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あいするの定義

わたしはあなたをあいしてる。

なんだかロマンチックな響きである。
私を知っている人からは、キャラじゃない。
と思われるかもしれない。

でも、この言葉をつかうとき、
わたしはこれ以外にしっくりくる表現を持ち合わせていない。

36年の人生の中で、どうやら一般的ではないらしい。
と理解したことのなかに、他者に対する親しみや情愛へのありかたがある。

大切な人はすべて同列、とでもいうのだろうか。
ある境界線を超えた時、すべてのひとを愛おしいと思うのである。
幸せになってほしいと思うし、できることがあるなら使ってほしいと思う。

この枠組みに、友人や恋人の差がない。
ということに気づいたのは、おそらく大学生のときだった。

友人の当時の恋人に、君とあの子はただ仲がいいだけじゃないように見える。
自分は君があの子を恋愛的に特別だと思っているのではと感じる。不安に思っているし、嫌な気持ちになる。
というようなことを言われた。
そして他の友人の恋人にも似たように思われていたらしい。

そのような、自分の中の思いと
外への見え方の乖離はその後も多々あった。
性別に関係なく、親しみを覚えるひとがたくさんできたが、何故かその対象が異性の場合、
発展を期待されるのである。
付き合ってるの?
結婚しないの?
ひどい場合は、それってキープしてるってこと?
など色々言われた。

そしてめんどくさくなって流されるままにお付き合いをしたりもした。
※これは自分が悪いと自覚している。

異性に対するこの気持ちは、恋愛感情なのだと錯覚しようとしていたのかもしれない。
当時の私は、他者と違うことを恐れていた。
常識的な大人であると、思われたかった。

あれから数年の時を経て、わたしはまたあるべきところに戻ってきた。
妙に肩ひじ張る必要もないと納得できた。
思考の整理や自分の分析ももちろん一役かっているが、一番大きいのはやはり創作、他者の紡ぎ出すフィクションのおかげであると思う。

こういう形のあいだってあるよ。
ということを、フィクションたちは肯定してくれた。
それはわたしにとって、救いだった。
同じように考え、それを手放さなくて良いと受け入れてくれるひとが、出会えはしなくとも世界には存在していることが、嬉しかった。

様々な知識や想いに触れて、外側の殻は随分やわらかくなった。
フラットなわたしを取り戻しつつある。
だからこそ、こうやって発信できているのだと感じている。

わたしはあなたをあいしてる。
この感情を理解されなくてもいいといまは思っている。
けれど、こんなふうに考えているちょっと変なやつなんだな、と思ってもらえたら嬉しい。



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