検査薬の結果もまた明るい気持ちで受け入れられると思ったのだ。

お互いに子どもを望んでいることは、付き合う前から話していた。そして結婚するにあたり、子どもについてどう考えているかの具体的な話し合いもした。わたしは不育症の可能性があること、さらには過去の流産の掻爬手術によって生理がおかしくなったこと、それにより不妊にも拍車がかかっているのではないかという不安要素をすべて彼に話していた。そんな心配もありながら、不妊クリニックで一通りの検査を受けて一応は異常なしと言われていることも伝え、双方の年齢も考えて、結婚後は早い段階で不妊治療を検討しようということで合意形成をした。

「不妊治療をするとして、どこまで頑張るか」という点については答えを出せないまま「その時のお互いの気持ちを常に尊重して、きちんと話し合って決めていきましょう」と決断を後ろ倒した。いくら事前に話し合っても、こればかりはどうなるかわからないものだった。

自分が子どもを授かるだなんて夢のまた夢だと思っていた。半分は諦めていて、諦めさせてくれる夫のことをまた好きだと思った。

「きみとの子どもがほしい
でも、もしもそれが叶わなくても、そのときはただきみだけを一生愛し続けるだけだ」

こんなにストレートな言葉をもらったことがなかったので、うれし恥ずかし戸惑いながらも、それもいいと思った。
そういうふうに生きたいと思っていた。
何かに執着せず、だけど諦めるわけではなく、何かに希望を見出す。身軽で、自由で、何にでもなれる。この人とふたりで、常に幸せを模索していたい。そう思った。

そんな想いで入籍した翌日、妊娠検査薬が陽性を示したときは、やはり予想外すぎて、驚きを隠せなかった。

夫に報告すると、恐らく彼もまた驚きすぎて、喜んでいるのかどうかイマイチわからない反応だったけど、そこが好きだなあと思った。夫はしみじみと「きみ、本当にすごいね」と言った。

「あなたはわたしといたら幸せになれます」

夫は、離婚とそのあとのしょうもない恋愛(申し訳ないけど夫の話を聞いているとそう表現する他ない)のせいで、臆病になっているようだった。わたしは特別で、他の誰とも比べることができない絶対的に好きな相手で、長年忘れていた自分から人を好きになる感覚を思い出させてくれた人だと言うわりに、わたしとの関係構築に踏み込めないようだった。煮え切らない彼に痺れをきかせてわたしが泣きながら放った言葉だ。「あなたはわたしといたら幸せになれます、根拠はないけど本気でそう思ってる」

わたしたちはそれぞれに離婚で傷ついてきた。一度バツがついてしまえばもう二度目も三度目も怖くないと考える楽観的なわたしと、一度失敗したからこそもう二度と失敗したくないと考える慎重な夫との間には考え方の相違があった。楽観的なわたしは、とは言え一切の妥協を許さなかったので、それなりに長いことひとりの時間を楽しんでいたけれど、夫は離婚後の寂しさ故になんとなく付き合ってしまった女性との関係にまた傷ついていたそうなので、それは臆病になって当然とも思える。そんな彼のことを必死に理解をしようと思ってはいたけれど、お互いに惹かれ合いながらも、お付き合いに至らない状態は、わたしにはとても苦しいものだった。(だってわたしのことが大好きなことはだだ漏れだった)
「あなたはわたしといたら幸せになれるけど、わたしと幸せになることをあなたが望んでいるかがわからないから不安なんです」
そう彼に言い、わたしと幸せになる気がないのなら、いっそどこかへ行ってくれ、とさえ思った。あまりのんびりはしていられないのだ。わたしは幸せになると決めていたので、わたしと幸せになる気がない相手とすったもんだしている暇はない。

彼曰く、最初の結婚相手も そのあとに付き合った子にも、「わたしのことを幸せにしてよね」と言われていたが、それがなんとなくしっくり来なかったそうだ。きっと最後には「幸せにしてくれなかった」と責められて(或いは自分自身を責め)、彼は重い十字架を背負わされていたに違いない。
それでも女性というものはそういうものだと思っていた彼に対して「わたしといたら幸せになれるよ」と言ったのがわたしだ。格好つけたわけではなく、わたしには誰かに幸せにしてもらうという発想が本気でなかった。だけど、『贈り物は突然届く』という記事でも触れたように、自分がこの先も幸せに暮らすことには確固たる自信を持っていたし、もしも本当に存在するのだとしたらこの人こそがわたしの『世界の正位置』だ、と思っていた。だから「あなたはわたしといたら幸せになれます」という言葉が、ともすれば胡散臭すぎるこの言葉が、涙と共に思いがけず出てきてしまったのだ。だから、そんなわたしを信じて欲しいと、願って 祈った。

「わたしを信じて」という深い愛の言葉は、どれほど彼に伝わったのだろうか。彼はどれだけの葛藤の中で腹を括ってわたしの手を取ってくれたのだろうか。そのおかげで今わたしはこうして幸せな毎日を送ることが出来ているし、それを夫に還元することができている。笑顔の溢れる毎日、それだけで十分だったはずなのに、こんなに早く自然に子どもを授かることができるなんて。

やっぱり幸せを引き寄せてるなあと自画自賛しながらも、夫の「きみ、本当にすごいね」という言葉を反芻する。本当にすごいのは、こんなわたしを信じてくれたあなただと思う。幸せにしてよねだなんてこの先も絶対言わないけれど、幸せにしてくれてありがとうと本気で思っているよ。お腹の子にも伝わるといいな。

まさかの新生活が、初めから三人になるだなんて思わなかったけれど、これは紛れもなくわたしたち夫婦の幸せだ。あなたが信じてくれたから、何があっても乗り越えてゆく。それが途切れながらも続いていく。この先もずっと。

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