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細く長く、途中でとまっても。保育士試験の話など

継続するということが、なんせ苦手です。

いままで一番長く続けたことってなんだろう?

振り返ってみたら、強制的に続けさせられていた家業に関わる習い事を除くと、仕事と着物くらいだな、なんて思ったり。

今日は継続が難しかったわたしが、なんやかんや続けていること。
それから、続けること、飽きっぽいということについて最近思うことのお話です。


飽きっぽい人生

習い事も、人間関係も、なんせすぐにやーめた、ってなっちゃうわたしは
何もかも中途半端で、色々な経験はありつつもなにひとつ極めておらず、
交友関係も少ないという残念な人間です。

それでも人生を振り返ってみて、なんだかんだ続けていること、続けていたことといえばなんだろう。

①仕事
 3番目に転職したIT企業では、なんと9年も働いていたらしい。
 時代の波に流されるまま時を経てしまったとも言える。
 それでも飽き性だったわたしが続けられたのは、環境に恵まれたのが1番だけど、実家から遠く離れた縁のない土地で、頼れるものもあんまりなかったというのが大きいかもしれない。

②着物
 離れたり、ブームがきたりしながら、
 6年ほど着物民もやっている。
 着物にハマってから、かけがえのない友人もできた。
 今は着物関連の小物を作ったりもしており、生活面でも助けてくれている趣味である。
 ハンドメイドを初めて2年と半年が過ぎました。
 こちらもお休みしたり、再開したりしながら細々と続けてきた結果、少しずつお客様が増えてきました。
 すぐに結果が出なくても、続けていれば知ってくれるひとや、わたしの作品を気に入ってくれるひとがいる。
 そう思えたのも、着物のおかげです。

保育士試験とわたし


それに加えて最近はここに、保育士の勉強も加わった。

突然保育士の免許を取ろうとおもったのは2019年のこと。
当時、システム系の仕事を生業にしていたが、どうしても自分の中の違和感と共存できなかった。
わたしはヒトに幸せになってほしかった。
もちろんシステム化や自動化で幸せになるひともいたと思う。
単純にわたしのなかに大切にしたいものランキング上位に、その思想と相反するものがあったというだけです。
システム開発に従事する方や、世の中の自動化の流れを否定するものではない。
わたしも恩恵はたくさん受けているし、今尚システム開発に従事している方たちに頭が上がらない。

本題に戻って。

人を幸せにしたいと思った。
人に関わる仕事をして、そのひとたちの生活の一端に触れてみたいと思ったのです。
後に自分にはまったくもって保育士の適性がなく、勉強して免許を取ったところで従事することは難しいと気づくのだけどそれはまた別のお話で。

いざ保育士になろうと決意したものの、そもそもわたしには試験を受けるための受験資格がなかった。
大学に2年間通って所定の単位を取っていれば資格があったのだけど、タイミングが悪くわたしは大学2回生の1月に中退していたのである。

うせやろ‥ってなった。

まぁでもいくら記憶を反芻したところで1月中退が3月中退に変わるわけもなく、別の手段を考えることにした。
所定の時間働いて、実務経験を積むか、
所定の学校に通うか。

処理能力がいまいちなので、試験を受けるための所定時間をクリアできると思わなかった。
慣れた作業であれば臨機応変に動けるが、対人、しかも油断すとすぐ重大事故につながる子供を保育する、というのは、なんの知識もなく経験もない状態ではできる気がしなかった。
繰り返しになるが、知識を得たとしてもできないものはできない、と後に気づくことになるのだが。

そこで、通信制で受験資格を得られる学校に通うことにした。
入学の費用としてまとまったお金が必要だったが、それは9年勤めた会社の退職金で賄った。
これから無職になるというのに、退職金の半分をこれで失ったのである。背水の陣だ。

自分が、とくに勉強において継続や自己コントロールが難しいというのはわかっていた。
興味のない分野については特にである。
発達や実習理論、心理学は興味を持って取り組めるとおもったが、栄養学や福祉科目はまったく興味が乗らないだろうと感じていたし、実際そうだった。

わたしが入学した学校は、1ヶ月に7本レポートを提出しなければならなかった。
最初の数ヶ月はがんばったが、それでも月5本程度だった。
なんせレポートに時間がかかるのである。
膨大な量のテキストから、レポートの内容を探すのがなんせしんどかった。
しかも、法律を読み解く問題はそもそも答えがない。レポートのうしろに質問を書くと、添削して帰してくれるのだが、疑問がクリアになるかと言われれば疑問だった。
法律を読み解いても、この項目にはないが、ここに書いてあるとか、書いてないものは規定されていない、という定義になるがそもそもわたしが読み飛ばしてるのか記載がないのか、書いてあるがわたしがその意味に捉えられてないのか、など読み取るのが難しかった。

