杖と水瓶

まだ紫式部も生まれていないような昔、今でいう奈良県桜井市あたりの国の話です。領主には3人の娘がありました。長女、次女、末娘、いずれもすばらしく美しく、気立てのよい娘たちでした。
領主は跡継ぎ問題で悩んでいました。当時、領主は男と決まっていましたので、娘の婿養子を跡取りにしようと考えていました。そして3人の娘のうち、どの娘が後継者にふさわしいか悩んでいました。

領主は娘たちに質問をしました。娘にとって父とはどんな存在だろうか?
長女は答えました、「お父上は、日輪を背負った殿上人です。」
次女は答えました、「お父上は、太陽でもあり月でもあります。昼も夜も、私の心を照らしてくださいます。」
末娘は答えました、「お父様は、塩と同じくらい大切な方です。」
領主は怒り出しました。「塩だと?私をなめとるのか?それが親に対して言うことか?許せん。この城から出ていけ!お前の顔などみたくない!」
末娘は城から追放されました。

末娘は城を出て、東に向かって、とぼとぼと歩き続けました。手荷物もなく、付き人もありません。涙が止まりませんでした。山道は歩きにくく、やがてあたりは黄昏て、夜闇がせまっていました。彼女の胸は不安と恐怖におしつぶされそうになり、足もとまりそうでした。これからどうしたらいいのか分かりません。ふと見ると、10メートルほど先にひとりの老婆が、右手に杖を、左手に水瓶をもって立っていました。近づいてみると、やや吊り上がった目の、年相応の皺はありましたが、どちらかというと張りのある優しそうな顔の老女でした。

「こんな夜更けに若い娘がどうしたのかね?」そう訊かれた娘は泣きながら経緯を語りました。話を聞き終わると、老婆はすこし離れたところにある小屋に娘を連れて行きました。その小屋で娘は老女にいろいろと習い事を教わりました。料理や裁縫、山の動物との付き合い方など。娘はとても物覚えがよく、あらゆる習い事をあっという間にマスターしました。そうして数か月が経ちました。

その間に、国ではとんでもないことが起こっていました。塩が全く無くなり、国中がパニックに陥ったのです。まずは塩の値段が高騰しましたが、そのうちに売るための塩すら無くなってしまい、人々は塩を手に入れることができなくなってしまったのです。諸国に塩を求めましたが、誰も売ってはくれませんでした。塩は料理に欠かせません。塩のない料理は砂を噛むような味気ないものでした。花婿候補の王子が何人かこの国にやってきましたが、あまりの料理の不味さに堪え切れず、帰ってしまい、縁談はまとまりませんでした。ついに領主は病気で寝込んでしまいました。

そんなある日、老婆は末娘に帰国を勧めました。娘は父親に会いたかったので、帰り支度を始めました。土産として何か欲しいものはあるかと訊かれて、娘は両手いっぱいの塩を希望しました。老婆は、いつも使っていた杖と水瓶を渡して言いました、困ったときに使うようにと。水瓶の中には塩が入っていました。杖の使い方、使う場所を教わり、帰国の途につきました。老婆は別れ際に言いました、「どんなときにも親切と正直な心を失わないように」と。

娘は西に向かって歩き通し、やがて懐かしい城に到着しました。粗末な服装で、旅のほこりにまみれていたので、門番は娘の頭のてっぺんから足の先まで見て、彼女の入城を拒否しました。押し問答になりましたが、彼女が、「領主様の病気を治す贈り物がある」と言ったので、門番は領主に問い合わせました。そうしてやっと面会を許されました。領主は、あまりにもみすぼらしい姿をしたこの娘が彼の末娘であることに気づきませんでした。娘が見たところ、父親はすっかり痩せて元気がありませんでした。

領主が尋ねました、「何か特効薬でも持ってきてくれたのか?」
父がほとんど何も食べられないことを聞いて、娘はお粥を所望しました。料理人がお粥を持ってきましたが、領主は食べようともせずに言いました、「塩を使っていないから、不味くて食べれたもんじゃない。いちどなんぞは砂糖で味付けした粥を食べたこともあるが、あの恐ろしい味は今でも忘れられんよ。」
「塩は私が持っています」娘は言って、水瓶から塩を取り出して、お粥に振りかけました。領主はあっという間にお粥を食べてしまいました。「こんなに旨いお粥は何か月ぶりだろう。」
領主は「礼をしたいのだが、何か欲しいものがあるか?」と娘に向かって言いました。
娘は「ただ私を好きになってほしいのです」と言って、顔を洗って泥をおとすと、領主はようやく末娘であることに気づきました。父は娘に深く詫びて、娘は再び城で暮らすことになりました。娘は、国のみんなに塩を無料で配りました。領主はすっかり元気をとりもどしました。

水瓶の塩は使っても使っても中から湧き出てきましたが、そのうちに、さすがに目減りしてきました。娘は老婆が別れ際にくれた杖のことを思い出して、教わった場所に行き、言われた通りに大きな岩を杖で3回たたきました。すると岩の横の斜面が崩れ落ちて、人ひとりが通れるほどの大きな洞穴が現れました。

洞穴の奥の方に小さな明かりがみえました。中から子供のような大人が顔を出して娘に言いました、「お待ちしていました。さあ奥の方にいらしてください。ご案内します。」洞窟の奥には、明々とロウソクがともされ、壁一面に白いキノコが生えていました。
「きれいな透き通るようなキノコね。」
「それはキノコではありません。どうぞ味わってみてください。」
娘はキノコをひとつもぎ取ってかじってみました。
「これは塩なの?」
「壁から塩がキノコ状に育ってくるのです。どうぞお好きなだけお持ち帰りください。私たちはこの塩の管理を任され、あなた様がいらっしゃるのをお待ちしていました。」

国は活気を取り戻しました。お礼を言うために、末娘は父と一緒に老婆に会いに行きました。よく知った道でしたが、老婆も小屋もどこにも見当たりませんでした。小屋があったはずの場所からもう少し坂を登ったところにお寺がありました。せっかくなので父と娘は参拝して帰ろうということになりました。娘が、寺の本堂に入りご本尊に手を合わせて顔を上げたちょうどそのとき、本堂の外で待機中の従者のかごに入っていた塩のキノコに陽が当たって反射し、一瞬、暗がりに鎮座ましますご本尊を照らし出しました。そこには右手に錫杖、左手に水瓶を持った十一面観音様が立っておられ、やや吊り上がった目で、娘に柔和な眼差しを注いでおられました。

娘はすべてを悟りました。彼女はその場でよ々と泣き崩れました。父は何事が起ったのか理解できませんでした。娘の様子から思うところあって、ご本尊を見やりましたが、暗がりに沈んだご本尊の御姿は識別できませんでした。

<スロバキア民話、和風アレンジ>

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