結局、月7本提出はできようもなく、
そうこうしてるあいだに失業保険の期限も切れて
生活費捻出のために働かざるを得なくなった。
当初、働くまでにレポートを全て出し終えるという、無謀な計画を立てていたがまったく無理だった。
働きながらレポートの進捗が捗るわけもなく、結局最後の年の年末年始休暇で50本くらい提出しました。
なんとかレポート出し終えて、修了試験に合格でき、無事受験資格を得たのでした。

本来であれば、その年(2021年)から試験にトライできたのですが、日々の仕事に忙殺されて受験は見送り。
科目免除が3年間なので、1科目でも合格してしまうとそこから3年間の間、試験に向かわないといけないというところで、尻込みしていました。
結局初回の受験は2022年4月。多忙に多忙を極めてノー勉でいどみ、さらには体調が悪すぎて保育の心理学と、保育原理のみ受験してリタイアというお粗末な結果になりました。
そしてまぐれ当たりで受験した2科目を合格したので、これはいいかげん真面目にやれという思し召しなのだろうと思い、以降は細々と勉強を続けながら試験にトライしていくことになります。

各試験日程での合格科目

●2022.4
 保育の心理学
 保育原理
●2022.10
 保育実習理論
 子どもの保険
 子どもの食と栄養
●2023.4
 教育原理
 社会的養護
 子ども家庭福祉
●2023.10
 社会福祉(結果待ち)

この結果を振り返ってみると、成長したなって思うのです。
今までの自分だったら、初回だめならもう諦めてたと思う。勉強を続けるモチベーションを一瞬で失って、もうやーめた、ってしてた。

では何故今回に限って、2019年から4年にも渡ってチャレンジし続けられたのか。
①退職金がかかっている。
 結構な額のお金をかけたということ。
②3年間という期限と、猶予をあたえられたこと。
③すでに合格した科目があること。
のみっつの要素が大きいように思います。

このみっつの要素のひとつでもかけていたら
諦めていた自信があります。
そういう意味で、保育士試験の科目免除制度は良い制度だなと思いました。
社会人やりながら資格取得に励むひとの希望にもなるなと。
決して簡単な部類の資格ではないと思います。
なんせ9科目ですから。
※社会福祉士はもっと科目あるらしいですね。すげぇや

もちろん一発合格できるひともいるので、資格取得に対する熱意が足りないのでは?
という意見もあるかもしれません。

それでも仕事と並行して資格にチャレンジし続けられるというのは、自分を認めてあげられる理由のひとつになりましたし、企業から見ても、そのひとの人柄を感じられる一助となるのではないでしょうか。

まだチャレンジの結果は出ていません。
最後に残している社会福祉を合格しても、次は実技試験が待っています。
合格できる保証もありません。

それでも、もし不合格だったとしてもわたしは来年もチャレンジするでしょう。

子供の頃から飽きっぽい、続かない、三日坊主などいろいろな言葉で評されてきました。
自分自身も自分の欠点として、そうなんだろうと感じていました。
そんなわたしが、こうして細々とでも続けられていることが、今のところわたしの希望です。
またひとつ自分を好きになることができました。

継続すること。
それはやめないことです。死ぬまで。
色々な事情で中断することも、活動を縮小することもあるでしょう。
それでもこころのどこかに、それに対する思いがあって、もう一度向き合ってみようと思えたら。
それは挫折ではないのです。

縁があるとは



縁、という言葉がります。
わたしはこの言葉を大切というか、行動の指針にしています。

このタイミングでやりたいけどどうしてもできない、とか。
欲しかったけど手に入れられなかったとか。
応募した仕事が決まらなかったとか。
そういう、日々起こる、諦めざるを得なかったものと対面した時、そういうご縁だったんだ。
と思うことにしています。

今じゃなかった。
縁がつながっていれば、またかならず交差する日が来る。

そんな風に考えると、人生が豊かになります。
そして、ほんとうにその後ご縁が頂けたときに、大切にすることができます。

それは、自分の中であためていた灯火が、じわりと広がっていく。
そんな、幸せの欠片なのです。


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